旅序03-私の名前は『わたしのもの』
ダイアスのガールフレンドの話。
出会ったボートの上で彼女と話した時間はたぶん5分くらいだった。彼女はニューヨーク在住のデザイナー。ハイバリッド村のポサダ(宿)に滞在していると教えてくれた。2日後、何となく気になり、僕は彼女を訪ねることにした。
彼女のおススメどおり、ハイバリッドまでは湖を下に眺めながら歩いた。ポサダに入ると、彼女は緑に囲まれた庭でミシンを動かしていた。僕はそれから彼女と2時間弱話をした。恥ずかしながら、ずっと圧倒されたままだった。
彼女は中学2年生の時に登校拒否になった。その理由の一例。「『前にナラエをして背の順に真っ直ぐ並ぶ理由』がわからなかった」よく考えてみると、これは不思議な習慣だ。朝礼台があるんだから。ただ、日本人がそういうのが好きってだけだったんだ。
そして彼女は親の勧めでアメリカの高校に行くことになった。「英語なんてわからなかった。だって、one、two、・・・11がeleven、12がtwelveの時点でこれ以後法則性のないものがくるならもう覚えるの無理~って思ってやめたから。でも、アメリカ行く時16歳だったからsixteenは知ってたよ~。」・・・それでも気づかんかったんだね。でも、彼女の両親が彼女の高校に来たのは卒業式だけ。あとはすべて彼女がこなした。
「でもさー、日本でテーブルとかねー、結構知ってるから。アラビア語じゃないんだし」 ・・・普通16歳の女の子では何とかならん気がするが。
そして、大学は数学科へ。ドクターである。バリバリの理系エリート。そっち方面の話をしてみたが、学問的なことは英単語しかわからず、僕と話がかみ合うのには時間がかかる。
「それで今、デザイナーしてるの? 文化系だと思ってたよ。」
「デザイナーはねえ・・・服が好きだからやろっかなあと思って。その前は数学の高校教師。私の出身校、結構伝統ある少人数学校なんだけどね~、校長先生から「教師しないか?」って誘われて~、「ビザくれるんならやる~」って言ったらくれるっていうから。デザインを長くやるつもりないからショーが終わったら家庭教師やろうと思ってる。アメリカ人って学校いかなくてもいいって考えてる人多いからね。」・・・君の彼、あんだけお金持ちなのに。
おそらく誰かに身を預けて生きることを考えたことがないんだね。「ダイアス、すごいんだよね~」とか言っててもフラットに彼を見ていて、『私の彼、凄いでしょ! どや?』って感じが全くなかった。自分に真っ正直に生きていて、その生き方に疑問を抱くこともなく、僕のように日本的階段を登ってきた真逆なやつにもフレンドリーだった。別れ際、船着場の角まで送ってくれたときに僕が右手を差し出すと、彼女は笑ってきつくハグをしてくれた。彼女の細い身体からこんな力が出るんだとビックリするくらいに。僕もギュッと返した。ありがとう、と思った。
最後に、彼女のファッションショーはインターネットで見れました。「BLIP TV」で8月以降にON AIRされるそうです。(*2008年の話)彼女の名前で検索してもらえば大丈夫。
「彼女の名前は?」って? 彼女の名前は『私のもの』です。スペイン語だとそういう意味になるから自己紹介でいつも笑われるそう。名前が『私のもの』かあ。名前は凄く大切なのに、当たり前のように自分の意思無く授かるもの。
その名前が『私のもの』ってのは、彼女らしい。