
素描|セッション
(今日は細切れの予定に一日を分割されているので、
1、2時間ずつ空白の時間がある。
長い詩を書いたり、映画を観に行くには短い時間。
家事は大方やってしまったので
素描をする これもリハビリだ)
動けない、落ち込んでいるとかばかり言ってられないなと思い
「そうや、音楽の人とセッションをしよう」と
意識に浮かんだ古い友達に連絡をとった。
友人の家にはスタジオ的なお部屋があって、
上のフロアでは奥様の友人家族がホームパーティーをしていた
(つまりホームパーティーの日に押しかけたと言う図式)
ガレージを改装した風のスタジオが
シンプルにかっこよかったので
わぁ、セレブやなぁ!とか言ってテンションが上がる。
その一方で冷静な友人の
「……ほんで何がしたいんですか」と本質をつく質問に
わたしはとてつもなく長くまとまらない説明をした。
カウチにこそ座ってないものの、その光景は
映画に出てくるカウンセリングそのものだった
友人は、長くまとまらない説明の核心を掴んで
正解の方角を示してくれた。
ほんまにカウンセリングである(所要時間は約1時間)。
結論を言うと、
わたしがやろうとしていることは
とても難しいのだそうだ。
それは置いておいて、リハビリに付き合ってもらう。
わたしは詩を読む、彼はギターを弾いたり、
機械をいじったり、ドラムを叩いたりしていて
この感じ、とか、これはちょっと違う、とか、やっていく。
堂々巡りを少し抜け出す。
そうしている間に、
上のホームパーティーに飽きた小学生の女の子が入ってきた。
「何やってるん?」詩の朗読と演奏を合わしてるねん。
ドラムを叩いてみたい、と言うので友人がエイトビートを教えると
なかなか筋がいいので、上手いなぁ、才能あるで、と
にこにこ見守っていた。友人がギターで合わせる。
ほな、と思い 朗読を合わせる。
この日この場所でだけ成立する何か眩しいものがあった。
女の子が「もう一回やりたいー!」と言うので、
今度は即興でやる。わははは。ドラムも叩く。
一瞬、すこんと青空が見えた気がした。
詩の朗読をしてこんなに楽しいと思ったのは何年振りか。
その後、女の子のパパとわたしの身内に
薄からぬご縁があったことが判明。びっくりだった。
三十年前にも会ってた。世間は狭い。