Week3 マラッカ一人旅「きょうかい。」短編エッセイ後編
前編はこちら!!
マラッカに着いた。ここには1泊して、朝のバスでKLに戻る予定だ。時間を確認するためスマホに目をやる。「時刻はもう13:30じゃないか!!」もたもたしていられない。バスターミナルで待ち伏せしていたおっちゃんの「たぁくしぃーーー!」のよく通る勧誘の声は無視して、配車サービス「Grab」を使って足早に市内中心部へ移動する。
中心部までは車で20分ほどだ。空腹も限界を迎えていたので、最初の目的地は平日にも関わらず観光客や地元住民で賑わう人気レストラン「Nancy's Kitchen」へ。
着いてから分かったが、大きなテーブルとそれを囲む複数の椅子、メニューに載ってる大皿料理の多いこと、客層がファミリーや団体がほとんどだったこと。「ひとりで来る店じゃねぇ。。。」いささか疎外感を感じつつ、店内はピークも過ぎていたためか空いており、ひとりにしては少々大きすぎる卓に案内された。
店内は清潔に保たれており、白を基調とした大理石風の床は、テーブルデザインと調和していて、格式ある雰囲気を漂わせていた。内装は、伝統工芸品や絵画が展示されており、レジ付近はオーナーらしき女性と有名人と思われるお客さんとのツーショットの写真が所狭しと掲げられていた。
付近にいた男性ウェイターを呼び止め、とりあえず私はどうしても食べたかった「Otak-Otak(オタオタ)」と「Nyonya Laksa(ニョニャラクサ)
」という料理を注文した。
マラッカはニョニャ料理という料理の発祥地である。マレーシア4大料理の1つだ。ニョニャ料理の歴史は15世紀にまでさかのぼる。当時中国から移り住んだ男性商人と現地の女性との間で婚約を結び生まれた人々のことを「プラナカン」と呼んでいたようで、プラナカンのうち男性は「ババ」、女性は「ニョニャ」と呼ばれていたため、彼らの作る料理が「ニョニャ料理」となった。簡単に言えば、中国料理とマレー料理の融合がニョニャ料理であり、エスニック感じるスパイシーで凝った料理が多いのが特徴だ。15世紀以降はポルトガル及びイギリスなどの植民地支配を受けており、その影響が食文化にも波及しており、多様と言おうか雑多と言おうか、とにかく多国籍な料理がニョニャ料理なのである。
「Otak-Otak」と「Nyonya Laksa」はいずれもニョニャ料理を代表する料理であり、一人で食べるには、大皿料理を提供するお店の特徴柄、圧倒的に多かったが、とにもかくにも食べたかったのである。
まずは「Nyonya Laksa」から頂く。スープはスパイス香るココナッツカレーベース。見た目からして明らかに辛そうだが、ココナッツミルクのまろやかさが見事に辛さを中和していて非常に食べやすい。具材として入っている魚のすり身や海老の海鮮だしがスープに深みを出し、複雑ながらもバランスの取れた、コクのある絶妙な味わいだ。ビーフンともよく絡み、どんどんと箸が進む。途中で絞ったカラマンシーの酸味は全体的にスープをさっぱりとまとめ上げ、軽々と完食してしまった。気づけば額に汗がにじんでいた。
続いて「Otak-Otak」だ。魚のすり身をスパイスやらココナッツミルクやらと一緒にバナナの葉で包んで蒸した伝統料理と聞いていたので、かまぼこのような味を想定していたが、これがびっくり、結構大振りな魚のすり身が入っていて魚の風味がガツンと鼻を抜けた。「これは魚の生臭さが無理な人は食べられないな」と思いつつ、味は絶品。さすがに雑食の私でも大量には食べられない風味だったが、味はどういうわけか魚というよりはむしろぎっしり肉が詰まった焼売を食べている感覚に近かった。「Nyonya Laksaを食べ終える前にスープに入れてだしにすれば絶対うまかった、、、」と後悔の念に駆られるも、そんなことに時間を使っている暇はないので、さっさと会計を済ませ、店を後にした。これでだいたい20rm(約630円)だったので大満足だ。
次に、Jonker Walk Melakaというマラッカ川より西側のメインストリートへ。伺ったのは平日の15時ごろであったが、観光客で賑わっていた。
メインストリートはマレーシアの伝統工芸品や雑貨店、お土産屋、カフェなどが軒を連ねる。意外と知られていないが、マラッカは街自体が2008年マレーシア北部に位置するジョージタウンと共に世界文化遺産に登録されている。そのため、このあたりも古都としての雰囲気を残す建築が並ぶが、内観はモダンでおしゃれなカフェやお土産屋が多く、ちょっとした不調和が多いところがまたおもしろい。現地人によるとこの通りは金・土・日の夜限定でナイトマーケットが開催されており、それを目当てに訪れる観光客も多いようだ。今回は平日だったため逃してしまったが、次回は何が何でも休日に訪れようと思う。
マラッカが世界遺産になっている理由をこの地域の歴史と共に簡単に紐解くと、15世紀に誕生したマラッカ王国はマラッカ海峡という地の利を生かし、東西貿易の要衝として栄える。16世紀に突入し、ポルトガル、オランダ、イギリスによる統治が続き、その時々に建てられたキリスト教の教会などの建築物が今現在も街を彩っている。代表的なもので言えば、「オランダ広場」だろう。マラッカの代名詞ともいえる、オランダ広場はオランダが統治していた17世紀~18世紀ごろに建てられたものだ。先ほどのメインストリートから歩いてすぐのところにある。こうした歴史的建造物が数多く残されていて、多国籍な街並みを構成しているところが、マラッカが世界遺産となった最大の理由だろう。写真だけでは限界があり、伝えきれないところも多いので、ぜひ現地に足を運んでほしい。
また、この周辺には「トライショー」と呼ばれる日本でいう人力車のようなものが行き来しており、ここが観光地であることを再認識させられた。さすがに乗り込む勇気はなかったが、いかつめのおっちゃんがミニオンやミッキーのようなかわいらしいキャラクター満載のトライショーを真剣にこぐ姿を眺めているだけで十分楽しかった。
街にはウォールアートも多く、アーティストにとっては街全体が彼らの創造性を刺激するキャンパスとなっている。アートという視点もこの町を楽しむ1つの重要な視点であり、アート好きにはぜひ訪れてほしい場所を紹介する。「The Orangutan House」だ。私はこのためにマラッカに来たと言っても過言ではない。中心街から歩いてすぐの場所に位置している。
ここは、アーティスト「Charlse Cham」氏のアトリエ兼ブティックとなっており、店内に入ると彼の作品が所狭しと陳列されており、彼の作品がプリントされたT-Shirtsもサイズに合わせて一枚約40rm(1300円)ほどから販売されている。彼の作風は店外外壁のオランウータンのような社会問題を風刺するような作風や彼が影響を受けた思想である「陰陽」を基にした二面性について迫るような作風のものが多い。彼はすでに国内で個展を開いており、海外でも展示会を行った経験があるため、アーティストとしては軌道に乗っている存在だが、ここの凄いところはここが彼のアトリエであるため、実際に彼に会って話ができるところである。私が伺ったときも彼はいたが、不運なことに私が入ってすぐ彼はどこかに出かけてしまった。その代わりと言ってはなんだが、ブティックの店員と展示されている作品の話や私の個人的な話について長々と話し、あっという間に30分ほど経過していた。
日も沈み始め、お腹も空いてきたため、夜ご飯を探すことに。私が今回伺ったのは「Calanthe Art Cafe」という夜10:30までやっているカフェレストランだ。勘のいい人はなんとなく私がこの店を選んだ理由がわかるかもしれない。そう、「店名にArtがついているから!!」っていうのは半分冗談で、こちらもローカルなニョニャ料理を扱うレストランであり、店内は多くのお客さんで賑わっていた。メニューを受け取り、"あの"料理がないか、くまなく探す。「あった!!Asam Pedas(アサムパダス)!!」行きのバスでとなりのおっちゃんが激推ししてた料理である。形相を変え「これがうまいんだよぉぉ」と熱弁しているおっちゃんを信じないやつがいるだろうか。土鍋に盛り付けられて運ばれてきたまだ沸騰の余韻が残るAsam Pedasからはトマトの酸味とカレーのスパイスのような香りが私の空腹をさらに刺激し、臆することなくスプーンを突っ込んで口に運んだ。
酸っぱい辛いうまい!!ダイレクトに3つの味覚が表出する。Asam Pedasとはよく言ったものだ。Asamは酸っぱい、Pedasは辛いを意味する。Sedap(うまい)はさすがに主観的すぎるためか、料理名からは外されていたが、とにかくうまい。トマトベースのスパイスが効いた魚の煮込みカレーと言ったところだろうか、小ぶりの魚がスープの中に入っており、よく味が染みている。一緒についてきたご飯が止まらない。汗だくだった私をみて、中華系のいかにもお店のお母さん的存在の人が、「辛くないかい?」と声をかける。「大丈夫ですよ!辛い食べ物好きなんです。」と答えたものの、さっと水を持ってきてくれた。優しい気遣いに目からも汗が出てきそうだった。このお店は内観もおしゃれで、料理もおいしく、店員さんもフレンドリーだったので、ぜひ訪れて欲しい。
「いやー、今日は歩いたー」誰もいない閑静な小道でつぶやく。スマホの歩数計は15000歩に達していた。明日は朝6:00に起きて、そのまま8:00出発のバスに乗らなければならず、旅の疲れもあり、ゲストハウスに着くやいなや眠りにおちた。
翌朝、散歩するかどうか迷ったが、前回間に合わなかった教訓を生かし、さっさとタクシーに乗り込みバスターミナルへ。
タクシーが街を離れる。神秘的な朝焼けが街を包み、街の輪郭を静かにぼかす。私がモネだったらこの風景を切り取りたい。そう思ってしまうほどの幻想的な風景だった。散歩しなかったことの後悔の念を起こす。寝ぼけ眼な私に、タクシー運転手は陽気に話しかける。「よう!どこから来たんだ?」「ジャパン」「ウェルカムトゥーマレーシア!!」そこからおっちゃんのマシンガンマレーシアガイドが始まる。英語の訛りが強かったので半分以上聞き取れなかったが、マレーシア人はフレンドリーで陽気な人が多いことに改めて気づかされる。多民族国家だからだろうか、来るものを拒まず迎え入れてくれる。
そんな温かみがあって、活気があって、あらゆる文化が溶け合ったり、そのままだったりするゆるさ、境界の曖昧さがなんか好きだ。悪く言えば雑だが、日本はきっちりしすぎて、あらゆることに気を張りすぎだと思ってしまう。「なんとかなるさ」の精神を持つことで、心にゆとりができ、あらゆることに神経質になって心に不調をきたすことを防ぐことができるのではないかと考えさせられた旅であった。
次はどこへ行こうか。高速を120kmでウインカーもつけず車線変更をするバスの車内で「次」が来ることをただひたすらに祈り続けていた。
長々書きましたが、読んでいただき本当にありがとうございます!!
参考文献