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捜索・差押には裁判所の許可状が必要なのに人を捕まえるのには不要とする入管のロジックを論破する

2023年5月18日の参議院法務委員会の審議で、仁比聡平議員から、入管の違反調査手続で家の捜索や物の差押には裁判所の許可状が必要なのに(入管法31条)、人の自由を拘束する収容は令状なしなのはおかしいではないか、と質問していただきました。

こちらの5月18日法務委員会5時間48分頃です。

自分のPC内を検索したところ、少なくとも2005年くらいからは同様の問題意識を持っていて、東京弁護士会の収容制度法改正案(2019年3月)では言及していました。

今年に入っても5月11日のこちらのスペースでも言及していました。

ずっと前から問題意識を持っていた者としては、正面から国会で取り上げてもらえて感無量ですが、これに対する国側の正式な反論を初めて聞くことができたのも、新鮮でした。

政府の見解


上記ビデオにあるとおり、出入国在留管理庁西山卓爾次長の答弁は以下のとおりです。長くなりますが文字おこししました。

送還及びこれを確実に実現するための手段である収容を含め一連の退去強制手続は行政権の行使として基本的に事前に裁判所の許可を要することなく、行政機関の判断で行うことができるとされています。
他方、退去強制手続における臨検・捜索・差押えについては、予め裁判官の許可を要するとされているところ、これは退去強制手続において当然に予定されているとはいえない権利利益の制約がありうることによるものでございます。
すなわち、退去強制手続における収容は、行政権の行使として送還を実現するために直接必要となるものであり、収容による当該外国人の身体の自由の制約は送還に伴い当然予定されているものといえます。
これに対して、退去強制手続における臨検等は、退去強制事由該当性の判断に関する資料の収集のために行われるものであり、これによる当該外国人や第三者の住居の平穏、財産権などの制約は送還に伴い当然予定されているものではなく、退去強制にかかる行政上の判断とは別に人権保障の観点からその適否が判断されてしかるべきものでございます。
そこで、臨検によりこれらの権利を制約するにあたっては、事前に裁判所の許可を要することに致しているところでございます。

その上で、実務の運用につきまして申し上げますと、個別の事情において逃亡のおそれ等を考慮し、収容の必要性が認められないものについては、実際に収容することなく手続を進めていますところ、その割合も7割に及んでいるなど、人権にも配慮した柔軟な対応を行っているところでございます。

また、令和3年に退去強制手続の対象となった者、すなわち令和2年末時点で収容令書または退去強制令書が発付されてかつ退去していなかった者、令和3年に新たに退去強制事由に該当すると判明した者の、令和3年末の時点の収容期間を算出したところ、その平均は、速報値でございますが、約65日であり、全体の約88%が収容期間が1か月未満であったものであり、運用上、ご指摘のような行政機関の判断による無期限収容という状態になっていないものと考えております。

これに反論していきます。

「送還のため当然予定」←外国人に人身の自由があることを無視している

まず、「収容による当該外国人の身体の自由の制約は送還に伴い当然予定」という部分は、入管の外国人に対する見方をよく現していると思いました。

捕まらないで生活する自由、すなわち人身の自由は最も基本的な人権です。「人権」というのは、人が人として当然に享有する権利のことです。ですから、外国人であろうが、在留資格があろうがなかろうが、人であれば当然に有する権利なのです。強制送還の対象となったからといって、当然に奪われる筋合いのものではありません。
在留資格がなくなったというだけで、人であれば当然有する権利である人身の自由は認められず「収容による当該外国人の身体の自由の制約は送還に伴い当然予定」というのは、「人」として認めていないことに他ならないです。入管らしい言い分とはいえます。

「直接必要」というのは従前の国の見解や運用と矛盾する

また、収容が送還に直接必要、と述べている点は、明らかにこれまでの国の主張と矛盾します。
国は、これまで入管収容においては、退去強制事由に当てはまる外国人ならば誰でも収容できる、逃亡のおそれなど拘束する必要性を考慮する必要はないという全件収容主義(原則収容主義とも収容前置主義ともいいます)を取っていました。
国の主張はこちらの「『全件収容主義』は誤りである」という論文でも紹介しています。
ところが、今回の国会答弁では、収容は送還のために「直接必要」だと言い出しました。矛盾しています。
さらに、西山次長は、実際には7割ほどが収容されていないとも述べています。送還のために「直接必要」ではないことを、自らの答弁内で告白してしまっているのです。

政府案の収容に代わる監理措置との矛盾

さらに、西山次長の示した見解は、政府案の収容に代わる監理措置と矛盾していることに気づかないのでしょうか。
政府案は、「原則収容主義」からの脱却として、収容に代わる監理措置の新設を提案しています。入管のWebサイトの(3)①に次のとおり書かれています。

「原則収容」である現行入管法の規定を改め、個別事案ごとに、逃亡等のおそれの程度に加え、本人が受ける不利益の程度も考慮した上で、収容の要否を見極めて収容か監理措置かを判断することとします。

出入国在留管理庁 「入管法改正案について」より

そうだとすると、政府案においても、収容は送還のために「直接必要」ではないことになります。
であれば、収容に代わる監理措置も、送還のために「直接必要」な制度ではないのですから、臨検・捜索・差押同様に、裁判所の事前許可にかからしめるべきではないでしょうか。ですが、政府案では、現行法同様、事前の司法審査は必要ないのです。おかしいですよね。

令状主義(憲法33条)は入管手続にも準用される
憲法33条は次のとおり定めています。

何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

「現行犯」「犯罪」とあるので、直接的には刑事手続に関する条文ですが、憲法の教科書にはこんな記述もあります。


身体の拘束は、刑事手続以外でも行われることがある。法律の定めている場合を例示すれば、①出入国管理及び難民認定法39条(強制収容)、43条(緊急収容)(中略)。これらは刑事手続ではないが、身体の拘束という重大な利益にかかわるから、本条が準用されるべきである。33条の最も重要な趣旨は、身体拘束の正当性が原則として事前に、裁判所により判断されるということである。行政手続の場合は、裁判所が判断するに必ずしも適しない問題もあろう。しかし、少なくとも、裁判所と同視しうるような中立した判断機関が必要である。(中略)
以上のような点を考慮して、右に例示した身体拘束の事例を検討し直す必要がある。(中略 入管収容は)判断機関が中立的といえるか疑問である。

野中俊彦ほか 「憲法Ⅰ(第5版)」(平成24年 有斐閣)421頁〜422頁

収容に事前の司法審査を導入すべきとする野党案の発議者として木村英子議員は、この憲法33条を根拠に挙げていました。まさにそのとおりです。
「身体の拘束という重大な利益」にかかわるものなのですから、その人権保障のために、事前の司法審査を導入すべきことは、憲法の要請なのです。国が言うような、「送還のために直接必要」というのは、何ら論拠にならないのです。

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