行列の理由 [ショートショート]
朝の通勤時間帯、駅前のパン屋の前には長い行列ができていた。私は、なぜそんなに多くの人が並ぶのか興味を惹かれ、列の最後尾に加わった。
列は少しずつ進んでいく。周囲の人々は無言でスマートフォンを眺めたり、バッグの中身を確認したりしている。時折、風に乗ってパンの香ばしい匂いが漂ってきた。私はその匂いを吸い込みながら、どのパンがこんなにも人気なのだろうと考えた。
ようやく店の入り口が見える場所まで進むと、ショーケースに並ぶパンが目に入った。クロワッサン、メロンパン、バゲット。特に目立つものはないが、どれも整然と美しく並んでいる。店員がきびきびと動きながら注文をさばいていた。
自分の番が近づくと、列の理由が分かった。レジの横に、小さな黒板が掲げられており、「本日限定 トリュフバターのデニッシュ」と書かれている。その特別感に惹かれた人々が、この行列を生んでいたのだ。
「次のお客様、どうぞ。」店員に促され、私はカウンターの前に立った。「トリュフバターのデニッシュ、まだありますか?」と尋ねると、「最後の一つです」と返事があった。
会計を済ませ、店を出た。袋の中の温かなデニッシュを取り出し、一口かじる。サクサクとした生地に、芳醇なトリュフの香りが広がる。列に並んだ時間が報われた気がした。
しかし、その次の日、再びその店を訪れると行列はなかった。あのデニッシュも販売されていない。私はふと、あの日の特別さが現実味を帯び、行列という風景が遠ざかっていくように感じた。