「有我現中。」
これ、単に無我夢中を反対にしてみたんですけど。合理化、安全便利快適に慣れ過ぎたヒトや、マジで社会の枠組みの中でしか生きていないヒト、妙な大人はこれに入るのではないでしょうか。端的に言えば自己中です。他者に聞く耳をもたない忘我無中人、そう言い換えても良いでしょう。
華道など、実は〜道は崇高な物でもなんでもなくて、矛盾をどう捉えるか、自然をそのままの状態で活かす。ほぼ不可能なことをどうにかやってみようという試み。中川幸夫氏の華は正に衝撃でした。道=日常そのものでしょうし、自然の流れ、動きの観察と観測。真理を体得したヒトは「人間万事塞翁が馬」ではないですが、悲観も楽観もなく中庸で構えているのでしょう。だって、飽きずにずっと眺められる川の水面、花鳥風月。これだけの自然、宇宙に抱かれているんですから、大船に乗った気で、子どものように無我夢中でいて良いはずなんですから。
これを頭でっかちと言えば、そうでしょうが、頭ね、ニンゲンはデカくなっちゃったよね、言葉、言語、言霊。言うは宣誓でもあるそうで、甲子園ですね。神様にお告げをする誓いをたてるということだそう。さて、光と闇、どっちが先なんでしょうか?
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