部屋の奥から、ピアノの音が聞こえてくる。 [ショートショート]
部屋の奥から、ピアノの音が聞こえてくる。音色は確かに美しいが、響くたびに頭の中で警報が鳴る。あのピアノに触れているのは、私の義母だ。彼女の演奏には、私への苛立ちがこもっているように感じるが、それを口にすることはない。ただ黙ってその響きを聞くしかないのだ。
この家に嫁いできて、もう五年になる。その間、夫の母である義母は、私をほとんど無視し続けている。朝も昼も夜も、話しかけてくることはなく、ただ部屋の奥でひたすらピアノを弾き続けている。彼女にとって、ピアノは生活の一部であり、唯一の拠り所であるようだった。彼女の目には、私などいないも同然なのだろう。
「音楽は心を洗うものだ」と夫が言ったことがある。しかし、その音楽が私を追い詰める手段になることがあるとは想像もしなかった。私は常に、その響きの下で彼女の評価を耐え忍ぶ日々を過ごしている。それでも笑顔で「お義母さんの演奏、素敵ですね」と声をかけたこともあった。だが、返事はなかった。義母は私がいることを認めないまま、ただ指先だけを動かして鍵盤を叩き続けていた。
ある日、義母が急に演奏を止めた。「このピアノは、代々の女たちが受け継いできたものなのよ。」彼女が初めて、こちらに視線を向けた瞬間だった。その瞳の奥には、これまで隠されていた複雑な感情が覗いているように見えた。もしかすると、彼女もまた、この家で生き残りを賭けてきた人なのだろうか。そう思うと、少しだけ彼女が人間らしく感じられた。
その日以降、私も義母の演奏に合わせて小さくハミングするようになった。音を合わせるたびに、彼女がちらりとこちらを見ることが増えた。