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裏地 [ショートショート]

気温が急に下がったせいで、慌ててクローゼットからコートを引っ張り出した。黒いウールのそれは去年まで頻繁に着ていたものだが、今シーズン初めて袖を通すことになる。袖を通す前に、ポケットの中身を確認する癖がある。以前、使い捨てカイロや硬貨が出てきたことがあったからだ。

ポケットの奥に指を差し込むと、ひやりとした感触と共に紙が触れた。取り出してみると、折り畳まれたレシートだった。それはろくすっぽ読めないほど色褪せているが、日付がかろうじて確認できる。去年の十二月だ。そのころ、誰かと外食した記憶がぼんやりと浮かび上がる。

「これ、捨てとけばよかったのに」

独り言を言いながらレシートをゴミ箱に放り込む。次の瞬間、コートの裾が裏返しになっていることに気づいた。試しに広げてみると、裏地が完全に表になり、まるで逆さまに縫われたような状態だった。こんなことがあり得るのかと不思議に思いながら、しばらくその場で固まる。

試しにもう一度袖を通そうとしたが、どちらが表なのか混乱し始める。鏡の前で見てみると、なんだか自分が逆さまになっている気さえする。コートの裏地にはタグが付いていて、本来なら裏側にあるはずなのに、なぜか目の前で揺れている。

結局その日はそのコートを着るのを諦めた。代わりにダウンジャケットを羽織り、家を出る。街路樹の葉がほとんど落ちきった道を歩きながら、逆さまになったコートのことを考える。あれは単なる見間違いだったのか、それとも本当に何かがおかしいのか。

ふと、路上に転がった空き缶が目に入る。それは逆さまに立ち、まるで自分が正しい姿勢だと主張しているように見えた。その瞬間、胸の中に言いようのない違和感が広がる。自分のいるこの世界は、もしかしたらすべてが逆さまになっているのではないかという思いが浮かぶ。

帰宅後、もう一度コートを手に取った。今度はポケットから何も出てこなかったが、裏地のタグはやはり見える位置にあった。再度着ることを試みると、今度は普通に着られた。まるで最初から何も起きなかったかのように。

しかし、鏡の中の自分が微かに微笑んでいた。私は決して笑いたくなかったのに。

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