住めば都の条件・幸せになりたい人は幸せになれない
住めば都という言葉があります。
「不便な、不自由な土地に住んでいても、住み慣れれば都会と同じように暮らしやすい場所になっていく」と言う意味ですね。
僕はいつも”住めば都マインド”を大事にしています。このマインドの持ち方が人生の幸せということに関係していて、すごく大切だと思っているからです。それについてお話ししたいと思います。
__目次__
・住めば都マインド
・年収と幸福度の関係から考える
・どうしたら幸せを感じ取ることができるか
・例外は、成長したいとき
【住めば都マインド】
これまで人生で10回ほど引っ越しを経験しているんですけど、その全ての場所が、僕の故郷だと思えるほど好きです。ちなみに今住んでいるミネソタ州は、僕にとって第5の故郷です(県や州で数えると)。本当に僕は人生ラッキーの連続だなぁと思っています。
住めば都という言葉がありますけど、実際にそうなるには条件があります。
それは「今が幸せだと感じられる力」を持つこと。
なんて不便なんだ、なんて不自由なんだ。そう思っているうちは、暮らしは良くならないですね。冬はマイナス30度にもなるミネソタに住んでいて、日本人も少ないから日本に馴染みの食材も手に入りづらい。英語も全然得意じゃないから、意思疎通が難しいことばかり。本当に生きていくのは大変!と思う人もいると思います。でも正直に言ってしまうと、毎日僕はめちゃくちゃ楽しくやっています。
生きている以上、絶対に問題は発生します。
それを人や環境のせいにしないこと。
いかに自分で解決するか。適応する力が問われているんです。
確かに寒いけど、屋内は暖房効いてて暖かいから全然問題ないですし、アメリカの食材は美味しいものがたくさんあるから料理も楽しいし、僕の住んでるところは全くアジアの食材が手に入らないわけでもないので工夫しながら食事を楽しんでいます。
でも話に聞くと、不便さを感じたり快適に思えなくて帰国していく人が結構いらっしゃいます。食事が合わないとか気候が合わないとか、人によって理由は様々だと思います。もちろんそういう人たちを非難する気持ちは無くて、より幸せになるための選択肢として良いと思います。僕はたまたまこの地が自分に合っていただけかもしれません。
でも、今までの僕の人生、たまたま全部ラッキーだったのだろうか、と考えると少し疑問はありますよね。大変なこともあるし、いろんな経験があります。人生サイコーだなと思う理由は、自分が感じる幸せを、たとえ小さな幸せだったとしても全部拾い集めてきたからだと思うんですよ。
そう考えると、住めば都の条件を満たせるのは、
抱いた不満を環境のせいにせず、今現在の幸せを感じ取ることができる人。
…ということになります。これを僕は”住めば都マインド”と呼んでいます。
これは人生の幸せに関しても当てはまると考えています。
【年収と幸福度の関係から考える】
年収が上がっていくと生活の幸福度も上がっていきますけど、あるところでだいたい幸福度は頭打ちになる様です。それが、年収800万円から1000万円。だから年収1000万円でも5000万円でもそれ以降は幸福度はあんまり変わらないということらしいんですよね(体験したことないから本当のところはわからないですけど)。
(参考:「満足度・生活の質に関する調査」に関する第1次報告書)
当然生きていくために必要なものを買ったり食べたり暮らしたりするのにお金が必要です。でも大体必要なものというのは決まっていて、それ以上はいわゆる贅沢品になっていきます。
では、どこが自分にとって幸せのラインなのか。
幸せになりたいと思っている人は幸せになれません。なぜなら、自分が現在幸せでないと自分で認めているからです。幸せになりたいからお金を稼ぎまくる!となったとして、いくら稼いでも幸福度は上がっていきません、というデータが出ているのですから、どこまで行っても幸せにはなれないのかもしれません。
どこが幸せなのか?という問いに関しては、答えは”今”しかないんです。
今の現状が幸せだと感じられる人だけが幸せになれるんです。
幸せって実際には数値で測れるものではありません。その人がどう感じているかが問題になります。だから人と幸福を比べる意味って全く無いんです。
人は無意識に他人と幸福度を比べたくなるものです。でも比べてしまうと優劣を感じるからこそ、幸せになりたいという意識が生まれるんです。人間は無い物ねだりなんですよね。そりゃもちろん世界には自分の持ってないものを持ってる人の方が多いわけです。足りないものに目を向けると、終わりが無いわけです。
【どうしたら幸せを感じ取ることができるか】
ここで大事なこととして、「自分の感覚を大切にしましょう」と言いたいですね。お腹すいたときに食べるご飯の一口目って、ものすごく美味しいじゃないですか。それがどんな高級な料理とかじゃなくても、いつも食べてるものとかコンビニのおにぎりであっても、美味しい。それは幸せじゃないですか!
当たり前のことなんてこの世にはないと僕は思っています。一つ一つの自分の身の回りの出来事は、”特別”なことなんです。他人と比べることなく、今の自分の感覚を大切にできる人こそ、幸せを感じられる人でしょう。つまり今幸せな人は、今までもこれからも幸せなんです。
ただし、自分の感覚だけでは幸せを感じられない・気づかないこともあります。そんなときだけ、他人の感覚を少し見てみてもいいかもしれないと思います。よく見回してみると、こんないいことがあった!楽しかった!嬉しかった!という声は溢れているんです。
自分では当たり前だと思っていたけど、幸せを感じるところなんだ!と気づくこともあるかもしれないです。僕はそもそも誰かが幸せそうなのが好きなので、そういう声は積極的に目に入れる様にしています。
この時に自分と比較するのはあまり良くありません。優劣でとらえてしまうからです。あくまでその人が”どう幸せを感じ取ったか”に注目します。他人の出来事というのは、その人にとって特別な出来事であって自分の事では無いから、本来比較はできないのです。比較して優劣をつけるより、その過程に着目できる視点を持ちたいですね。
幸せだと思っている人に幸せはもたらされる。
【例外は…】
この「住めば都と幸福」、幸せを考える上で大切にしたいマインドということでお話ししましたけど、一つ例外もあります。
それは、自分に負荷をかけてそれをバネに何か頑張りたいときです。例えば自分のスキルを上げたい時。現状に満足しているだけだと、それ以上の成長は見込めなくなってしまいます。これじゃダメだ!このままじゃダメだ!って思う気持ちも必要な時ってありますよね。
この場合は、自分に”足りないもの”に目を向ける必要があります。
ただしこれは決して不幸を感じる場面ではないことは、ここまで読んでくださった方なら想像できると思います。
「自分にはこれだけの”伸び代”があるのだ」という風に捉えてください。つまり、足りないものに目を向けるのと同じくらい、自分にできることに目を向けることが大切であるということです。
やらなきゃ、という気持ちより、やってみたい!という気持ちをモチベーションにした方がいいと僕は考えています。今の自分に何ができて、何が足りないか、それをポジティブに捉えられた時こそ、幸せを感じながら成長できるのだと思います。
__あとがき__
ところで、幸せになりたい!と思うのって当然なので、僕はそう思う気持ちを否定したいわけじゃありません。
例えば彼女欲しい!って言ってる”だけ”の男より、何かと戦っていたり成長していく姿が見えたりする人の方が魅力的じゃないでしょうか、ということにもなんか通ずる気がするんですよね。
今、幸せです。充実してます。でももっと面白そうなことがあるから、ちょっと成長目指して頑張ってみます!っていう塩梅が、人生にはちょうどいいんじゃ無いかなぁと思うんです。