『あしながおじさん』を大人読みする
4月に開く読書会のために、久しぶりに『小公女』を図書館で借りてきました。今回は翻訳を読み比べようと思い、まずは福音館書店・高橋方子訳から。おべんちゃらなミンチン校長の「てのひら返し」の辺りから、これは韓流ドラマによくあるパターン? と驚いたこひつじです。読書会前なので、詳しくは書けませんが。
いえいえ、もちろんこちらが元祖。『小公女』は作者のバーネットが、1850年代のイギリスを回顧して書いたとも言われています。となると、読み継がれてきた物語には人を夢中にさせる型があり、それは時代が経ってもさして変わらないのかもしれません。こういった「大人読み」の醍醐味について、『あしながおじさん』についてnoteの前身である読書会ブログに書いたことがあります。今回は、その記事を紹介します。
(以下、2012年6月18日、はてなブログ「大人のための子どもの本の読書会」転載)
今回は、『あしながおじさん』の「大人読み」についてお話します。
あしなが(と以下、略)の場合、手紙の書き手である主人公ジュディに感情移入していくのが普通の読み方です。ジュディ、すなわち読み手の私。読み進むにつれ、一体化していきます。
それに対して、大人読みとは、一歩引いた視点を持つ読み方です。つまり、ジュディ以外の視点から読んでみるということ。客観的な読み方。国語の読解のようなものです。
物語の主要登場人物は、親友のサリー、その兄ジミー、天敵とも言える同級生ジュリア、そしてあしながおじさんことジャービスです。この場合、いちばん面白いのは、手紙の受け取り手であるジャービスだと思います。彼の視点になってジュディの手紙を読むと、14歳も年下のジュディのことばに、今、あしながおじさんはどんな気持ちになっている ? と想像ならぬ妄想が広がっていきます。
あしながおじさんこと、ジャービスの気持ちになって読んでみると
特に、ジミーが登場してからのジャービスの動きに着目すると、著者の構成の巧みさが見えてきます。ジャービスは、若い二人のジミーとジュディの接近を阻止しようと手を尽くします。例えば、夏休みをジミーの実家で過ごしたいとジュディが頼んでくると、いつもの農場へ行くようにと事務的な電報( ! )を送ったり、ジミーと楽しく過ごしたことを知ると、すぐさまジャービスがキャンパスまで訪ねてきたり。手紙の日付を丁寧にたどると、こんな仕掛けが見えてきます。日付に着目してみると、ジュディの気持ちが、手紙を書く間隔によく表れているのがわかります。あしながおじさんに反発している時、当然、手紙の間隔も長くなりがちです。いちばんひどい時には、月に一度の約束を果たさずに、2か月近くも空けたことがあります。
著者ウェブスターの背景を調べて読んでみると
もうひとつの大人読みは、作品の背景を調べてみる読み方です。作品は作品だけでよしという読者にはおすすめしませんが、こひつじは作品を好きになると、その著者についても知りたくなります。特に著作権切れの古い作品になると、書かれた時代背景なども調べがいがあります。今はネットでさくさく検索できますので、本当に便利になりました。(ただし、情報の精査には注意が必要です)
著者のウェブスターは、1876年、ニューヨークに生まれました。母親はマーク・トゥエインの姪にあたります。話し上手でユーモアに富み、日々のことがらを物語にして、娘に聞かせるのが上手だったそうです。もともと印刷や出版業に関心のあったマーク・トゥエインの出資により、ウェブスターの父親は共同経営者として出版社を設立します。このようにウェブスターの幼い頃から文学的な環境に恵まれ、書くことに対して自然と関心が向いていったようです。
父親の出版社が最初に刊行したのは、この読書会でも読んだ『ハックルベリー・フィンの冒険』。南北戦争時の将軍グラントの自伝もベストセラーとなり、経営は順調な滑り出しでしたが、その後、企画の失敗が重なるなどして、父親は精神的に追いつめられていきました。結局、出版社を首になり、薬の大量の服用により(自死のようですが)ウェブスターが14歳の時に亡くなりました。
父親の死亡後も経済的には恵まれていたところは、あしながのジュディとは境遇が違います。しかし、父親への思慕とのつながりを想像することはできます。ウェブスターは、ニューヨークの名門ヴァッサー大学在学中から、交友会雑誌に短編を発表するなど文学的な才能を発揮しました。主人公ジュディたちの寮生活の様子は、彼女が実際に体験した大学生活に材をとっているため、リアルであると同時に、当時の風俗を知る貴重な資料とも言えます。大学生活の体験をもとに初めて出版されたのが『パティ、大学に行く』(1903年)でした。その後、なかなか世間には認められなかったようですが、持ち前の明るさと強い意志で屈することなく書き続けました。となると、あしながのジュディには自伝的要素が強いと言えそうです。
では、あしながおじさんにモデルはいるのか? 気になって調べたところ、意外なことがわかりました。学生時代のヨーロッパ旅行をはじめとして(これもあしながに出てくるエピソードとかぶりますね)、ウェブスターは生涯を通じて旅を愛しました。1907年には世界一周の船旅を親友3人と敢行しています。その1人、エスリン・マッキニーの兄と、その後、恋に落ちることになります。じつはこの二人の親友とは、日本まで旅に訪れているようですから、詳しく彼女の足取りを辿ってみると面白そうです。
マッキニーの兄は、アメリカでも屈指の大富豪、石油王ジョン・ルーク・マッキニーの息子で、自らも裕福な弁護士でした。ところが、マッキニーは既婚者。7年間、二人だけの秘密の交際を経て、ようやくマッキニーの離婚が成立し、1915年に結婚することができました。マッキニーの妻だった人は、精神疾患を抱え、マッキニー自身もアルコール依存の問題を抱えていたようです。
1913年にあしなが、が出版されて大ベストセラーとなり、1914年には劇として上演され、さらに1915年には続編の出版と夢にまでみた結婚ですから、この時代は彼女にとって黄金時代と言えるかもしれません。
けれども、結婚の翌年、女の子を出産したその日に、出産による併発症のため病院で亡くなりました。彼女が自分の赤ちゃんを見ることはなかったようです。経済学を専攻したことから、救護院や孤児院について視察する機会もあり、社会福祉活動に大きく関心を寄せたようです。あしながの作品は、孤児の状況に対して世間の目を向けさせる端緒となりました。その彼女が、自分の子どもの母親として生きることができなかった。人生というものの摂理を考えさせられます。享年39歳でした。
マッキニーとウェブスターに関しては、ゴシップ的な要素がどうしても入り込むため、書くことに戸惑いを覚えました。それでも、著者の生きざまを知る時、また違ったニュアンスを持って作品を読めるのは確かです。
あしながおじさんへの手紙に、アルコールには注意して下さい、という内容があったり、14歳年上というのは、実際にマッキニーとの年の差と同じであったり、マッキニーもプリンストン大卒だったり(これはジミーと同じですが)、手紙でしかやりとりができない状況や、作品の最後で、ジュディが家族を切望しているところなど、大人読みとしてはいろいろと考えてしまいます。
今回調べるまで著者については、社会福祉に関心を持ち、若くして亡くなったということしか知りませんでした。読書会の準備を通して、ジュディ、そして著者のウェブスターという二人の女性の生きざまに出会うことができたのは思わぬ収穫でした。やはり、子どもの本の大人読みは面白い。
みなさんは、どう思われますか?
(参考資料『Daddy-Long-Legs and Dear Enemy 』PENGUIN CLASSICS
Notes by Elaine Showalter)
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