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推しの子二期すげぇ|鬱状態の解消
鬱状態であることを自覚してから一月程度経ちましたが,実際にはうつ状態って気がつかなかっただけで少なくとも四年以上前からうつ状態であった可能性があるということに本当に最近気がつきました.
このことについて話すかは正直迷ったのですが,このような悩みを残しておくことでもしかすると同じように迷っている人たちの手助けになればと駄文を綴っていこうという考えです.お付き合いください.
そもそも鬱とは
そもそもうつ病というものはうつ状態が継続して続いている状態や,鬱状態と躁状態が一定期間で繰り返されている現象のことを言うみたいで,自分の行動に当てはめて考えるといわゆるスマイリングディプレッションというものが一般名ではわかりやすいと思います.一つ最近感じたのが,自分がうつ病的であるということを自覚するとそのことに関して考えすぎてしまうあまり自分から鬱状態へと持っていってしまうことがある,ということです.そこには注意した方がいいと思います.
ついでに言っときますが,うつだからと言って,それを言い訳にして何かを為せない,ということはないはずである,ということです.もし,自分の弱い部分が何か自分にラベルを貼り,その属性だから自分には不可能だとするのであれば,それはもう無意味な人間だから死んだ方がいいな,と自分に対しては思っています.もちろんそんなことしないから死なないわけですけど.
自死について思うこと
ここで「死」について少し話したので,自死について思うことについて少しだけ綴ります.これは自分の自死に対する価値観なのであって押し付けたり,というわけではないことにご注意ください.(これ言わないと理解できない人がいるのは悲しい世の中ですよね)
ここでいう自死は,自分から死を選ぶことについて指し,自分の人生を死を持って終わらせることについて述べます.自分の考えとしては例えば,フッと消えてしまいたいから死ぬ.みたいな感じで死ぬ人が結構多くてびっくりです.悩み抜いて自死を選ばれる人もいますが,自分の立場としては死にたいなら死んでもいいけどもったいないなという立場になります.死ねと言いたいわけではないですが,そもそも他人にその人が本気で思い詰めて死を選ぶに達するまでの過程は見えません.だからこそもちろん目の当たりにしたら死ぬことに対して制止しますが,実際に死にたいのであればそこはしょうがないかと思います.その一方で,死ぬ,ということは勿体無いなと思っています.考えても見ると,その年代に達するまで,例えば20代になるまで少なくとも自分が選択の積み重ねで今の自分という存在があるわけで,その存在が消えてしまうのはしまうのは勿体無いなと思うわけです.
この思考は本当に小さい頃から自分が「死」について考え始めた時期,今でも鮮明に覚えていますが,ふと,小学校からの帰り小学三年生の頃本当にフッと死についてその概念について考え始めました.その時期から戦争や,そのほかの原因で人が死ぬのは本当にもったいないな,と思っているんです.それは他者が死んだ時に毎度思っていて,オブザーバー的な視点で感じている感情であるということは承知の上ですが,実質的に感情を持った人間に対してその思考をしているのかといえば違うのかもしれません.もし,自分の周りの人が死んだのであれば,悲しい,みたいな気持ちが湧くのだと思いますが,それはまだ経験がないから,詳しくはわかりません.
まとめ
今死ぬつもりはないですし,この文章は死について自分のことを報告しただけにすぎないので,自分が死のうとしてる!というわけではないということはご承知ください.ちなみに,大学の面談で哲学するのが好きで死についてが一番思考しやすいですよね,みたいな話したら大丈夫?みたいな感じで心配されたので,こういう文章の場でしか出力できません笑
ということで,鬱状態ですが,まあこのような場も借りながら自分の目標に向かってその鬱を言い訳にせず進んでいっているのでこれからも見守っててください.
ということで.