第21回「GWはマフィアも黙った超大作"クレージー黄金作戦"を」
いよいよゴールデンウイーク(黄金週間)が始まりましたが、4月末から5月初めにかけての大型連休を黄金週間と名付けたのは、集客目的を狙った映画会社と言われています。
1967年4月29日、黄金週間に合わせ東宝創立35周年記念映画として、当時としては珍しい一本立て、上映時間2時間37分、製作費1億8千万円という破格のスケールで封切られたのが「クレージー黄金作戦」です。
脚本家の田波靖男さんの著作、「映画が、夢を語れたとき〜みんな若大将だった、クレージーだった」(広美出版事業部)には、この超大作を作ることになった経緯が次のように書かれています。
1966年の秋に私は渡辺プロの社長室に呼ばれた。
「ちょっと大きなことを考えているんだが、相談に乗ってくれないか」
「何でしょう」
「クレージーでアメリカのラスベガスにロケしようと思うんだ。それも渡辺プロの全額出資でな」
「えっ?」。私は思わず'(渡辺)晋の顔を見た。正直言って、そんな金が渡辺プロにあるのだろうかと思った。そろそろ斜陽が始まった映画界で、自費で製作した作品がコケたら、何億もの金をドブに捨てるようなものである。だが晋は平然と笑っていた。
「何事もチャレンジだよ。今まではアメリカから来たものを有り難がっていたが、これからは、こちらから出ていく番だ」
当時の映画興行界では、新作の封切りは二本立てでというのが常識だった。この場合、二本の映画に配給収入をどう振り分けるかが難問である。どっちの映画を目当てで客がきたのか、判定するのがむずかしいからだ。この問題を解決するには、一本立て興行が一番スッキリする。だがその場合の作品は映画二本分に匹敵するだけのボリュームと魅力を持ったものでなければならない。渡辺晋の生涯のモットーは、「人のやらないことをやれ。未開の荒野に道をつけろ」というチャレンジ精神に充ちたものだった。
渡辺晋社長は、賭けに勝った。私も公開初日、ワクワクしながら広島東宝へ見に行きましたが、大入り満員で、田波さんによると、興収6億8千万円、配収3億4千万円、観客動員数290万人というビッグヒットになりました。
ストーリーは、賭け事なら何でもこいの坊主(植木等さん)、国会議員(ハナ肇さん)、医師(谷啓さん)が三者三様の事情でアメリカへ行くことになり、機内で知り合い意気投合。ハワイから、ロスを経て夢のラスベガスへ到着。一攫千金の夢を叶えるが…ラストは、見てのお楽しみです。
当時のクレイジーキャッツの絶大な人気、これだけの長尺ストーリーを飽きさせない脚本(笠原良三さん、田波靖男さん)とそれをまとめ上げた職人芸とも言っていい監督(坪島孝さん)、映画を彩る音楽(宮川泰さん、萩原哲晶さん)などスタッフの努力で、日本一ゴージャスな喜劇映画になったと思います。クレイジーキャッツ以外の出演者も浜美枝さん、園まりさん、有島一郎さん、藤田まことさん、ザ・ドリフターズ、加山雄三さんなど超豪華。ラスベガスのクレイジーキャッツショーのシーンでは、ザ・ピーナッツ、ブルー・コメッツ、初代ジャニーズ
が共演し、華やかなシーンが繰り広げられます。
ラスベガスを目指し、ネバダ砂漠を彷徨い歩く植木さん、ハナさん、谷さんの一行。精魂疲れ果てた谷さんの幻覚の中で、意中の女性園まりさんが現れ、歌を歌うシーンを撮影するためだけに園まりさんもアメリカロケに参加しています(セット撮影でないところがすごい)。
2022年に刊行された「今だから!植木等・東宝クレージー映画とクレージーソングの黄金時代」(高田雅彦さん著、株式会社アルファベータブックス).でも、「クレージー黄金作戦」を大きく取り上げ、監督・スタッフの撮影秘話や衣装デザイナーさんの仕事ぶりなどを紹介しています。
2007年4月27日、東京の青山葬儀所で「植木等さん 夢をありがとう。さよならの会」が開催され、私も参列しました。葬儀の後、「クレージー黄金作戦」の脚本家田波靖男さんの奥様田波京子さんが、「植木さんを偲んで話しましょう」ということで、帝国ホテル地下の「なだ万」に席を設けてくださり、監督の坪島孝さん、1968年「クレージーメキシコ大作戦」メキシコ国立劇場ショーパートの監督小谷承靖さんがご一緒で、黄金作戦の撮影裏話もいろいろ聴かせていただきました。
ともかく製作決定から公開までの時間がなく、1966年の年末から正月にかけてアメリカでロケハン、アメリカ本土・ハワイロケは、1967年2月22日から3月11日までの約2週間、日本での撮影、編集と続き、1967年4月29日の公開という超ハードスケジュールで、坪島監督は「満足に寝れない日が続き、最後の10日間は、一睡もしていない。36〜37歳で若かったからできたんだろうな」と仰っていました。
作品の中で、見ていて最もテンションMAXになるのが、ラスベガス大通りでのクレイジーキャッツメンバーのダンスシーンです。
マフィアが怖くて、ハリウッド映画でさえ一度もラスベガス大通りではロケをしたことがない状況下、坪島監督によると、「マフィア対策は有名な弁護士に任せ、交通ストップ1時間の許可をもらい撮影したが、ヒヤヒヤものだった」そうです。クレイジーキャッツのメンバーがラスベガス大通りで歌い踊るのですが、リハ2回全てカメラを回し、3回目で撮影終了。テスト毎に周辺道路が黒山の人だかりとなり、終わった時には盛大な拍手が起こったそうです。
撮影が終わったら、黒塗りのリムジンが2台スッと来て、「30軒ある通り沿いのカジノから一番稼ぎどきの時間帯に人が撮影見学で出てしまった。1時間分の売り上げを払え」との要求。これに対し、「日本で一番人気のあるクレイジーキャッツの映画なので、日本で封切られたら、奇跡の経済復興を遂げた日本からたくさんラスベガスにやってくる。その見返りをこちらは要求しないから、それでチャラにしよう」ということで話がついたそうです。その言葉通り、映画公開後、ちょうどジャンボ旅客機が就航したこともあって、日本人がラスベガスへ殺到したので、「満更、言い逃れではなく、先見の明があった」との話しでした。
こうした話は、谷啓さん、園まりさん、坪島孝監督が、オーディオコメンタリーをつとめられた、東宝のDVD「クレージー黄金作戦」でも語られています。
このラスベガス大通りのダンスシーンは、何度見ても高揚感がありますが、その裏にこうした撮影のご苦労があったわけです。戦後わずか22年で、アメリカを舞台に、廃墟から立ち直った日本人が堂々とお洒落な喜劇映画を作れるようになった時代が到来したことを思えば、感慨深いものがあります。2025年は、クレイジーキャッツ結成70周年。大スクリーンでこの「クレージー黄金作戦」を鑑賞できる機会が来ることを期待しています。最後に映画のラストカットの写真を掲載します。この3人の黄金の銅像、今どこにあるのでしょうか?
#クレイジーキャッツ #植木等#ハナ肇##谷啓#ザ・ピーナッツ#加山雄三#クレージー黄金作戦#坪島孝#田波靖男#.高田雅彦#渡辺晋#ザ・ドリフターズ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?