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そもそもなぜ電柱広告?

プペル×電柱広告×andkが出来るまでの
メイキングです٩◔̯◔۶

#2

andk店主のkoichiです☺︎

そもそもなんで電柱広告なのか?

僕なりに分析するとこんな感じだ。

・歴史と文化にあやかる
・自分たちが楽しめる
・周りを巻き込んで楽しませることもできる


❶そのはじまりは、

まさかの1901年(明治34年)

100年を超える歴史あるコンテンツは

この令和の時代にはとても貴重なものだ。

しかもそれは

(盛り上がっているわけではないが)

決して廃れてはいない…

なぜなら、

キムラさんのように意識の高い方が

先頭に立って、

電柱広告をビジネスとして

動かしているという事実があるからだ。

以前、西野さんがこんなことを仰っていた。

「みんなビジネスにおいて、
0→1に夢を求めてやりたがるんだけど、
それって本当にもったいなくて。
そんなキミのアイデア、過去の先人たちが何万人と同じことを思いつき、考え、悩み抜いた末に
捨ててきたアイデアの一つかもしれないのに、そこに貴重な時間や労力やお金をつぎ込むのは
めちゃめちゃ非効率でしょ。
そうじゃなくて、
“長いモノ、強いモノに巻かれる”方がよっぽどコスパはいいじゃん。そもそもそこには歴史や文化や物語がある。紆余曲折あるにせよ、この時代に息づいているわけで。だったら自分の考えや想い、熱量を‘そっちに寄せていく’というところからビジネスをデザインする方がいいよね。」

なるほど…と。

一見、電柱広告なんてオワコンのような

側面がありそうだけど、

(キムラさん、ごめんなさい)

そうじゃないんだと。

この時代までなぜそれが残っているのか。

その電柱一本が、

その街の景色を作り、

文化を生み、見守っている。

時には、

スマホひとつで目的地にたどり着ける

この時代でも、

その電柱広告の看板を見つけたときの

「あ、あった!あった!
 こっちであってるね〜」

なんていうワクワク感を生み出してくれる。

実店舗としてその街にお店を開くとき、

一番大切で難しいこと

それは

その地域に根付くこと

これはお店としてだけではなく、

そこにいる僕らのようなヒトももちろん。

お店に集まるヒトもそうだ。

長い年月をかけて

全てがその地域に根付いたとき、

そのお店やヒトがその街の文化になる。

西野さんも繰り返し話しているけど、

「これから生き残るのは
キチンとその文化や物語が
デザインされている
コミュニティや集落、
オラが街を持っているヒトだよね」

そのひとつのコンテンツがまさに

電柱広告

だったんです。

そこの面を持っていたキムラさんも

本当にすごい‼︎アッパレ‼︎

と思う。

だから僕はそこにあやかろうと、

決めたわけです。


❷今回こうして電柱広告について、

「えんとつ町のプペルの映画公開と

この電柱広告、

どうやってこれを生かしていこう?」

なんていう新しい取り組みが

こうして生まれたことが

僕らにとっては奇跡のようなことで、

ワクワクしかないわけで。

西野さんやキムラさんに

出会っていなかったら

こんなに真剣に電柱広告について

考えることは

一生なかったと思うし(笑)

しかもそれが、

自分のこのお店まであやかれると。

これはもう楽しんじゃうしかないじゃん‼︎

というマインドになっているわけです。

❸そしてなにより、

地元の方々に

このプペル×電柱広告×andkを

楽しんでもらえることもちろん、

西野亮廣エンタメ研究所の

サロンメンバーさんも巻き込んで

このandk電柱広告ストーリー

ひとつの物語として楽しんでいただいたり

実際に掲示された時には

その実物を見つけに行ったり

写真を撮ったり

SNSでシェアしたり

実際にandkを訪れて

オフラインでお話できたりと、

西野さんやキムラさんのお力を借りて

サロンメンバーさんを巻き込んだエンタメに

していけたらいいなと思うわけです。

長々とお読みいただき、

ありがとうございました。

まだまだお伝えしたいこともあるし、

キムラさんからの宿題もあるので、

今日はこの辺で…

続く








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