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命がけで迎えた中期中絶体験談。その先に待っていた敗血症性ショックと奇跡の回復の記録

妊娠16週目、赤ちゃんとのお別れを決断し、中期中絶の入院に臨みました。しかし、その先で待ち受けていたのは、想像を絶する感染症と命の危機でした。この体験を、私の心と体の記憶が鮮明なうちに綴ります。同じような状況に直面する誰かの助けになればという願いを込めて。

まずは、私のこれまでの妊活・不妊治療の年表です。

2021年6月 両家顔合わせ(事実婚)に妊娠報告
2021年7月 9週で1回目の稽留流産→8月手術
2022年2月 自然妊娠発覚
2022年3月 9週で2回目の稽留流産→自然排出
2022年11月  不育症検査(杉ウイメンズクリニック)
2023年7月 不妊治療開始(浅田レディース品川クリニック)
2023年10月 採卵・体外受精
2024年1月 胚移植オペ→残念
2024年6月 胚移植オペ→化学流産
2024年8月23日 胚移植オペ
2024年9月4日 妊娠陽性、同時に夫の染色体転座が発覚
2024年10月23日 赤ちゃんにNT肥厚が見つかる
2024年10月末 遺伝子カウンセリングの専門医で胎児ドックとNIPT(出生前診断)
2024年11月25日 中期中絶分娩のため入院(山王病院)
2024年12月13日 救急で運ばれた東大病院を退院

お腹の赤ちゃんの染色体異常(染色体転座)が見つかり、生まれてくることは難しいと宣告を受け、まだ心拍もある赤ちゃんと悲しいお別れするために入院をした。

12週を超えると日本では流産手術ではなく分娩で赤ちゃんを出すのが一般的。(海外だと15週くらいまで手術の国も)

これまで9週の渓流流産は手術や自然排出だったので、3日かけて分娩ということや、赤ちゃんの火葬や死亡届を出すというのも、初めて知って驚いた。

出生前検査の結果が出たのが15週だったので、手術は諦めてもともと妊婦検診で通っていた山王病院に入院した。

通常3日程度で分娩して退院、1週間ほど自宅療養の予定。

でしたが…トラブルが発生!

分娩準備の処置の途中に子宮から感染症にかかってしまったのだ。

入院1日目

激痛という噂の子宮口を拡げる処置は麻酔で痛くなくて「無痛ばんざい!」と余裕をかますも束の間、麻酔の副作用が辛すぎてダウン…

入院2日目

ずっと38℃台の高熱でしたが、麻酔の副採用と言われる。
2日目のお昼前に破水。

破水して、このまま赤ちゃんが出てくるかと期待したが…出てこなかった。

1日目と2日目は麻酔の関係で絶食だった。(麻酔を打つ前後2時間は絶食しないといけない。)

夕方、陣痛がくる気配がないし、お腹が空きすぎて「夜ご飯を食べたい!」とごねた。万が一陣痛が来ても麻酔なしで痛み止めでいこう!という覚悟で食べた。

18時の陣痛促進剤を打ったあとも陣痛は来ず、「のんびりした赤ちゃん」と先生と顔を見合わせ苦笑いした。

入院3日目に突入緊急手術

陣痛促進剤は9時12時15時18時。3時間起きに子宮に先生が手で薬を入れる。
12時の陣痛促進剤で、悪寒がするほどの寒気!!

電気毛布をかけてもらい、熱はおそらく39度はゆうに超えていたと思う。

ちょうど母が面会に来たタイミングで、「おかんが来たら悪寒が来た」と駄洒落を繰り出す。

自分が湯たんぽのように熱かった。
坐薬で熱を下げて、15時に予定通り再度陣痛促進剤を入れるという。

(え!このままやるの?!鬼!! と内心驚くも熱は37℃台まで下がっていた)

陣痛促進剤を入れると、その後また発熱…熱が上がる時は寒くなり、下がる時は暑くなるので、電気毛布の次は氷枕、また、電気毛布、氷枕…電気毛布と氷枕のサンドイッチ。夏と冬が30分置きにやって来る。

担当の先生はできれば赤ちゃんを綺麗に産んであげたい。手術するとしたら4日目という方針だった。

方針を聞いて、明日の手術に向けて子宮口を拡げる処置をするため麻酔を入れていたとき、麻酔の先生が看護師さんに「明日手術するの?長引くと危険だよ…」と話しているのが耳に入り、少し不安になった。

麻酔を入れて15分ほどしたときのこと。

血液検査の結果を見て、「白血球の値がおかしい!上がるのは分かるけど、下がっている。不思議な現象だ。感染症にかかっている可能性が高く、このままだと母体の命が危険です」と言われ、入院3日目の夜、分娩から急遽、緊急の堕胎手術へ切り替わった。

血液検査の結果、白血球の数値が900。
(通常は7000、感染症だと10000超えるそうですが、使い果たすと減るらしい)←それは後から東大病院の医師に聞いて知った。

手術前、血圧は60-70程度だった。

全身麻酔をして意識がないまま、1時間ほどで手術は無事終わり。夫と母が祈りながら待っててくれた。
(まだ心拍があり生きていた赤ちゃんがバラバラになって取り出されたのだろうかと想像すると心が痛すぎる…)

「赤ちゃんも、体の中の"異物"にはなる。異物を取り除いたから、その後朝までに回復するだろう。明日は朝ごはんも食べられると思いますよ。」と言われて、抗生物質など入れながら眠ることに。

その夜は、夫も一緒に泊まってくれて、発熱で熱い身体を氷で冷やしてくれたりした。

私は1時間ごとに検査があり目が覚める。
(深夜2時くらいに夫はぐうぐう寝始めた。)

良くなると思うと言われたが、2時間毎に測る血圧の数値はずっと60-70と低いまま。

息も苦しく、吐く時に喉や肺から変な音がする。

頭を下げると息苦しいのに、「血圧が上がるから」と看護師さんにベットの頭を下げられて、酸素も薄くて、苦しい苦しい一晩だった。

目を閉じてると血圧が下がるから「測る時は目を開けて」と言われて、なんか本質的にじゃないなぁ…とモヤモヤした。

異物を取り除いたから回復するだろう言われたけど、翌朝になっても依然として容態が悪い。

担当の先生が朝来て、このままでは危ないと判断し、その後東大病院の緊急集中治療室( ICU)に救急車で運ばれた。救急車には母と夫も同乗して向かった。
(夜の当直医は血圧が低いのになぜ救急に運ばなかったのかは今も不思議に思う。)

お昼の11時。東大病院に運ばれた時も、血圧が60で心拍数が100。「血圧と心拍数が逆転した数値です。」と説明された。
血小板の値も悪く出血が止まらなくなるリスクも…

懸命な治療を受けるも、18時くらいまで血圧は低いまま。

私は意識があったのでそんなに危険な状態と認識なかったですが、夫や母は「どうなるかわからない。予断を許さない状況なので、今晩は連絡取れるようにしておいてください」と言われて、生きた心地がしなかったらしい。

回復してから、聞かされましたが感染症でサイトカインストームが起こり「敗血症性ショック」という状態になっていたそう。(調べると死亡率40%)

夫と母は、敗血症性ショックを調べたら死亡率も出てくるし、さぞ心配だっただろうなと思う。

母は一睡もできず、「自分の寿命と引き換えに娘の命を助けてください」と祈ってたそう。

夫は、もし私が死んでしまったら海外の誰も知らない場所に行ってひとり暮らそう思ったらしい。←犯罪者か(笑)

2人が帰った後、夜になって少しずつ血圧が上がってきた。90くらいまで戻り、ホッとした。
意識はあったが、ずっと黄色い線画のような幻覚が見えていた。

翌朝、夫や母が面会に来てくれたが、人間元気がなさすぎると感情も「無」になるらしい。
涙も出ないし、なんでこの人たち来たのかな…?とぼーっとしていた。声も出せなくて筆談で話した。

ICUで3泊4日。
輸血をしたり、抗生剤や水分をどんどん体にいれるので体重は1日で9kg増えた!
全身管だらけで、様々な点滴を打ち、お陰様で回復していき、土曜の夜はテレビが見れるくらいの余裕が出てきた。

その後、産科のMF ICU(個室の病室)に移動。

夫や母は毎日面会に来てくれた。少しずつ回復していき、咳き込みながらも話せるようになった。
「大変だったけど、死ぬことはなかったでしょ?」と言うと、夫は真顔になり「また落ち着いてから言うね。」と言われて…おやおや?と思った。

回復してきたとき、医師から「喜多尾さん、危険でしたよ。本当によく頑張りましたね!」と。

敗血症性ショックだったことも聞かされ、割と死にかけていたことを自覚してゾッとした。動揺で涙が出た。

私より若い人でも中絶手術で敗血症性ショックになり亡くなっている症例はある。

弊社(ぴんぴんきらり)には医師のメンバーもおり、献血の検査時系列情報を見せたところ
CRP37まで上がっていた状態がいかに命が危険な状態だったか。武勇伝にしても良いくらい。今回は搬送先が東大病院で良かった。地方に住んでいたり、病院によっては厳しかった可能性もある。

そんな所感コメントをもらって、更にゾゾゾと背筋が凍った。

家族がどれだけ心配しただろうかと思うと胸が苦しいし、そして家族や友人、会社のメンバー、株主。色んな人にかけてもらった思いやりの言葉に、涙が止まらなかった。
(元気がないときは、涙も出なかったが、少し回復してきた証拠だ。)

ずっと高熱だったけど入院から10日くらいでやっと熱も37℃台まで下がってきた。

12月13日に退院、山王病院入院の日から数えると18日間で退院。

遅ければ23日の週の退院と聞いており、クリスマスまでに退院できたらな、と思ってたので、13日の退院は思ったより随分早かった。

「おはよう」と言える幸せ

ICUに運ばれて峠を超えた翌朝、LINEで母から届いた「おはよう」の4文字。

こんなにしんどいのに「おはよう」って!

返信の負担かけないでよ!と文句を言いたい気持ちと、めちゃくちゃ心配してるだろうから「生きてる」ことをなんとか知らせないと…!と必死に4文字を打って返した。

こんなに「おはよう」を返すのが大変なんて…一生忘れられない。

そして、朝目が冷めて、生きていて「おはよう」って言えることがどれだけ尊いことなのか知った。

日常のありがたさ、今、生きてることの奇跡を感じずにはいられないし、「おはよう」は私にとって特別な言葉になった。

入院前夜

入院の前夜、その日は、弊社が取り上げていただいたドキュメンタリー番組が放送される日で、会社のメンバーでうちに集まり、鑑賞会をしていた。

入院の差し入れと、メンバーから思いやりのある差し入れをもらって心に沁みて号泣した…

その時は、まさかこんなことになるとは思ってなかったな。

人生、生きていると色々事故にあったり、思いもよらぬことが起こる。

なぜ、こんな目に遭ったのだろう…そんなことを考えても仕方がない。ありのまま起きたことを受け入れて、この経験も人生の糧にしていこうと思う。

振り返りとメッセージ

12週を超えた中期中絶の情報は少ないので、noteに書いて、少しでもこれから中期中絶をする誰かの役に立てれば幸いです。

感染症で敗血症性ショックまでなることは、稀ではあると思いますが、歴史ある病院。セレブ御用達! 東京三大病院! と言われている山王病院でもこのようなことが起こるのです。

後から振り返ればもっとこうすれば…というのはありますが
病院を攻めるつもりはありませんし、主治医の先生は総合的に最善の判断してくれていたと思います。
手術に切り替えて東大病院に救急搬送することを決めてくださった英断には感謝しかありません。

今から振り返って後悔があるとすると、悪寒で高熱が出た時や、一晩中血圧が60-70で苦しかったときに、もう少し病院に訴えかけてもよかったのかなというのはあります。主治医に連絡してもらえないかお願いしてみるとか、もっとやれることはあったなと。

もちろん医師の総合的な判断は大事ですが、Googleで調べるだけで感染症の疑いは出てきます。(今はAIに聞くのも良いと思います。)

私は「敗血症」という言葉すら私は知らなかったですし、かなり受け身でした。

なので、同じような経験をもししたら、悪寒がしたら感染症を疑って血液検査をしたいと医師に訴えかけるとか、一晩中血圧が60-70低いままだったら「当直の医師は何と言ってますか?主治医に連絡してもえませんか?」と看護師さんに聞いてみるとか、私も夫も能動的にできることはあったなと思います。
病院って先生が言うことが正しい! とついつい受け身になってしまいます。

今回は生きてたから良かったですが、もし命を落としていたら…
後悔しても、後悔しきれないですから。
騒いだらちょっと大げさと思われるかも、とか、こんなことでナースコール押すの申し訳ないなとか躊躇する気持ちはありますが、それで命を落としたら元も子もないです。

不妊治療を始めてから、稽留流産の手術をした慶応病院、不妊治療専門の浅田レディース品川クリニック、山王病院、遺伝カウンセリングのFMC東京クリニック、東大病院などなどいろんな病院にお世話になってますが、実際、病院や先生によっても言うことが全然違って戸惑うこともあります。

まだまだ日本では中期中絶自体が後進国のようで、倫理的な観点や技術的な問題など絡み合って、病院や医師によっても正解が違い、難しいなと思います。

長くなってしまいましたが、これで振り返りは終わります。

私の場合は無痛分娩かつ感染症になったという特殊な例。一般的な中期中絶の分娩はこちらの記事が大変参考になったので、最後にご紹介させてください。

流産も死産も、メンタル的にもきついですし、身体も辛いですし、分娩や出産は命がけ。ナイーブな話なので周囲にもなかなか話せないしひとりで抱えてこんでいる方も多いと思います。

これを読んでいるこれから中絶や死産を迎えるママ。本当に言葉にできないほど辛いと思います。まだ心拍のある赤ちゃんだとしたら、命を奪ってしまうような罪悪感で潰されそうな思いで、たくさん悩んだと思いますし、絶望を感じていると思います。
いっぱい泣いて当たり前。不安定になって当たり前。

分娩が終わったら、しばらく悲しみと向き合って、いっぱい自分を甘やかしてゆっくりゆっくり休んで、心身ともに労ってくださいね。
赤ちゃんはママの幸せを願っていると思います。

本当に辛いと思いますが、きっと乗り越えられます。

一緒に頑張りましょうね!

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