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産まれた場所を訪れて

少し気を抜くと 
文章が遠のく
頭の片隅には note が 浮かんでは沈んでの繰り返し。

今日は 浮かんだままの 気分だったので 久しぶりに筆を走らせてみることにした。

千葉県松戸市北小金

私の産まれた場所に行ってきた時の話。

私の記憶が正しいか 駅から自宅までをたどってみる。
私の記憶では、駅から紫陽花寺(本土寺)までは両脇に木が茂る 薄暗い
道をまっすぐに歩いていく
両脇には 数店お店があった。

ここが入口だ! まさに生い茂っている 薄暗い

記憶通りの お店が!  
40年前と変わらない店構え

通称 紫陽花寺  門構えも記憶の通りだ

そして、自宅へは紫陽花寺の怖いわき道を進んでいった記憶がよみがえる

まさに この道!  

そして、 起伏の多い道を歩んでいく。
階段を下りたり、 坂道を登ったり。

この記憶の先には  当時大親友だった 友達の親が経営していたスーパーがあったはず。

あああ! あった! まさにここ!  
残念ながら 今は閉店しているようだ。
このスーパーの奥に彼は住んでいたのだが、表札を見たが 別の人の名前になっていた。
月日が経ちすぎていた。

この家も記憶にある。今は空き家のようだ。
鳥などの動物を確か飼っていて、 一匹の犬が 熱中症か何かで 気狂いしてしまい、一階の軒先で息絶えた画がいまだに脳裏から離れない。

そして、私が小学校1年の夏まで住んでいた家があった。
今 どなたかがお住まいなので、写真はのせることはできないが、家の形は
そのまま残っていて、隣の畑は40年たった今も畑のままだった。
この畑で 幼少期の私と 今は亡き父が鍬をもって一緒に写っている写真が
今でもアルバムにはさまっている。

住所は 「幸田」 幸せの田  
なんて美しい地名なんだろう。
そして、昔はさぞかし眺望のいい、豊作が続く田んぼだったのだろうかと思いを馳せる。

夏にお祭りが催された公園もそのまま
ここで次男と一緒によく遊んだものだ。

このタンクも私の記憶に鮮明に残っている。
しかし当時は巨大な見上げてみるタンクだった。
身長が伸びて、視点が変わった。

この小川で当時 よく水カマキリを捕まえた。
そのままの風景で、当時の友人たちの声が響き渡る。
幼稚園までの道の両側は田んぼだった。
今も そのままの風景に感動し 
かすんだ目の先に一人の幼稚園児が歩いている
ように見えたのは気のせいだっただろうか。


これから先、もう訪れないかもしれない ルーツの場所。
もう一度 記憶を塗りなおし、
色褪せないようにする。

当時、私はどんなことを考えていただろうか
描いていた夢
今 その時の描いていた大人になっているだろうか
一度きりの人生
前に前にただ進んでいく時間軸
たまには ねじを巻き戻して 記憶をたどってみるのもいいかもしれない
少なくても 私は この北小金 幸田 の町にきてよかった。

今は 口も聞かない間柄になってしまった 次男
このきっかけで 一歩踏み出してもいいかもしれない

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