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「働く」を支える③クッキーづくり

みなさま、2025年がはじまりました。本年もなかま、ご家族、職員、地域のみなさま一人ひとりにとって幸多き年となることをめざして、あゆみをすすめてまいります。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、「働く」を支えるシリーズの3つめに紹介する作業は、クッキーづくりです。
クッキーは1999年4月のコムハウス開所と同時にはじめた作業です。

1、「作業種目検討委員会」

コムハウス建設運動(1996年度から1998年度の3年間)のなかで、資金づくりとともに「なかまの作業づくり」の準備を進めていました。コムハウスでとりくむ新たな作業を検討するために、当時のこもれび作業所職員が中心となって「作業種目検討委員会」を立ち上げていました。長野県内の作業所や、遠くは名古屋の製麺所に見学に行き検討を重ねた結果、開所1年前の1997年度末に、「コムハウスに菓子製造室をつくり、クッキーづくりをなかまの仕事にする」と決めました。当時、菓子製造(食品作業)にとりくむ障がい福祉事業所は現在と比べてとても少なかったので、「クッキーをつくる」こと自体が驚き、驚かれるような時代でした。

2、「どんなクッキーをつくりたいか」

コムハウス開所前年の1998年4月から一年間、毎週月曜日に作業所近くの寿台公民館の調理室をお借りして、なかまとクッキーづくりの試作を行いました。このとき、お菓子づくりの得意ななかまのお母さんが、試作を一緒にとりくんでくださいました。わたしは、クッキーを食べたことはあっても自分でつくったことは一度もなかったので、本当に助けられました。今も感謝しています。
 この年の8月、きょうれん(共同作業所全国連絡会)が、全国で食品作業にとりくむ作業所の「交流研修会」を兵庫県で開催し、わたしも参加させてもらいました。この交流研修会では、先進的にとりくんでいる各地の作業所から主に焼菓子の商品が多数出品されていて、わたしは圧倒されました。「はたして自分にできるか」と不安が沸き上がるなかでしたが、この研修会で教わったことがありました。
それは、「『どんなクッキー(商品)をつくりたいか』をまず決めなさい」ということでした。

「どんなクッキーをつくりたいか」といわれてもピンと来ませんでしたが、そのヒントを与えてくれた出会いがありました。
それは、兵庫での研修会に合わせて、諏訪元久さん(当時こもれび共同作業所所長)の紹介で訪問した京都市長岡京市にある「あらぐさ共同作業所」のクッキーでした。こもれび作業所と「同じ匂い」がしたあらぐさ作業所のクッキーは、手づくりの素朴な包装でしたが、本当においしかったのです。担当職員の方は惜しげもなくレシピを教えてくださり、材料は「小麦粉、バター、砂糖」のシンプルなもので、バターの風味をたっぷり味わえるクッキーでした。
「つくるために食べる」ことを強く意識しはじめた時期でもあり、このクッキーが、それ以降の試作の大きなヒントになりました。

3、はたらくなかでたくましく


 1999年4月、コムハウス建設運動が結実して、念願だった「コムハウス(当時・通所授産施設)」が開所しました。
うれしさはもちろんありましたが、いよいよクッキーづくりが本格始動することへの不安感が一気に高まりました。
でも、「クッキー作業をやりたい」と自ら希望して集まった4名のなかまたちが本当に意欲的で、日々はりきってとりくむ姿にわたしは助けられました。
あらぐさ作業所のクッキーをヒントにして、「シンプル、手づくり、濃厚なクッキー」をつくろうと方向性は決めていました。しかし、実際に何とか「売り物」になるクッキーをつくれるようになるまでに、半年以上かかりました。
レシピで最も試行錯誤したのは、小麦粉、砂糖、バターの「割合」でした。例えば、小麦粉に対してバターの割合が多くなれば風味は豊かになります。でも、クッキーが割れやすくなり、一枚一枚の型が崩れて袋入れできません。逆に、バターの割合が少なすぎるとコストは安くなりますが、生地がパサついてまとまらず、風味が落ちます。
また、焼き上がった「クッキー室で感じるおいしさ」と、「お客様が食べたとき感じるおいしさ」は、同じではありません。袋入れしたときべたつかず、一定期間、風味が落ちないことが、売り物になるために不可欠でした。
クッキーの製造工程は、「計量⇒生地づくり(バター練り、粉ふるい)⇒成型⇒冷凍⇒解凍、焼成⇒製品化(計量、袋入れ、シーラーがけ)」のくり返しです。このなかで、なかまたちが最もちからを発揮したのは「生地づくり」のバター練りの工程でした。バターはとても固いので、木べらで少しずつ塊を溶かしていきます。粘り強く柔らかくした後、ホイッパーでバターに空気を含ませると真っ白になります。しっかり泡立てないと、バターに砂糖を投入したとき固まってしまい、良い生地になりません。バター練りの工程は最も時間がかかり、体力も必要でした。

クッキー生地は固いので、しっかりと力をいれて成型します。

4名のなかまは、毎日懸命にバターと”格闘“していました。クッキーづくりは一日立ち仕事でもあり、開所一年後には一人ひとり、格段にたくましくなっていました。「はたらくなかで、たくましく」という共同作業所運動のスローガンどおりだと感じました。
また、毎週金曜日、なかまたちと「ミーティング」を行うようにしました。自分の目標を出し合ったり、お客様からの注文状況、作業上の工夫や改善点、来週の予定など、短時間でも「話し合ってすすめる」ことを重ねていくなかで、クッキーづくりの担い手としての自覚と自信が育まれ、チームとしてのつながりも深まっていくように感じました。

4、売れることが、続けられる条件


クッキーは主食ではなく嗜好品です。人が生きるために不可欠なものではなく、また、世の中にはたくさんのクッキーが売られていますから、コムハウスでクッキーづくりを続けていくには、「売れ続ける」ことが必要です。
そのためにはまず、実際に食べていただくことが大事です。毎年、秋になると地域・学校での販売会が多く行われるので、とにかく積極的に出品して、「このクッキーを食べたことがある人」を地域に増やそうと考えました。
マーガリンやショートニングは使わず、バター100%のレシピなので価格は安くありませんし、迷うことの連続でしたが、よりどころになったのは、「どんなクッキーをつくりたいか」から出発する、という交流研修会の教えでした。レシピ、製造工程、価格などで迷ったら、「シンプル、手づくり、濃厚なクッキー」であることに立ち戻って考えるようにしました。
開所して2年目の2000年度には、クッキー担当職員が交代し、新たな商品「スノーボール」の販売をはじめました。

サクフワ食感のスノーボールも大人気です。

一個ずつ、丁寧に手でボール型に生地を握り、焼き上げたあと粉糖をつけた「スノーボール」は大好評で、コムハウス・クッキーのバリエーションを大きくひろげてくれました。また、従来のクッキーもレモン、抹茶、塩ゴマなど、種類を少しずつ増やしていきました。

1個ずつ素早くていねいに生地を丸めていくなかまたち

また、2013年頃からだったと思いますが、工賃アップをめざしてクッキーの受注生産(ビオクラ)に取り組んだ時期がありました。受注生産は毎週決められた種類・量を製造しなければなりません。コムハウスのオリジナルクッキーの製造とビオクラクッキー製造の2本柱で、曜日を分けて製造する日々は、かなり集中した状態だったと思いますし、文字通り、なかまと職員がちからを合わせる日々だったと思います。

5、「あり方」を変えず、やり方を変える

クッキー作業をはじめてから、おかげさまで26年が経ちました。開所時からとりくんでいる大ベテランのなかまと、その後に加わったなかまがちからを合わせて、日々とりくんでいます。なかまと、その後に加わったなかまがちからを合わせて、日々とりくんでいます。開所時は4種類だったクッキーは、今はクッキー7種類、スノーボール5種類になっています。これまで携わったなかまたち、職員の方々の奮闘と、このクッキーを召し上がってくださる地域の方々に深い感謝の気持ちが溢れます。

長年クッキーづくりに携わってきたなかまたち

ふり返ると、基本のレシピは継承されつつ、製造工程、なかまの作業工程、使う道具類などは、当初と比べて随分変わってきました。受注生産を開始したタイミングで、バター練りは機械を導入して作業の効率化をはかり、なかまの作業工程も大きく見直すことになりました。
どんなクッキーをつくりたいか…その「あり方」は変えず、「やり方」を変え続けた歴史なのだと思います。
言い換えれば、「あり方(こうありたいもの・こと)」を変えないために、やり方を変えることが必要、ということです。

今年度になってからも、製造・販売のやり方の見直しは続いています。これからもその積み重ねでしょう。
そのたびに、なかまと職員がちからをあわせ、懸命に考え、話し合い、見つけ出した答えが、「最善解」なのだと思います。 

常務理事 村松功啓

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