第14回「ハナ肇邸での忘年会」
師走に入り、忘年会の季節になりましたが、私には忘れられない忘年会の思い出があります。
1970年代以降クレイジーキャッツは個々の活動が中心になっていましたが、もともとジャズマンのハナ肇さんは、1985年55歳の時、音楽への強い気持ちから、「ハナ肇とオーバー・ザ・レインボー」というジャズバンドを結成しました。メンバーは、ハナさんがリーダーでドラムを担当、ピアノに宮川泰さん、テナーサックスに稲垣次郎さん、トロンボーンに谷啓さんなど錚々たるメンバーばかりです。その時の気持ちを著書の「あっと驚くリーダー論」(主婦と生活社)で次のように語っています。
一昨年、私にドラムをたたく仕事がやってきた。出入りの楽器屋さんが「いい楽器が入りましたよ」と知らせてくれたが、シンバルやハイハットを除いた太鼓の部分だけでも二百万円もするという。世界でも最高級クラスのドラムセットといってよかった。私は迷った。迷った挙句に、思い切って買うことにした。「このドラムを生かそう。楽器に負けないように一生懸命練習しよう」という気になる。そうは誓ったものの、チャンスがないと太鼓は生きない。そこでバンド結成を思いついたのである。
寄せ集めの楽団だが、本当の狙いは余生集め。ベテランたちが集まって、それぞれが昔の感覚を取り戻して自己の活性化をはかりたいと、一生懸命にやっている。バンドという形があれば、昔の仲間も戻ってきやすいだろうという深謀遠慮もある。
このバンドが定期的に出演するのが、JR有楽町駅近くの銀座Swing。私と同じくクレイジーキャッツファンの岡本恒雄君、富樫直人君(この2人は青山学院大学の同期生で、学生時代からクレイジーキャッツを研究)の3人で、毎回ステージ近くの席を取って演奏を聴きステージの合間にハナさんに挨拶をしていたら、1991年(平成3年)のある日ハナさんから「今度家で忘年会やるからおいでよ」という思いがけない言葉をかけていただきました。その後、マネージャーさんから、確か12月30日だったと思いますが、「世田谷中町のハナさんのお宅に夜来てください」という連絡がありました。
遅れて失礼があってはいけないと思い、岡本君と待ち合わせて夜6時頃ハナさん宅を訪問、玄関に入ると、玄関口に靴がたくさん並んでいる感じもなく、ハナさんのお嬢さんが出てこられ、「まだあまりいらっしゃってませんが、お上がりください」と丁寧にご挨拶され、地下の応接室に案内されました。
部屋に入ったら、まさに「あっと驚く為五郎」状態。広い応接室はホームシアターも兼ねており、ハナ肇さんと植木等さんが、スクリーンで海外ミュージシャンの演奏を見ておられました。その後、30〜40分、ハナさん、植木さんと共に時間を過ごしましたが、あまりの嬉しさと緊張で、何を話したか、ほとんど覚えていません。その後、植木さんは、テレビ番組「植木等デラックスのスタッフとの忘年会があるから」と言って帰られました。
結局、ハナさんのお宅での忘年会というのは、時間を決めているわけではなく、ハナさんの仕事仲間やプライベートで親しい方などが、三々五々都合のつく時間に集まって懇談する形式だということが、ようやくわかりました。ハナさんご自慢の銭湯のようなお風呂場(ハナの湯)も見せてもらいましたが、森繁久弥さんからハナさんに贈られた暖簾がかかっていました。谷啓さんや犬塚弘さん、桜井センリさんといったクレイジーや作曲家の宮川泰さんなどオーバー・ザ・レインボーのメンバー、布施明さんなど多くの方が入れ替わり立ち替わり訪れ、夜が更けるにつれ盛り上がるという非常に楽しい会に翌年も声をかけていただいたのは、本当に貴重で楽しい思い出です。
クレイジーキャッツのリーダーとして7人の個性溢れるメンバーをまとめ、家庭では心優しい夫でありお父さんであったハナさんの素顔について、ハナさんの一周忌に当たる1994年に奥様の野々山葉子さんが「幸せだったね、ハナちゃん」(扶桑社)の中で、いろいろ書かれています。
この中で、ハナさん四十八歳の誕生日について書かれた部分を抜粋して紹介します。
ハナちゃんは誰かが賞をもらったり、部長に昇進したり、優勝したりすると仲間を集めて、わが家でよくパーティーをやりました。芝居やドラマなどの打ち上げも、なにもハナちゃんが率先してやることはないだろうにと思ったものですが、いつも自分が仕切るのです。
昭和53年(1978年)2月9日、ハナちゃん四十八歳の誕生日のことです。
布施(明)君が、「ハナさんはいつもひとのためにパーティーやるばかりで、自分のためにパーティーやったことないから、今年こそ誕生パーティーをハナさんに内緒でやろうよ」と言い出して、みんなに声をかけ総勢50人ほど集まってくださいました。
ハナちゃんはこのとき日劇で「巨人ファンはお人よし」という芝居をやっていました。私がお料理を作るとすぐにバレてしまいます。みんなが一品、二品と持ち寄って、私はふだんどおりにして、ハナちゃんの帰りを待っていました。ハナちゃんが帰ってきたらどうするか、布施君を陣頭指揮に何回も綿密なリハーサルが行われました。小松政夫さんがハナちゃんの役をかってでたのですが、どうにも貫禄不足で大笑いでした。
やっとハナちゃんのご帰還です。向こうの部屋ではみんなが息をひそめて隠れています。何食わぬ顔をして娘と私が「今日はパパの誕生日だから、ハッピーバースデーでも歌おうよ」とワンコーラスを歌って、二番目をハミングしているうちに、ガラッとドアが開いてみんながパーッと出てきました。
ハナちゃんは口と目を、あんぐり開けてしばしボー然、そのうちにあの大きな目から涙がポロッポロッ溢れ出てオイオイ泣き出してしまいました。それから大人たちは飲めや歌えの大宴会。小松ちゃんとジュリーの電線音頭まで飛び出しました。
ハナちゃんはとても喜んで「ありがとう、ありがとう。みんなほんとにありがとう。でも、もうこれ一回きりにしような」。
次の年、ジュリーはそっと四十九本の白いバラを持ってきてくれました。。
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