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2021年4月21日 入管法審議 衆議院法務委員会参考人意見
4月21日に行った参考人意見、国会の議事録が公開されていました。
動画は以下のサイトから見られますが、15分以上ありますのでハードル高いですよね。
読み上げ原稿は作っていなかったので、文字化してもらったのはありがたいです。
参考人意見 全文
私が最初に出会った難民は、当時十二歳だったイラン人の少女でした。彼女は、私の前で入管に収容されていきました。そして、日本政府からは難民として認定してもらえませんでした。二十五年ぐらい前の話です。その後、私は、入管の収容問題、あるいは難民問題、在留特別許可の問題に携わってまいりました。その立場から、本日はこの法案について反対の意見を述べさせていただきます。
私は、これから主に三つのことをお話しします。一つ目はこの法案の問題点。二つ目は長期収容、その問題についての解決の方針、あるべき方策。三つ目はこちらにいらっしゃる国会議員の先生方へのお願いです。
まず一つ目です。法案の問題点です。
既に問題点は幾つか指摘がありますが、監理措置についてお話をします。
監理措置は、収容に代わって、一定の場合に社会生活が送れる制度として、あたかもよくなるような説明もありました。ですが、判断の主体は、これまでと変わらない主任審査官です。そして、要件も、逃亡のおそれなどその他の事情を考慮して、主任審査官が相当と判断したときに初めて収容されない。今の入管の収容とはっきり言って変わりはないんです。判断主体も変わらない。要件も正直、曖昧なままです。
この主任審査官がやることに関しては、実際の令書を執行する職員ではなくて上級の職員がやるのだから大丈夫だという説明がされることもありますが、それは、国連などからは、その組織でやるのはもう公正さを欠くから第三者の目を入れるべきだ、司法審査を入れるべきだと言われているのに、いや、うちの上司がやりますから大丈夫です、部長がやるから、専務がやるから、だから大丈夫です、そう言っているようなものです。弁明になっていないと思います。ちなみに、名古屋のスリランカの女性が亡くなりましたが、彼女の仮放免を不許可にしたのもこの主任審査官です。
行政訴訟があるから大丈夫だという御意見もありました。行政訴訟の平均審査期間、御承知でしょうか。司法統計によると十五・七か月、一年四か月かかります。仮に勝ったとしても、決して迅速な救済とは言えません。しかも、国選弁護人の制度、刑事のようなものもありません。弁護士は自分で探さなくてはいけません。法テラスが使えません。費用も自分で払わなくてはいけません。制度的な保障、手続の保障が何もないような状況です。
収容の執行停止という制度があります。これは、本案の裁判が長くかかるので、仮の救済としてできるものがあります。ですが、この十年間で、執行停止で収容が解かれたのは一件もありません。つまり、行政訴訟ができるというのは、単に機会があるという、それだけのことを言っているだけにすぎません。効果的でもない、迅速でもない。
この点について、私は入管職員の方に質問したことがあります。答えは、それは裁判所の判断ですから、そういうものでした。入管だけの話をしているんじゃないんです。国家の制度として収容を適正にできるかどうかを話し、そして、それに対しては行政訴訟があるからということを説明しているのに、いざ行政訴訟はどうなんですかと聞いたら、それは裁判所の判断ですというのは、これは無責任ではないんでしょうか。
監理措置については、監理措置が認められなければ無期限の長期収容が続くのは今と変わりありません。上限を設けてしまうと強制送還が機能しなくなる、そのような説明もありました。ですが、この黄色い資料集の三百九十ページに諸外国の制度が表になって出ています。これによりますと、少なくともアメリカ、フランス、ドイツ、この三か国では収容に上限があります。この三か国は、送還ができないんでしょうか。送還が機能不全になっているんでしょうか。
あるいは、国連は一九九八年から、この長期収容に対して懸念を示し続けています。こちらに書いてある資料を後で御覧ください。二十何年間も、国連は、日本が送還が不能になるような勧告をし続けている、そういうことなんでしょうか。そんなわけはないと思います。このような、上限を設けても送還をきちんとできているところの実務を学び、上限を設けるのが、長期収容解消のための非常に端的な方法ではないかと考えます。
続いて、在留特別許可です。
この点は、先ほど、市川先生の方から話がありました。一年を超える懲役刑、実刑判決を受けた人については原則除外すべきではないという点です。
いろいろな背景を持って刑務所に行き、それから入管に行っている人がいらっしゃいます。例えば、日系人の子供として家族に、親に連れてこられて、だけれども、日本語教育もきちんとされない、言葉が分からない、勉強が分からない、周囲にもなじめない、友達もいない、そういう子供たちが少年事件を起こし、長じては刑事事件、成年になってから刑事事件を起こして、刑務所を出てから入管に行っている人、私は何人も会ってきました。
もちろん、全員が全員、そういうわけではありません。本人の責任というのもあるんでしょうけれども、そこにはやはり日系人を受け入れるところの無策、その被害者という側面もあろうかと思います。彼らは、家族全員、日本に来ています。本国に帰されても、誰も家族もいない、友達もいない、言葉ももう分からなくなっている、読めない、書けない、そういう状況で、日本に残りたいと言っている人を、私は何人も見てきました。
この場合に考慮するのは、原則として排除するのではなく、様々な要素の一つとして考慮するにとどめるべきです。
この一番下に比例原則と書きました。また、海外の事例で、資料の九というのをおつけしました。こちらは、ヨーロッパ人権裁判所や、あるいは国連の規約人権委員会の見解で出された代表的な例を三つ挙げました。最初のベレハブ事件というのは、かなりの、百何十件前科があったりとか何十件事件を起こした、そういう人がモロッコに帰された事件ですが、それでも、ヨーロッパ人権裁判所は、家族のきずなの方が大事だという判断を下しています。
ここでやられるのは、強制送還によって得られる国の利益と、引き裂かれることによって失う家族のきずな、そのどちらが大事なのかというのを同じてんびんで量って、こういう事件であっても家族の方が大事なんだという判決を下しているんです。
少なくとも、この原則排除という規定は削除すべきだと思います。
続いて、難民の話です。
柳瀬先生の方から、濫用の事例の話がかなり紹介されていました。私も、濫用が全くないというふうに申し上げるつもりはございません。ですが、非常に不思議なのは、日本の難民認定率は一%あるいはそれを切るぐらい、海外で、カナダとかですと五〇%を超えるような認定率があります。何で日本だけ九九%の人が、濫用者が来るんでしょうか。本当にそうなんでしょうか。
難民の話ですと、ちょっと大きな話、海外の事情も絡みますから、分かりにくいかもしれません。
最近、本当に毎年のように豪雨災害があります。それで、避難所に駆け込む方、難を逃れて避難を求める方、たくさんいらっしゃいます。例えば、こう考えてください。千人規模の避難所があります。ある村が運営しています。ここは、避難してきた人たちの半分以上、五百人を収容します、保護します。もう一方で、日本村が運営している避難所があります。千人入れます。ここには、たった四人しか入れません。残りはみんな濫用者だ、災害に遭っているなんかうそだ。そんな人がどうして日本村だけ九百九十人も来るんですか、ほかは半分入れるのに。
濫用者もいるかもしれません。こちらも全員を入れているわけじゃありません。ですけれども、二桁、三桁も違うというのは、それは申請者側の問題だけではなく、運営する側がおかしいのではないか、厳し過ぎるのではないか、そこに問題はないのか、そういうのを確認するのが普通なのではないでしょうか。
難民認定の問題も同じです。同じ条約の下で、同じ基準を使うべきで、そうであれば、これほどの、二桁も三桁も差がつくというのは考えにくい。日本だけ濫用者が集まるということについて、私は納得のいく説明を聞いたことがありません。やはり、見直すべきなのは、まずは制度の方、運用がきちんとできているのか、国際標準に従ってできているのか、そちらを先にすべきです。
資料の十に、ミャンマーの統計を出しました。二〇一六年から二〇二〇年までの間、日本でミャンマー出身の人で難民認定された人はたったの一人です。二〇一六年には、ミャンマーは、アウン・サン・スー・チーさん率いるNLDが政権を取りました。それまで、日本で難民認定をされていた人の圧倒的多くはミャンマーの国籍の人でした。それが、NLDが政権を取ったことで、迫害を受ける恐怖が払拭されたと判断したようです。以後、難民認定は全くされていません。ほかの国はどうでしょうか。数十人、百人以上、認定は続いています。
この違いは、本国の政府の状況に関する把握の仕方です。
国際難民法の通説的な考え方で、本国に変化があっても、それが本質的な変化に至っていなければ、迫害の恐怖は払拭されない、そういう理論があります。恐らく、ほかの国は、NLDが政権を取ったけれども、まだ軍事政権が途絶えたわけではない、そのようなことで、本質的な変化に至っていない、だから難民として認定している、そのような実務を取っているんだろうと思います。
日本政府が早々に迫害の危険がないというふうに方針を変えて、帰ってしまった人はどれぐらいいらっしゃるんでしょう。今どうなっているんでしょうか。日本政府がきちんとほかの国と同じような基準を使って、解釈を取って、難民認定を慎重にしていれば、もしかしたら失われないで済んだ命もあったかもしれない。
まずやるべきなのは、難民条約に入っている以上は、ほかの国と同じような基準を使い、難民の受入れに関して、加入している国として、当然の責任を分担する、まずはそれをすべきです。
先ほどの避難所の例でいいますと、入れないから何回もドアをたたくんです。一回目できちんとドアを開けてくれれば、複数回申請は激減すると思います。
次に、退去の命令に関してです。
こちらについては、まず、特定の送還に協力しない国の方を退去の命令の対象としていますが、これは、人種差別撤廃条約の、こちらに書いたところに反するおそれがあると思います。また、退去の命令の対象は確かに限定はされましたが、もう一つ、旅券取得命令というものが新たに法案に出ています。これは、送還停止効がある人だとか、あるいは、執行停止決定が出ている人、そういう人は関係ありません。退去強制令書が出ている人については、送還の準備のためにパスポートを取れと命令することができ、これに反した場合には、刑事罰、同じ刑事罰に科すことができる条文が入っています。
退去の命令は絞られたかもしれませんが、この旅券の取得命令で、家族と一緒にいたい、迫害を逃れたい、それで送還に協力しない人が刑事罰に問われる可能性が出てきます。
さらに、国連の恣意的拘禁作業部会の文書では、そもそも、非正規滞在は犯罪とすべきではないというのがうたわれています。
今の日本の入管法では、これらも既に刑事罰の対象になっていますが、今回の法案では更にそれに上塗りをする、加重するようなことが提案されているわけです。この無限のループ、退去の命令が出たけれども帰れない、刑務所に行く、刑務所の刑期が明けたらまた入管に来る、入管でまた退去の命令が出て、違反したら刑務所に行く。このループはいつやむのか、これについてどう説明するのか、私は今まで合理的な説明を聞いたことがありません。
では、どのような方策を取るべきかということをお話しします。
難民認定について適正にまずすべきということは、先ほどお話ししました。
もう一つは、在留特別許可の柔軟な運用をすべきだと考えます。詳しくは、この資料の二、共同提言を御覧いただければと思うんですが。
あるいは、資料の八番、今日お配りしたものの中に、A3になっている、カラーのこの表があると思います。
諸外国では、何十年も前から、非正規滞在者を、数千人から、多いところで何百万人、アメリカは二百七十万人というデータもあります、一斉に正規化し、在留資格を与えています。
これは、もちろん、その非正規滞在者の人権という観点もありますけれども、これによって、税金の担い手を増やす、社会保障の担い手を増やす、人手の不足している労働のところへの人材を確保する。確かに、もう既にオーバーステイという形で法に反しているかもしれないですけれども、日本の社会に溶け込んで、言葉もできて、友達もおり、職場もあり、そういう人たちを有効に活用しようということがこれだけの国で実施されているんです。
まさにこれは政治家の皆さんの判断ではないかと思います。大所高所に立った懐の深い政策が求められ、それが長期収容、送還忌避者の増大についても、解消のところにつながるのではないでしょうか。
最後に、先生方へのお願いを申し上げます。
こちらにいらっしゃる議員の先生方、一人でも多くの人を幸せにしたいという志をお持ちで、本当に日頃大変な職務に就かれているんだと思います。
人権外交に関する超党派議連というのができたと報道で聞きました。人権は普遍的な価値だから、国内の問題にとどまらず、外国にいる外国の市民を助けるために日本の国会議員の先生方が力を尽くそう、そういう趣旨と私は受け止めています。非常に崇高なことだと思います。であれば、日本にいる外国人の人権にも是非、目を届けていただきたい。
私には夢があります。国籍や在留資格とかに関係なく、全ての人が家族と一緒に暮らす、迫害の恐怖から逃れる、不当な身体拘束から解放される、あるいは、収容されていても適切な医療を受け、命を維持できる。いわば当たり前の世界が私の夢です。残念ながら、今回の法案はこの夢とは真逆の方向に向かっていると思います。
私は、この法案が通って笑顔になる外国人の姿が全く思い浮かびません。むしろ、既に苦痛に満ちている状況にあるのに、苦痛を更に加える、そういう内容になってしまっていると思います。
先生方へのお願いは、一人でも多くの人を幸せにしたい、笑顔にしたい、そのようなお気持ちをお持ちの皆さんだと思います。与党とか野党とかも関係なく、本当に多くの人を幸せにするためにはどういう法改正が必要なのか、妥当なのか、そこを改めて、立ち止まって考えていただければと思います。
以上から、私はこの法案に反対いたします。
ありがとうございました。(拍手)