くらっくぽっと

2008年、新卒で化学企業に入社して10年目、僕は会社を辞めた。 寄り道もせず、真っす…

くらっくぽっと

2008年、新卒で化学企業に入社して10年目、僕は会社を辞めた。 寄り道もせず、真っすぐに進んできたレールから降りることを決めて、シベリア鉄道に乗り込んだ。 中欧・地中海地域・中南米・アフリカ・中東・コーカサス・中央アジア・南アジア そして日本へ戻るまでの40ヶ月の旅の記録。

最近の記事

  • 固定された記事

世界一周 、『一筆書き』

白地図に訪問した国と地域をマークしてみた。 オレンジの星はこの長旅で僕が通り過ぎた国と地域、青い星はその前後に訪問した国だ。白抜き表示が気に入っている。2ヶ月滞在した国もあったが自分が通り過ぎた道筋を線で描いても、この星の輪郭にも達しないのだから。 1人の人間が行くルートなのだから一筆書きは当たり前なのだけど、できる限り2度通らないようにした。これは結構難しい。 ロシアを横断して東欧を降りトルコへ。 トルコの西側半分、南欧と北アフリカ、 大西洋を飛んで中米に。 最も行きた

    • 旅38-カルタゴのディド

      パレルモから夜行フェリーでアフリカ大陸に上陸。約11時間。アイネイアス達は嵐に遭い、流されアフリカ大陸に漂着した。それがカルタゴ。まだ若い国。初代女王ディドの時代。ディドはフェニキアの国ティロスを追われ、この地に辿り着いた。建国を果たしたディドと建国に向かうアイネイアス。これも長い目で歴史を追うと悲劇の出会いである。 カルタゴはチュニジアのチュニスからTGMという電車で20分。今は郊外の町、である。海辺の田舎町と言うべきだろうか。TGMの駅は綺麗に白と青に塗られていてめちゃ

      • 旅37-イタリアに至り

        イタリアに至りました。 ダジャレだが、ギリシアのストでトラブル大アリでの到着だったからこその安堵感。しかししかし、アイネイアスの軌跡を辿る旅、長居はしません。ブリンディシに朝到着、すぐにバーリへ移動。バーリからアルベロベッロへ日帰りして、夜行バスでパレルモへ。この旅2回目の連続夜行移動である。 イタリアのカカト、ブリンディシに到着。タクシーが言い寄ってくるが、港から町までの無料バス発見。駅まで2kmほど歩き、電車でバーリまで移動する。バーリの町。ここのインフォメーションはg

        • 旅36-ギリシアのストによる中休み

          日本ではなかなかない“スト”。つまり、“ストライキ”。ギリシアでもそうなのだが、“ストライク!”と皆は言う。昨今のギリシアは少々不穏。入国時はバスのストで国境越え不可だったので電車移動だった。そして出国。イタリアのバーリへ抜けるフェリーチケットを購入。しかし、僕を待っていたのは海の波でなく、ストの波だった。 (アイネイアスゆかりの地を巡る旅の話は今回お休みです。) 23日の昼、ホテルのご主人にケルキラシティまで送ってもらった。バックパックを海岸沿いのホテルに預かってもらい、

        • 固定された記事

        世界一周 、『一筆書き』

          旅35-ケルキラの東

          2月18日の夜にクレタにいたのだが、19日にケルキラ島着。アテネ早朝到着、バスで10時間揺られてギリシア最北西の島へ。やっとのことで宿を見つけ、電話して車の迎えを呼んだ。島の対岸まで約30分。海沿いに立つホステル。1泊€19。朝夕食つきは当たり前。だって周りには町も何もない。いや、見上げれば…。村まで300mの高低差があるのだ。 都合ケルキラ島には4泊。バーリ行きのフェリーは週2便だから。クレタからハードな移動をしたのでまあいいか、という感じ。この宿から見える海は美しい。静

          旅35-ケルキラの東

          旅34-キドニアの港に

          アテネのピレウス港を出港したフェリーは早朝にクレタ島に着く。まだ暗い。降りる人もいる。だが僕には行く当てがない。冬のクレタ島は安い宿があるのだろうか。降りてみないとわからない。バスに乗って10km先のハニアの町へ。インフォメーションへ。予算に合う宿をみつけた。夏期は€40だが今は€25になってる。そして、ギリシアに来てから初めてアイネイアスの話ができる人に会えた。彼女によると、やはりこのハニア周辺を昔キドニアと言っていたらしい。 アイネイアスはキドニアを訪れた。中心地イラク

          旅34-キドニアの港に

          旅33-3神に纏わる島

          エネズの次に訪れたアイネイアスゆかりの地はディロス島である。この島はとても有名な観光地なのだが、冬のエーゲ海は荒く旅行者も少ないために船の便は少ない。本当はエネズから直接ではなくとも島伝いに進みたかったが、一度アテネに入り、そこからディロス島へのゲートアイランド、ミコノス島に入った。 かなり苦労した。冬のギリシアの島を渡っていくことは難しい。ギリシア文字だけでなく、たまに地名の綴りが変わり、それも似ている名前の島が多いから混乱する。船の便が少ないし航路も少なくなる。アテネか

          旅33-3神に纏わる島

          旅32-ひっそりとエネズ

          エネズって町を知っていますか? まあ、知らないよね。トルコとギリシアの国境近くにある町。『歩き方』には載っているが、地図ページにあるだけ。そこに行ってきました。もちろん情報はありません。あるのは…、トロイア戦争後にアイネイアスが訪れたという事実、いや言い伝えかな。 トロイアの英雄アイネイアスは「エネ」と呼ばれることがある。このエネズという町はその英雄の名に由来している。 僕はチャナッカレを早朝に出発、船で海峡を渡りケシャンという町へ。ここもガイドブックに情報がないがこのあた

          旅32-ひっそりとエネズ

          旅31-チャナッカレから始まる旅

          ブルガリアのお話から時間は戻り、トルコ・チャナッカレである。 ここはトロイ遺跡へのゲートシティ。話も古代へ戻るのだ。これからトロイアの英雄アイネイアスの軌跡を辿る旅となる。特に彼の訪れた町をできる限り順々に廻っていこうと思っている。もちろん最初は彼の故郷、トロイアから始まるのだ。 トロイ遺跡へはミニバスで30分。有名なヒサルリクの丘にある。€2(230円)。入場料15YTL(825円)。この遺跡、誰もが知っているがガッカリ度も高いと言われている。しかし、「そうかなあ?」。確

          旅31-チャナッカレから始まる旅

          旅30-ギリシア神話を辿る旅の始まり

          『ギリシア神話を知っていますか?』 これは阿刀田高氏の小説の題名だ。その後に『旧約聖書を知っていますか?』、『新約聖書・・』『コーラン・・』と続く、『知っていますか?』シリーズの第1作目。長編であり難解な書物を軽快に描いた入門書でもあるこのシリーズ。 阿刀田高氏は、現実に人間界で起こった出来事を神の仕業や関与として作られたのがギリシア神話といった捉え方をしている。シュリーマンがギリシア神話の描写を基にトロイを発見したのは有名な話であり、阿刀田氏のご意見には納得している。(僕の

          旅30-ギリシア神話を辿る旅の始まり

          旅29-嗚呼、ソフィア

          トルコからソフィアへ。早朝6:30に到着し、キリル文字の洗礼。町も少々ロシアの香りがする。オタオタしながらトラムに乗り、Hostel Mostelに向かう。久しぶりに日本人の関わらない宿であり、欧州の雰囲気がする。ココ、歴代でもベスト3に入るくらいレベルが高い宿だ。ホステルサイトでの評価が高いのもうなずける。ちなみに、毎日昼食が無料でふるまわれる。といっても、具のないトマトソースのパスタのみ。大量のパスタが出てきて宿泊者で分けて食べる。滞在費を浮かしたいバックパッカーにはうれ

          旅29-嗚呼、ソフィア

          旅28-West Side Story in Turkey

          イスタンブールを出発してカッパドキアへ。奇石群の地。トルコは東へ行くほど寒い国。南米やアフリカを回った後でトルコに戻ってくるときは、南のシリアから入り東側をコーカサスへ抜ける予定、ということで今回はトルコの西側をクルッと周るのである。これが僕のWest Side Story、トルコ版! ちょうど予定が重なった岡村さん&友紀さんとカッパドキアへ。TOLで皆から評判の良かったTravellers cave pensionへ。ここではカヨコさんが働いていて、いろいろとお世話をして

          旅28-West Side Story in Turkey

          旅27-Tree of Life

          1ヶ月ぶりにイスタンブールに帰ってくる。帰るのは日本へだけではない。 空港で夜明けを待って日本人宿Tree of lifeへ。管理人さんと再会する。昨年12月も滞在した宿へ戻る。勝手に第2に我が家と感じ、戻る場所と迎えてくれる人がいること、それが異国であり組織でも利害関係でもない場所であることが幸せだ。 noteの題名が宿名になったイスタンブールではあるけれど、イスタンブールは見所が多いファンタスティックな町である。おそらく、世界一と言っても過言ではないだろう。ブルーモスク

          旅26-ひとまずの終着点・イスタンブール

          2008年9月初頭に日本を出発したこの旅路。富山からウラジオストックへ、シベリア鉄道でモスクワ、そして中欧を北部から南部へと下り約3か月。一応、3か月で旅を終えて社会復帰することも考えていたけれど、出国翌月に起こったリーマンショックもあり、当分は旅を続けることに決めました。とはいえ、様々な約束も人間関係もあるのでいったんは日本に帰国することにしました。日本へ一時帰国しまた戻ってくる、つまり外国で日本への往復航空券を購入することになります。そうすると価格面からも最適と思われたの

          旅26-ひとまずの終着点・イスタンブール

          旅25-僕がコソボに行けたことの意味

          モンテネグロ(首都ポドゴリツァ)のところでは敢えて『旧ユーゴスラビアというかセルビアから認められた最後の独立国』と書いている。敢えて『セルビアから認められた最後の独立国』と言わなければいけない。それはコソボを無視することになるからだ。 モンテネグロが62万人に対しコソボは200万人らしい。国を『大きな民族・文化的集まりの単位』とだけとらえるのなら、コソボは立派に国として認めるべしとなる。日本はコソボを国として認めている。しかし、セルビアは永遠に自国からのコソボの独立を認めない

          旅25-僕がコソボに行けたことの意味

          旅24-教会は白くアラズ、鐘の音は湿るもヨシ

          マケドニアに入りました。ティラナから5時間。 と言っても国境近くの町、オフリド。オフリド湖のほとり。この湖は両国にまたがり、なぜかアドリア海より荒々しい。オフリドはたくさんの古い教会が立ち並ぶ個性的な町だが、その前に“2000円札”についての話から始まる。 パッカーの誰しもが困ったことがあるであろう、“高額紙幣”。高価なものなんか買えないのだから細かいお金の方が使いやすいのだけれど、ATMだけでな両替所でもなかなか高額紙幣を避けられない。今回困ったのは2000円札、マケドニ

          旅24-教会は白くアラズ、鐘の音は湿るもヨシ