ありふれた、いのちのかがや記
食卓の上で飼育していたカタツムリ大小の小のほう(ななと呼んでいた)がしんで、落ち込んでいたら、数日前、容器の中に卵のようなつぶつぶを発見した。カタツムリ大の、”さきょう”が出した何か。夫は糞ではないかというけど、これまで世話してきてこのような形状の糞は見ていないので卵ではないかと思っている。容器を洗う際にうっかり流してしまわないように別の場所に避けておく。
特急電車に乗っていたら、目的地に着くまでの20分ほど、ずっと赤ん坊がこちらを見てニコニコ笑っていた。大袈裟に目を見開いたり笑顔を見せると反応して声を出して笑ってくれる。シンプルに嬉しかった。赤ん坊や子どもは泣いていても駄々を捏ねていても可愛いけれど、笑ってくれたらそれだけで、わたしもこの世界にいて良いのかもしれないと思わせてくれるぐらいの威力がある。
人間は死んでも光になんかならない、とあの人は言った。
でも。
生きてるものはどうしたって光を放つし、死んだらそれが消えるのではなくて光のなかに還っていくのだとわたしは考えている。大きな光のなかに溶けていく。個でないし眩しいから捉えられないけれどそのなかにいる。
そう考えないと寂しくて心細くておかしくなりそうな時がある、
だからわたしは明るい方を見る。
全速力で、あの人から遠ざかる。耳を塞いで。
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