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【エッセイ?】たばこ

 小さい頃からたばこは身近だった。自分よりだいぶ歳が上の人たち、当時で40後半から50、60くらい、に囲まれて育った私は、古めかしい喫茶店とか喫煙可の居酒屋とかに連れて行かれることが多かったし、服からたばこの匂いがする人もいた。

 たばこの匂いを嫌いにならなかったのは単純に慣れだと思う。夜の熊野寮の野外喫煙所で最初の一本を吸った時、なんだか懐かしくて幸せだった。

 お酒もそうなのだが、余程ストレスが溜まらない限り1人で吸おうとは思わない。人と話しながら、笑いとか怒りとか哀しみとかそういう人間の心の機微を感じながら、お酒を飲んで、ご飯を食べて、たばこを吸うのが好きだ。幸せだ。

 こんなこと言っているが、せいぜい月に一箱吸うか吸わないかくらいだ。ヘヴィでも非喫煙者でもない。一番曖昧で、卑怯で、中途半端な立ち位置にいる。ちょっとばかりたばこに思い入れがあるだけ。

 話は変わるが、最初にたばこの煙を紫煙と形容した人のセンス、感性が、私は恐ろしい。すっごい身体に悪いし、目に入ったら痛くて涙が出るし、死ぬほど嫌いな人だっている(なんならそういう人の方が多い)のに、紫煙という表現があるだけで、なんだか美しく見える。怖い。言葉って怖い。

 勘違いしないで欲しいのは、私は何も喫煙者を擁護する訳でも、非喫煙者を否定したりバカにしたりしている訳でも、たばこを吸う自分に酔っている訳でもない。(1番最後はあります。小学生の頃、小さい紙を丸めてフゥゥーとかやりながら補助輪付き自転車乗ってました。嘘ついてすみません。)なんとなく書きたいことを書いてみただけだ。従ってこの駄文にオチはない。

 まぁとにかく、これからも社交の道具として、ささやかな楽しみとして、たばこを吸ったり、副流煙を嗅いだりして生きていきたいです。話す相手がいてこそ、たばこは吸える!

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