はじめに「大人のための子どもの本の読書会」とは
はじめまして。
2011年から東東京の下町・墨田で読書会を開いている「向島こひつじ書房」のこひつじです。
ロングセラーを中心に、子どもの本や絵本を大人たちで読みます。本好きさんのゆるやかなコミニュティを願って、すみだに生まれました。本と人とまちとつなぎます。20~40代を中心に、これまで、大学生から70代までと、幅広い世代が参加してきました。
コロナの広がりによって、この3年間はほぼ休眠状態でしたが、ゆるゆるとまた動き出しました。新しい気持ちを新しい革袋に入れたい。そう思って、この度、noteに引っ越してきました。
ここでは、これからの読書会のお知らせ、読書会の報告、また、子どもの本周りのことも、時々は書いてみようと思います。
これまでの読書会の記録は、主にフライヤーを掲載して、マガジンにアーカイブします。
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今月、読書会の記事を「いのちのことば」という月刊のフリーペーパーに書きました。自己紹介として全文を掲載します。お読みいただけましたら嬉しいです。
いつか、こひつじたちの読書会に遊びにおいでください。おいしいお茶を用意してお待ちしています。
本を通して人と出会う
「大人のための子どもの本の読書会」
文筆家 宮葉子
牧師館で暮らし始めて驚いたのは、平日、近所の子どもが遊びに来ることだった。単身で長く牧会をしてきた夫には日常でも、私は子どもと触れ合う機会がそれまでほとんどなかった。約束もなく来た小学生たちを前に困惑し、教会にあった絵本の読み聞かせをしたのが絵本との再会のきっかけだった。
それから少しずつ、読む価値のある絵本を古本屋で買い集め、会堂に子どもの図書コーナーを作った。ただ、本が揃うのとは裏腹に、日中鍵をかけない下町でも防犯意識が高まり、教会のブザーを押す子どもはいなくなった。
長年の無牧時代を経たこの教会は、どうやら地域で孤立気味のようだった。まちや人と繋がりたい。ならば、家でも仕事場でもない、安心できる第三の場を提供できないものか。当時「住み開き」という言葉が広がりつつあった。工場の跡地や古い家屋を自分たちで改装してそこに暮らしながら、人の集う場にする。実際、墨田にも、若いアーティストが移り住み始めていた。古い商店を改装して私設図書館を始めた20歳代の女性に声を掛け、「大人のための子どもの本の読書会」が始まった。
月に一度、土曜日の午後の二時間。課題図書を事前に読んで集まる形式だ。大学で美術を学んだ夫にロゴのイラストを描いてもらい、自分たちでチラシを作り、地域のカフェなどに配り歩いた。「読書会 ? 自分で本を買って、お金を払って感想を話し合う?」。当初は、よくわからないという顔をされることが多かった。
初回は、私と彼女とその友人のたった三人で『ムーミン』を読んだ。毎回、参加費でまかなえる範囲で、物語にちなんだおやつと飲み物を用意する。美味しいものを囲めば気持ちは解れ、初対面でも距離が縮まる。
次いで『星の王子さま』、3回目の『モモ』から、SNSを見た人が来るようになった。「子どもの本」「読書会」「東京」で検索すると、この読書会がヒットするらしい。
会場は教会か彼女の私設図書館。地元以外の参加者が増えるにつれ、カフェやアートスペースも利用した。地域経済へのささやかな貢献と、墨田の良さを知ってもらいたい思いからだ。教会の働きは、地域の祝福屋さんだと考えている。
とはいえ、読書会は教会の集まりとは最初から切り離している。地域での本にまつわる働きの屋号を「向島こひつじ書房」と決め、個人として活動している。会堂を使う場合には、私が教会に献金をして使用させてもらう。
昔、イベントの宣伝を地元のケーブルテレビに頼んだら、「お寺と違って教会はコンサートと言いながら布教するからだめだ」と言われたことが気になっていた。本で人を「釣る」のではない。本を介して人と出会い、豊かな時間を共有し、関係を結んでいく。その先に何が起きるかは、私にもわからない。ただ、参加者の心の小さなポケットになればと願って続けてきた。
『クローディアの秘密』の著者、カニグズバーグの言葉が気持ちに近い。「「第三の場所」とは、個人でありながら、同時にコミュニティの一部として、人と会い、交わり、関わろうと願う人々の目ざす場所であり、自分自身があるがままに受け入れられていると感じられる場所であり、より大きなコミュニティのメンバーとしてふるまうことが学べる場所です。(『トーク・トーク カニグズバーグ講演集』岩波書店、2002年)
私が場作りで何かをする時には、二人ひと組で始めることを大切にしている。個人活動では、自分よりも下の世代で相棒を探す。気が合えば、信仰者であるかは問わない。彼らは私には届かない人たちと繋がりを持ち、 SNSにも長けている。何よりも新しいことを面白がる柔らかさが好きだ。さらに、古典の範疇に入る児童書を若い世代にも読んでもらいたい思いもある。実際、三十歳代以下の参加者の多くは、いわゆる「名作」を、この読書会で初めて読み通したと言う。
『ハイジ』『ナルニア国物語』など、100年以上経っても読み継がれている物語には、生きていく力を支える真理がある。背景に聖書の価値観がある作品も少なくない。今という光を当てて古典を読むことは、聖書の釈義にも似て、宝探しのような味わいがある。とはいえ、文体や構成がまどろっこしく、最初は完読できない人が多かった。やがて、通勤電車の読書でなんとか頑張り、最後まで読んで参加する人が増えた。みんなで読む読書会ならではの効果だ。
読書会の活動の柱は3つある。普段は古典的な児童書を読む。時々、絵本。年に一度、私のライフワークである『赤毛のアン』シリーズを扱う。事前に読んで備え、当日は、感想を自由に語り合う。私は安心して語れるように配慮する。また、興醒めにならない程度に、作品の背景、著者の人生等、調べたことを伝えると、そこから視点が展開して話が広がる。翻訳による違いを比較するのも「大人読み」ならではの醍醐味だ。最後に、印象に残った一文や、読書感想画を葉書に描いてもらい、SNSにアップする。読みっ放しにしないことで、作品が心に深く刻まれ、共有した時間がかけがえのないものになっていく。
実は、一番人気があるのは絵本の読書会だ。好きな絵本を3冊持ち寄って紹介するだけだから、気楽に参加できる。お茶の時間には、各自、その中から一冊を選んで、順番に読み聞かせをする。技術は問わない。読んでもらって嬉しいのは大人も同じ。絵本を語ることは、自分の人生を語ること。何かを思い出して涙ぐむ光景は珍しくない。長年、教育現場にいた人が、「これからは自分のためにも絵本を楽しみたくて」と参加動機を話してくれた。
今年で読書会は十二年目になる。定員は六名前後。二、三十歳代の常連に支えられた小さな集まりだ。それでも百名近くの人と出会っている。教会に足を踏み入れるのが初めての人が多く、カトリックの信徒もいる。大学生から七十歳代までと多世代だ。
無理はしない。楽しんで続けること。だから、月一回から年四回になり、今は不定期開催。初代の相棒は結婚をして故郷に戻り、二代目は遠方在住。そのため、この三年間はコロナ禍で集まれず、ほぼ休眠していたが、常連と作ったLINEグループでオンライン開催を試みた。やはり対面がいいねと、『若草物語』『アンネの日記』で再開してみたら、何年もツイッターでフォローしていたという人たちが来てくれた。集まって、思いをシェアしたい人が大勢いるのだ。
今、新会堂建築を目指して土地を探している。まちと繋がる入り口部分に、絵本を並べた小さなカフェスペースを設けたい。私は世話好きな親戚の叔母さんみたいな心持ちで、多彩な人達を迎えるのが夢だ。
(「いのちのことば 3月号 2023年」-特集:読書会、始めてみませんか? ~「共に」本を読むという恵み~)
宮 葉子(みや・ようこ)
墨田聖書教会・牧師夫人。2011年 より大人向けの児童書の読書会、 ワークショップ等を行っている。 著書に『「料理研究家」たち』(日本放送出版協会)、『料理を作る仕事につきたい 』( 同文書院 )、『 こころのごはん』『アンが愛した聖書のことば』『憲法に「愛」を読む』『こころのよるごはん』