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粒と粉 [ショートショート]

黒い粒が転がるテーブルの上で、分数の計算が止まっていた。
午後四時、部屋の窓から差し込む冬の薄い光が、数字を記したノートを照らしている。
中指の先を見れば、黒い汚れが広がり、皮膚の乾いた感触が指先に残っている。
問題集の隅で、ふと粒が指に触れた瞬間、それが意識に上った。

「3/8を5/16で割ると……?」
消えそうな声で呟く。ノートの余白に書いた式が途中で乱れ、線が少しずれている。
頭の中に浮かぶ答えが正しいのか、自信が持てない。
それでも先に進むしかない。
私はペンを置き、また無意識に黒い粒をつまむ。

黒い粒は妹が学校で絵を描くために使った鉛筆の芯が砕けたものだ。
数日前、使い終わったものを「捨てるのはもったいないから」と押し付けられた。
それがここで手持ち無沙汰の私を誘惑している。
黒い粒がさらに細かく砕けて粉になっている。
粉が指先から消しゴムの欠片に触れ、さらに問題集の角を汚す。
私はため息をつき、洗面所に立とうとするが、足は動かない。

「もう一回だけ……」
つぶやきながら、ノートの端に新しい分数を描く。
分子と分母の間違いを繰り返さないよう、ゆっくりと慎重にペンを動かす。
答えが出る頃には、左手でつまんだ黒い粉の汚れが右手の手の甲にまで広がっていることに気づく。

「何やってるの?」
背後から妹の声が飛んできた。帰宅したらしい。私は驚きつつも、手を止めずに答える。
「宿題。あと、鉛筆の粉のせいで指が汚れた」
「それ捨てればいいじゃん」
当たり前のように言う妹の声が軽やかに響く。
振り返ると、彼女は手に何か丸い袋を持っていた。
中に小さなキャンディーが入っている。

「それ使い続けると、手も机も全部汚れるよ?」
私は彼女の言葉を聞き流しながら、もう一度分数の式に目を落とした。
式は解けたようで、解けていない。
どちらとも言える曖昧な感触が残る。
妹の忠告通りに捨てれば、少なくとも汚れは消える。
だが、それが正しい選択なのかは分からない。

私の中指は、黒い粒をまた一つ摘む。
それを机の端に置き直しながら、答えを追う目が動く。
キャンディーの包み紙が音を立てた瞬間、また何かが始まりそうだった。

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