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Week3 マラッカ一人旅「きょうかい。」短編エッセイ前編


1.まえがき「ひとり旅のすゝめ」

ひとり旅は、いい。もちろん誰かと旅行するのも楽しい。だがそれは純粋にエンタメや娯楽として消費するコンテンツとして楽しんでいるのに近い。ひとり旅のいいところは、矢印を向ける相手が人ではなく、訪れた街そのものに向き、街との対話に集中することができることだ。

誰かと旅に出かけたときを思い返すと、私は相手との会話や相手に気を遣うことに集中し、相手の行動に合わせることが多い。楽しいことも多いが、それはその人といることで楽しかったからで、街の魅力を存分に感じたからではないと思っている。現に、誰かと旅行に出かけたときは、行った場所と何をしたかは覚えているのだが、それが具体的にどんな場所で、その場所の魅力はどんなことで、そこで何を感じていたかについてははっきり思い出せない。というかその時、その思考にまで至らない。
 
街をひとりで歩くときは、そこにあるあらゆるものを観察する。
人、建物、看板、植生、街並み、お店の内装・外装、、、
私の5感は最大限研ぎ澄まされる。
 
街は私にその街の個性を教えてくれる。私はそれを熱心にスマホのメモに残す。対話の中で気づいたことが羅列する自分のメモを見返した時、自分だけが知っている秘密をたくさんもっているような優越感に浸れて、なんとなく気分がいい。子供のとき学校の校庭に作った秘密基地に自分のお気に入りの木や石を集めて眺めている感覚に近い。
 
また、メモは私の街に対する理解を深めるのを助けてくれる。メモには仮説も多いが、事実ももちろん残しているため、その街の話題になったとき強い。詳細にその町について語ることができる。
 
ひとり旅の魅力はそれだけではない。私はよく写真をとるため、街歩きに没頭しているときは、感性がよく働き、撮りたいと思わせるシーンが幾度となく顔を見せる。まったく写真が上手なわけではないが、自分のお気に入りの写真が蓄積されていくのは心地いい。後から写真を眺めると旅行の追体験にもなる。

ひとり旅してるときに撮ったお気に入りの猫の写真
タイトル「余裕」

さらに、海外では特にだが、ひとり旅が結局ひとり旅で無くなることがよくある。ひとりでいる方が、現地人に話しかけられる確率はぐんとあがるためだ。勧誘につかまりやすくなることは否めないが、それでも意外と会話相手には困らない。ゲストハウスなんかに泊まれば、個性的な旅人や現地をよく知るオーナーとなかなか充実したここでしか聞けない貴重な会話が楽しめるものだ。今回の旅もたった1泊2日ではあったが、長話をした人は4人にものぼる。

そして一番のメリットは誰にもなにも言われず、自分の行きたいところに行けることだ。そして旅行中トラブルがあったとしても、責任は私だけにある。おいしそうだと思った店が高いわりにはおいしくなかったり、間違ったバスや電車に乗ってしまって、旅程がくるってしまったりなど誰かと旅行していて途中で予定通りいかず、気まずくなってしまう瞬間はありとあらゆるところに潜んでいる。それが私の責任だった場合、なおさらいたたまれなくなってしまう。その責任がひとり旅には、ない。途中で旅程は変更し放題だし、失敗しても誰にも迷惑はかからない。気の向くままに旅ができる快感はひとり旅愛好家の方ならよく理解してくれることだろう。
 
とまあ、前置きからひとり旅をなんとか正当化するような弁論をつらつらとたれるのはやめにして、そろそろ旅に出かけようと思う。

2.朝食そしてマラッカへ

旅行の日の朝、目覚ましが鳴る前に私は目を覚ましていた。淡泊な性格にしては珍しく、本能的にこの旅を楽しみにしていたようだった。
 
クアラルンプールからマラッカまではバスでいくのだが、バスが発つ時間にはまだ余裕があったので、学内でマレーシアの朝食としてはど定番の「ロティチャナイ」(簡単にいうとカレーとナン)が人気な食堂があるので、そこに向かった。
 

マレーシア定番朝食「ロティチャナイ
余談だが、マレーシア料理は主に4つの料理からなる。
マレー料理インド系料理中華系料理ニョニャ料理の4種類だ。
ロティチャナイはインド料理に該当する。

8時半というのに、なかなか混雑している食堂の中でロティチャナイのコーナーはとりわけ盛況していた。

列になってるんだかなってないんだか、待ってるんだかないんだかよくわからない集団につっこみ、とりあえず様子をうかがってると、無愛想とまではいかないが随分あっさりとした対応のインド系マレーシア人が「注文は?」とたずねて来たので、すかさず「ロティチャナイひとつ」と返す。
 
待ち時間、とくにやることもないのでおっちゃんの作ってる作業を眺める。じっと眺めてて思うがこの作業がとにかく美しい。学がないので、いい例えが浮かばないが、たぶんピザ職人がピザ生地を手と板を使って縦横無尽にしかし限りなく均等に伸ばす作業に近いんだと思う。

だが、ロティチャナイの生地はピザよりももっとずっと薄い。ぎりぎりまで薄く伸ばした生地を鉄板で丁寧に焼き上げる。こんがりと焦げ目が多少ついた見た目と香ばしさが食欲をそそる。トレーに生地とカレーの小皿が盛り付けられ、後ろにあったレジに向かうよう指示される。
 
これが何と1.5RM。日本円で45円ほどである。物価が安いってほんとにすばらしい。空腹だったので、テキトーにその辺の席につき、さっそく一口。まずはディップせずそのまま頬張る。「もちもち!!!!」心の中で叫ぶ。小麦の優しい甘みがくちいっぱいに広がる。すかさず今度はディップしてもう一口。「・・・おいしい!!!!」ジャガイモベースのピリ辛カレーは生地のもつ風味や甘味を消すことなくむしろ引き立てる絶妙な味付けで、文句なしのバランスであった。食べる手を止めることができず、ものの2分で跡形もなく消えていた。
 
そうこうしている間にバスの出発時刻まであと1時間半に迫っていた。TBSという日本で言えば新宿バスタにあたる場所に向かっているのだが、公共交通ではどう頑張っても1時間はかかる。慌ててオンデマンド配車サービス「Grab」に目を通すも500円とちょっとかかってしまう。日本のタクシーの感覚で行けば十分安いのだが、貧乏な私は「これではKL(クアラルンプール)からマラッカへの片道2時間半のバスより高いじゃないか!」(KLからマラッカには往復1000円未満で行ける)と言って、結局公共交通機関を使うことにした。(こっちの公共交通は破格で、基本的に電車やバスで30分以上移動しても100円未満で収まることが多い。)ここでも私は「もうすでに十分KL市内を旅行しており、市内のことはだいぶ頭に入っている」と高を括ってGoogle Mapの指示には頼らず、自分の脳内ではじき出された最短距離で向かうことにした。だが、途中「Touch 'n Goカード」(日本でいうSuica)が使えない路線KTM Komuter)を使わなければならない羽目になり、切符の買い方がわからず、もたもたしているうちに電車を逃し、さらにはバスの時間も間に合わないことも確定してしまったのである。

結局タクシーを使った場合と同じぐらいの金額のロスとなってしまった。この出来事は、自分に過度に自信を持たず、重要な判断を迫られるときは理性的にかつ目の前の損得感情に左右されないよう心掛けることのよい教戒となった。
 仕方なく1時間後に出発するバスを予約し、TBSにかろうじて30分前にはたどりつくことができた。
 
内観はバスターミナルというよりは空港で、バス乗り場に行くまでに搭乗ゲートがあったり、バスの目的地や出発時刻、出発ゲートの場所などを知らせる大きな電光掲示板があった。携帯ショップやコンビニエンスストア、日用品売り場などのお店も多数備わっており、ここでは特に不便しない。

TBSの様子

バスに乗車するためには紙のチケットが必須なようで、オンラインで予約した場合も、一旦チケットオフィスに立ち寄ってから紙チケットを発行するらしい。

発行も終え、「いよいよマレーシアの高速バスに初めて乗れるぞ!!」と胸の高鳴りを感じてバスを待っていたが、いっこうにバスが来る気配がしない。時間はとうに予定された出発時刻を過ぎている。

初めてだったので、「もしかしたら私が目を離した隙にバスがやってきて行ってしまったのかもれない」や「もしかしたら私が知らない間にバスの搭乗ゲートが変わったのかもしれない」などごくごくわずかな可能性の不安の種も自分の中では大きなつぼみとなって脳内を支配していた。

ようやくバスがこっちに来たときには予定した時刻を45分もオーバーしていた。「さすがはマレーシア時間通りに来ると算段する日本人的感覚では狂わされるな」と気づいた。
 
バスの車内は警戒していたほど座り心地が悪いわけではなく、なんなら日本よりシートがふかふかでリクライニングも最初からゆったり倒れていて、空調もちょうどよく、昼行便でも電気は落とされていてカーテンもしまっており、おまけに意外とみんな車内では静かで、車内アナウンスもいっさいないので眠るには最適の空間だった。
 
しばらくバスでうとうとしていたが、隣に座ってきた、中年で肉好きがよく、愛嬌のある顔立ちのマレー系の男性に話しかけられ、お互いの家族や職業など他愛のない話をした。どうやら彼は毎日通勤のためマラッカとクアラルンプールを往復しているようで、「どうしてですか?」と私が訪ねると、「家族がマラッカに住んでて、マラッカの方が物価や家賃も安いし、給料はKLのほうが高いから。ほら、僕今2人子供いてさ、どっちも養うためにはがんばらなくちゃ」と顔をほころばせつつも語調からはどこか覚悟のようなものを感じた。

それ以降、彼は子供について語り始め、スマホも取り出して写真もどんどん見せてきてくれた。いきいきとしている彼を見て、ほんとに家族が好きなんだなあとただただ感心していた。ずっと話してくるだろうなと予想はしていたが、意外とあっさり20分ほどで会話は終わり、私はバスの乗り心地のよさから睡魔に襲われていたので爆睡した。
 
気づいて目を覚ましたときには、みんなぞろぞろとバスを降り始めていた。隣にいた男性はすでにバスを出ており、私も急いで降りる人の後に続く。
 
着いてからはやはりKLとは圧倒的に違う、どこかあたたかく、どこかなつかしく、歴史と現在までの時間の流れを凝縮したような不思議な違和感ただよう街並みに包まれていくのであった。

続きは後編で!!!随分長くなりましたが見てくれてありがとう!!
後編はこちら!!


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