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放課後、あなたの名前が消えない

いつもより少しだけ早く終わった授業をきっかけに、私は今日も放課後の教室に残る。窓の向こうに沈みかけた夕陽が、黒板の隅に貼られた時間割を淡く照らし出していた。

みんなが帰ったあとの静かな空間は、どこか切なくて、でも落ち着く。私の小さな秘密の場所になりつつある。

数時間前まであなたは、あの席に座っていた。後ろから見たあなたの姿が、私の心にいつの間にかこびりついて離れない。

何気なく笑う顔も、退屈そうに教科書をめくる横顔も、私の視界の端でゆらゆらしている。

あなたが「おはよう」とか「じゃあ、また明日」とか、何気なく放つ短い言葉でさえ、私には特別な響きがあることを、きっとあなたは知らない。


授業中、窓の外ばかり眺めているあなたを見ていると、不思議と胸がざわめく。まるであの空の向こうに、私の知らない世界があると言わんばかりで。

窓越しの風があなたの髪をさらっていくたび、「触れてみたい」と小さく思ってしまう。でも同時に、そんな気持ちは見透かされたくなくて、何も言えない私がいる。

友達と笑い合うときのあなたは、ちょっとだけ目を細める。その柔らかい仕草を見るたび、私まで顔が緩んでしまう。

だけど、放課後の昇降口で見かけたあなたは、誰かとふざけながら歩いていて、私の存在に気づくことはなかった。

遠くからただ眺めているだけの私は、きっとまだ、あなたにとって大勢のクラスメイトの一人でしかないのだろう。


放課後の冷たい廊下を、わざとゆっくり歩いてみる。もしかすると、どこかであなたにばったり会えるかもしれないって、根拠のない期待を抱きながら。

それでも結局、擦れ違うのは雑巾がけの部活の後輩か、先生方ばかり。心の中で小さくため息をつくと、誰もいない教室に戻ってきてしまう自分が少し情けない。

でも、この静かな教室で思い出すのは、いつもあなたのこと。「今日も笑ってた」「休み時間にお弁当を食べていた」「私に気づいてくれないときもあるけど、それでもあなたは確かにそこにいた」。

それだけで十分だって、思う瞬間がある。けれど、たまに考えてしまうのだ。もし私の気持ちをあなたに伝えたら、いったいどうなるんだろう、と。

何も変わらないかもしれないし、少しだけ二人の関係が変わるかもしれない。

それは怖くもあるけれど、心の中に広がるこのせつない想いを抱えたまま卒業するなんて、きっと後悔する。そんなふうに考え始めた自分に、少しだけ驚いている。


チャイムが鳴り、窓の外を見れば、いつの間にか空は赤から紫へと変わり始めていた。帰り支度をして、カバンを背負い、誰もいない教室を振り返る。

気づけば黒板には、明日の予定が薄いチョークの文字でまだ残っている。それがまるで、私の心の中に刻まれたあなたへの気持ちみたいに、消そうと思えば消せるのに消せないまま。

もしかしたら、いつかこの想いは言葉に変わるかもしれない。そのとき、あなたはどんな表情をするのだろう。

想像するだけで胸が痛いくらいに高鳴ってしまう。

けれど、今はまだ、誰もいない教室にポツンと座りながら、こっそりあなたの名前をつぶやいている自分でいたい。そう思うのは、少しだけ臆病すぎるだろうか。

でも、これも高校生の今だからこそ味わえる感情なのかもしれない。

いつか私がここを卒業して、制服を脱いで、あなたのことを「昔のクラスメイト」と呼ぶようになっても、きっとこの放課後の景色は忘れない。

せつない夕暮れの光の中に、揺れ続けるあなたの面影も、消えずに心に残る。

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