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帝都探訪−旧岩崎邸へ

 不忍池のほど近くにある旧岩崎邸庭園。「内部の写真を撮れるのは平日だけ」とのことで、11月22日(金)の日中、行ってきた。晴れた日で、僕には暑くもなく寒くもなくここちよい日だった。

 敷地入り口からゆるやかな坂道を登ると、左手に現れる洋館。外観の色はアイボリーと言うのか、生成色と言うのか(この外観の色の呼び名をご存じの方は教えていただきたい)。ホールの尖塔が目をひく。建築物には機能性だけではなく、ルックスもとても大事な要素なのだと改めて思う。

アプローチを進んだ左手に姿を現す洋館

 現地でもらったリーフレットによると、この邸は、岩崎彌太郎の長男で三菱財閥三代目総帥である久彌 ( 二代目は彌太郎の弟の彌之助 ) の本邸として、明治29(1896)年に造られた。約50000㎡の広さがあったようだが、戦後のGHQによる接収など紆余曲折を経て、現在は約18000㎡。洋館は建築家ジョサイア・コンドルが設計し、迎賓館として使用されていた。このコンドル氏はかの鹿鳴館を設計した人でもある。

「17世紀の英国ジャコビアン様式の見事な装飾が随所に見られ、イギリス・ルネサンス様式やイスラム風のモティーフなどが採り入れられています」とある。南側のベランダには列柱が並ぶ。1階はトスカナ式、2階はイオニア式の特徴をもつ。久彌の留学先である米国ペンシルヴァニアのカントリーハウスのイメージも採り入れているとのことで、時代も国境も超えた様々なデザインを組み合わせていることがわかる。

建物を出て、芝生の庭に降りる。順路に沿って北側に出る。袖塀には三菱の社章デザインの基になった岩崎家の家紋「三階菱」の彫刻が残っている。誰もが思い浮かべるだろう三菱のマーク「スリーダイヤ」、もともとは岩崎家の家紋「三階菱」と土佐藩主山内家の家紋「三ツ柏」を組み合わせたものだそうだ。

洋館南側
洋館東側
岩崎家の家紋「三階菱」が彫刻された袖塀

 僕には南側2階のベランダからの景色が印象に残った。緑の芝生の庭の向こうには、「湯島ハイタウン」がそびえる。このマンションは目を引く。明治の岩崎邸ベランダから昭和の湯島ハイタウンを眺める。秋風が吹く。明治も昭和も遠くはなったが、いまだにその存在感は薄れていない。

ベランダから見える湯島ハイタウン
ベランダの柱が美しい

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