才能の見つけ方
以前、誰しも才能を持っているということ、そして才能の活かし方について考えてみました。
では、そもそも私たちはどうやって才能を見つけたらいいんでしょうか。自分の才能、他人の才能、どうやって気づくのか、考えてみたいと思います。
ChatGPTに聞いてみました
最近話題のAI、ChatGPTに聞いてみました。
Q:どうすれば自分や他人の才能を見つけられるのか?
ChatGPT:才能を見つけるには、次のようなステップを踏むことができます。
自分自身の感興と興味に焦点を当てる: 自分が本当に好きなこと、才能を備えていると感じることは何かを考えましょう。
試してみる: 感興と興味をもつことを実際にトライして、自分の才能を確認することができます。
他人からのフィードバックを受ける: 他の人たちからのフィードバックを受けることで、自分の才能に関する他人の意見を得ることができます。
教育やトレーニングを受ける: 才能をより深く理解し、活用するために、関連する教育やトレーニングを受けることも大切です。
また、他人の才能を見つける場合は、彼らが興味を持っていること、特に得意なことを観察することも有効です。さらに、他人からのフィードバックやアドバイスを受けることも役立ちます。
Q:自分の才能を見つけられないと悩んでいる人がいるのはどうしてでしょうか?
ChatGPT:自分の才能を見つけられないと悩む人がいる理由は、様々な要因があります。
自己評価の欠如: 自分自身の能力を正確に評価することができない場合、自分の才能を正確に把握することが困難になります。
社会的期待と影響: 社会的期待や周囲からの要求が強い場合、自分自身の感興と興味に焦点を当てることが難しくなります。
自信の問題: 自分自身の能力や才能に対する自信の欠如がある場合、自分の才能を見つけることが困難になります。
経験や環境の問題: 自分が試したことのないことや、環境が適切でない場合、自分の才能を正確に把握することが困難になります。
これらの問題を乗り越えるためには、自己評価能力の向上、自分自身の感興と興味に焦点を当てること、自信を養うこと、新しい経験を積むことなどが大切です。
うーむなるほど、なんか正論ですね…
それはそうですよね…これは正しそうだと思いますけど…
何だか少々核心をはぐらかされたように感じてしまうのは気のせいでしょうか…。
才能とは何か考えると見えてくること
ここまでみてきて、そもそも才能とは何か?ということにAIは全く触れていませんね。
ネットで意味を検索すると、コトバンクには次のように載っていました。
”物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。”
その例文として、「音楽の才能に恵まれる」「才能を伸ばす」「豊かな才能がある」などが書かれています。
果たして才能とは、”物事を巧みになしうる生まれつきの能力”、本当にそうでしょうか。
ある意味ではそうです。例えば幼少期の物理的な身体能力。これは遺伝子の影響が大きいですから、生まれつきの能力と言えるでしょう。
しかし大部分の場合、実際の才能とは、あくまで”他人から見て生まれつきに見える能力”ではないかと思っています。だって、「これが僕の才能です」っていう人あんまりいないですよね。それは、基本的に才能だと思われる能力は他人からの評価だからです。
例えば楽器がすごく上手い子供がいたとします。才能あるねぇ、となりますけど、生まれてすぐ楽器が弾けるわけではないですよね。脳の発達から考えて、上達が早い、という生まれつきの特性はあるかもしれませんが、運動学習を伴う楽器の演奏という回路がもともと脳の中で出来上がっているということは無いのです。
習ったりとか、たまたま自分で好きでやってみて、のめり込んで練習して上手くなってきたはずですよね。ではこのとき何がその子を成長させたのでしょうか。
それはつまるところ、「継続したから」でしょう。練習を反復し、動作を身につけたわけです。
物心がつくかどうかという幼い子供における楽器の演奏の場合、ほとんど保護者が教育を受けさせることによって成立するでしょう。ですが、だんだんと年齢を重ねていくと、続ける人と嫌になってやめてしまう人がいますよね。継続できなかった理由としては、それを楽しめなかったからでは無いでしょうか。
あるいは、大人が何かを始めるとき、それを楽しめるかどうかが継続のポイントであることが多い気がします。例えば楽器を始めたとして、楽しければ続くし、そうでなければ自然と離れていきますよね。一方で、あんまり好きじゃ無いけど、モテたいという理由で一生懸命練習することができるかもしれません。練習してる最中は大変に感じても、それもある意味、認められ、賞賛された時に達成感を覚えて、また練習したくなる、つまりそれも広義の楽しさの一種だと思います。
スポーツのすごい選手も、楽器の演奏者も、話を聞けば小さい頃から才能があると言われていた人ももちろん多いですけど、その能力はほとんど全ての場合、泥臭いような地道な練習を続けてきた結果として獲得されたものですよね。
物心つく頃から習っていてそれが生活の一部になっている、というわけでも無い限り、どうやったらそんな練習を継続できるかと言えば、それは楽しめるかどうかにかかっているでしょう。
楽しみながらできていることに目を向ける
そう考えると、才能ってなんだろう、という問いに対しての答えの一つは、ある物事を楽しめる能力のことなのではないか、と思うのです。
楽しむことによって自然と継続し、楽しむことによって結果的にそれが得意になっていく。
好きこそ物の上手なれ、という言葉はまさに、楽しくて好きにやれる方が、何かに我慢して続けているより何倍も上達への近道ということを表しています。字の如く、楽しい方が、その人にとって実は楽なわけです。
この気持ちの影響が学習や運動機能に影響するというのは脳科学的にも明らかにされています。
一つの例として、怪我をした後のリハビリがあります。回復することを諦めてただ体を動かすよりも、やる気や頑張りがある方が、運動機能の回復を効果的に進められることが示唆されています(参考文献, Sawada M. et al., Science, 2015)。
少しづつ動かせるようになっていく喜びを感じつつ自らモチベーションを持って取り組んだ方がやはり効果的なわけです。
もともと気分に関わるような脳の領域である側坐核という部分は体の運動には関係しないとされていました。それが実は近年では、関係しているしむしろかなり重要なのではないか、という知見が集まり始めています。
つまりまとめると、自分の才能を気づくには、いろいろなことを経験していく中で「自然と楽しみながらできていること」に目を向けることだと思います。
苦手なことを克服するのももちろん大事ですが、気づけば楽しみながらやれていること、それこそが無意識に培われた一つの才能であり、他の人に比べて少ない負担で努力ができることの結果として何かが得意になる。つまり他人から見ると才能に見えるというわけです。
他人と比べない
僕は自分の、あるいは他人の才能を見つける上で重要なことは2つあると思っていて、一つはここまで述べたように「楽しめることに目を向ける」ことでした。
そして2つ目に重要なことは、「他人と比べない」ということです。最近よく言われる表現でいくと、まさに評価軸を自分にもつ、ということになります。
他人と比べると、そこには絶対主観的な優劣がつきます。相手より自分は優っているか?劣っているか?
そしたら大抵、上には上がいるものです。いつまで経っても自分の評価が上がることはないでしょう。
僕も元々ネットで自分のピアノ演奏を投稿するなんて、ましてやLIVEでやるなんて思いもしませんでした。ピアノを習っている人、上手い人なんて山ほどいるのに、自分が発信する意味なんてないと思っていました。でもそれは人と比べていたからです。
自分の演奏や練習過程を、自分の成長記録として投稿してみよう…最初に投稿を始めたときはそんな気分でした。
でもだんだん聞いてくれる人がいてくれたり、自分が演奏した伴奏で歌ってくださる人がいたり、どんどん楽しくなっていきました。
つまりそれは、他人と比べたら(自分の想像する)才能には程遠いと思ってしまうと思うんですけど、自分の中では、”楽しくて続けられる!この挑戦をしてよかった!人生が豊かになる…!” そんな経験ができればそれは十分、その人の才能なんじゃないでしょうか。そういうことを繰り返していくうちに成長していけるんじゃないかなと僕は思っています。