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日記|神棚のない日々

玄関の工事が入るので家にいる。
上り口になんとなく置いていたシーサーを洗おうと洗面台にいくと
水滴の中で小虫が溺れかけていた。助けないし、とどめも刺さず眺める。
悪趣味だと思う。その直後に、悪趣味で何が悪い、と思う。

シーサーは水洗いして乾いたきれいな布で拭いた。
口が開いている方のオスのシーサーにお酒を含ませ、
口を閉じたメスのシーサーを左、オスを右に対になるように置いて
柏手を打つと目が醒めるという。

沖縄の親類が送ってくれたオレンジ色の可愛らしいシーサー。
水難や火難などの厄を避けてくれるらしい。
外から来る厄も恐ろしいけど、
今は自分の中の溺れそうな自分をなんとかしたい。

オスシーサーの口にスプーンで日本酒を含ませる。

夏にいくつか悲しいことがあった。それで
どぶん、と真っ暗い海に背中から落ちてしまってから
ただただ沈み続けていて、
毎朝、水の中で目を開けて、あぁ、沈んでるな、と
日々確認し続けている。
底にはまだ着かないので、思ってるより深い。
時折元気になれそうなことをしてみるけど
この迂闊さゆえに誰かの反感を買ってしまい、
やっぱりまた沈む。

どんなことにもめげない鋼のメンタルを持つことも
繊細で複雑なレイヤーの奥まで見通せる視力を持つことも
どちらも叶わないのならもう何も感じない機械になりたいが
それも無理なので、眠って日々をやり過ごす。

とびきり優しい人間になれないのなら、もう黙るべきなんだろうか

自分は開き直らないで大人になる、と
思春期の頃ずっと思っていたので
小娘だった自分と、それぐらいの約束は守りたい。
面倒くさい自分のことを自分だけは見捨てたらだめ。

少し前までわたしの部屋には推しのグッズやCDを飾る神棚があった。
今は色々あって全てクロゼットに仕舞ってある。
他者に縋ってひととき現実から目を背けるのも生きていく術だ
それもわかる、それで救われていた自分も確かにいた。
だけど、経済活動と感情のバランスが取れない時点で
わたしに推し活は向いていない
(ちなみに感情の方が圧倒的に重くなったので強制的に休んでいる、
社会性を失ってしまうギリギリだったと思う)。

父の形見のレコードとぬいぐるみだけになってしまった。
神棚はもうない。

玄関の工事は来週に延期になった。
流しの水滴の中に小虫はもういなかった。
オスシーサーの口元の酒をバケツの水に注いで三和土を拭く。
玄関に戻そうとしたけれど、見守ってほしい気になって
今はパソコンの両脇にいる。柏手。

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