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玉ねぎの断面から [ショートショート]

台所のテーブルに置かれた玉ねぎを見つめていた。丸みを帯びたその形が、どこか宇宙の模型のようにも見える。透明な薄皮の奥に、幾重にも重なる層。私はその中央に隠された真実を知りたくて、包丁を手に取った。

スパッと刃を入れると、内部の白い層が現れた。層と層の間には微かな水分が光り、その断面が涙を誘うほどに美しかった。鼻に染みる匂いが私の目を覚まさせる。これが玉ねぎの持つ「暴力」なのだろう、とふと思う。自然が人間に与えた小さな復讐のような。

窓辺に目を移すと、画材を広げた彼が座っていた。私は少しだけ驚いた。いつもは無言で筆を動かすのに、今日は珍しく口を開いたからだ。「それ、描いていい?」彼の視線は玉ねぎの断面に向けられている。

「玉ねぎを?」と聞き返すと、彼は頷いた。「その内側がいい。まるで何かを語りかけているみたいだ。」私にはその感覚がわからなかった。ただの野菜の断面に、何か特別な意味があるのだろうか。しかし、彼の目には確かに何か熱が宿っている。

私は玉ねぎを持ち上げ、断面を少し傾けてみた。光が層を通り抜け、ぼんやりとした影をテーブルに落とす。「こう?」と聞くと、彼は筆を握りしめて、「そのまま」と頷いた。

絵が完成するまでの間、私はその姿を黙って眺めていた。筆がキャンバスを走る音だけが部屋に響く。時折、彼が立ち上がって後ろから全体を確認する。そのたびに、玉ねぎの匂いが空気に混じった。

完成した絵は意外とシンプルだった。断面の層が抽象的に描かれ、中央には小さな輝きがあった。「これが君の目に映ったもの?」と聞くと、彼は少し笑って、「そうだ」とだけ答えた。

玉ねぎを冷蔵庫にしまいながら、私は何かを得たような気がした。それが何かは、まだ言葉にはできなかったけれど。

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