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『雑メモ』のすすめ

おはようございます1

こーいち@5dumpコーチです。


皆さん、普段の生活でメモって取りますか?

『仕事でちょっとしたときにメモに書く。』
『書類を届けるときにポストイットに一言メモを書いて貼る。』
『買い物に出かける時に忘れないように書いておく。」

様々なシチュエーションがあると思います。


私は、普段からメモをよく書きます。
仕事のことでも
プライベートのことでも
とにかく書きながらじゃないと
うまく思考が整理できません。

それくらいメモに依存しています。

しかし、
そのメモの書き方が
丁寧でキレイか?
と聞かれればそんなことはありません。


むしろ逆です。


メモに書いている内容は取り留めもなく、
自分が読めるギリギリの雑な文字もたくさんあります。

そもそも書いていることが文章や言葉ではない場合も多い。

その場で感じたことや
覚えておきたいことを
簡単な絵に残すこともよくあります。

そうやって
何でも心に思ったことを
メモに書いて、吐き出す
というアクションを繰り返しているのです。

そう毎日。

白紙のA4用紙に書き出しているのですが、
1日平均20枚程度は、A4用紙を使います。


こうやってなんでも感じたことを
書き出していると
気持ちが落ち着きますし、
具体的に何を考えるべきか?
が明確になります。

学生時代よりも
社会人になった今のほうが
ペンと紙を使って考える時間が多いです。

ゼロ秒思考
メモの魔力
スタンフォード式超ノート術

などなど、
メモ術やノート術には
有名な本がたくさんあります。

その中で共通して語られているのは、

『キレイに書かなくていい』

ということです。

どの本にも書いていることは同じで
『キレイに書こうと頑張らなくていい。
 思ったことを素直に書きなさい。』
と書かれています。

雑多に思ったことをとにかく書いて
書いてみたあとに考えればいい。

ということです。


一方で
昔からの学校教育では、
そうした雑多なメモを取ることの重要性について
あまり教えられていないように感じます。


それよりも
黒板に書かれた文章を
できるだけ丁寧にキレイにノートに書き写すことが
あたかも正しいかのように扱われてはいないでしょうか?

他人が見ても内容がわかるくらい
丁寧にキレイにノートを書くことは
そんなにいいことなんでしょうか?


確かにキレイにレイアウトを整えたり、
他人が見てもわかるような情報が集約されている
ということは素晴らしいことです。


しかし、
勉強することの本当の目的は
得た知識を役立てること
です。

勉強して得た知識をどう役立てるのか?
というアウトプットのために
書くというアクションを手段として使っているに過ぎません。


最終目的はアウトプットです。

それを考えると
学校教育的なメモやノートというのは
役に立つように思えないことがほとんどです。

受動的な情報をただ書き込んでいるだけで、
すぐに忘れてしまいます。


それよりも、
内発的に出てきた言葉や感情を
何でもいいから書きまくって
自分なりのアウトプット先を見つけ出す
ってことをもっとやるべきだと感じます。


そのためには学校教育的な
丁寧でキレイなメモではなく、

もっと雑多で取り留めもなく、
文章もうまくまとまっていないようなメモ

を書くことがよいのではないかと思います。


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