入学、入社、面接などの初対面のシーンがものすごく苦手
人との初対面が苦手な人は多いと思います。
緊張しますし、構えますし、なんか変な感じに自分を作ってしまったりして失敗することも多いと思います。
初対面への苦手意識が、悪い方へぐっと向いてしまうのが面接だと思っています。
私は数度の転職を経験しました。
また、数えきれないほどの面接を受けました。
そこで感じたのは、面接が本当に苦手だということです。
また、入学や入社など、4月になると初対面が目白押しです。
このような初対面はかなり重要で、ここでしくじると挽回も難しくなります。
入学や入社では距離をとる
4月になると思い起こされるのが入学や入社などでの苦い経験です。
私は人との距離を測るのが苦手です。
近すぎるか遠すぎるかという極端な距離感で失敗するのです。
なので、入学や入社など、失敗すると挽回が難しく、替えが効かないようなシーンでは、適度な距離をとり様子を伺うことにします。
そのほうが間違いがないのです。
黙っていても、クラスや会社には一人や二人、話しかけてくれる奇特な方がいるものです。
私は、実は人見知りなのかもしれません。
一対一で話すときにはどもってしまったり、どこを見ていいかわからずキョロキョロしてしまったりします。
またそうかと思えば相手の話を上の空で聞いていて、どこか一点をぼーっと見つめて放心してしまうこともあります。
かなり意識を研ぎ澄ませておかないと、変わった挙動の人ということになります。
ちょっと話しかけたものの、「この人ちょっと変わってるな」と相手が察知し、逆に距離をとられてしまった瞬間などはよく経験しています。
それでもなんとかなるものです。
結構長く付き合うことになる学校などの環境では、なんやかんやそのうち理解者ができて、馴染めるようになるのです。
時には浮くこともありながらも、なんとか生きていけるような図太さもそれなりに持ち合わせているように感じます。
これが会社ではどうかというと、新卒の会社ではある程度学生気分でも通用します。
学校でもそうだったように、仲の良い友人や先生など同様、理解してくれる同僚や上司というのは、何か頑張っていれば見つかるものです。
しかしながら、わかってもらうまでには大変時間がかかります。3年くらいかかるかもしれません。
例えば、新卒の登竜門的な仕事すら任せてもらえず、落ちこぼれということが自分でもしっかりわかりました。どんな雑用もミスります。
しかし新卒であるため会社はじっくり様子を見てくれたりします。
そのうち、「根性だけはあるな」とか、「これだけは異常に集中して取り組んでいるな」とか、「取引先からは変人として面白がられる」など、個性をある程度許容してくれる会社だと、そのうち馴染める場合もありました。
ただ、だんだん大人になってくると、自分の方が何か構えてしまって、うまく弱みを見せられません。
また、相手が私をちゃんとした大人扱いしてくることで、自分のペースを発揮できません。
日常で会う人と、面接や仕事で会う人は、違う国に住んでいるのではと思うほど、違う人種に思える
転職も2回目まではそこまでギャップは感じませんでした。
前職のスキルがそのまま通用したことや、周りがみんな年上だったことで、多少可愛がられていたように思います。
しかし結婚し、出産後の転職活動では、雰囲気がガラリと変わったことを実感しました。
面接で企業は、明らかに私の今後の可能性などを育むつもりはなく、何ができるのか、変なやつではないか、成果をすぐに出せるか、みたいなことをとてもきちんとした言葉で聞いてくるのです。
そこでなぜか本来の自分を出せません。
出してもどうかと思うのですが、なんだか凝り固まって変に緊張した大人っぽくない人になってしまうのです。
また、ちょっと嘘くさい格好つけたストーリーを用意してしまったりして、自然ではないので当日忘れて変なことを言います。
そんなとき、どうして普段飲み会や遊びで出会う人とはそこまで距離は感じないのに、こういった場面ではぎこちない自分が出てしまうのだろうと思います。
企業の面接官みたいな人たちと、日常で出会っている気がしないのです。
一体この人たちはどこで生活しているのだろう。
などと思いを巡らせます。
しかし、普段と違うのはお互い様。
だから先方もこの上なくよそよそしい感じになってしまうのかもしれません。
また、私は自分に自信がないので、面接で自分の長所や短所を率直に話せないません。それについて、以前夫に指摘されたことがあります。
「そういった取り繕いは、不誠実さとして何か違和感を相手に与えるものだよ」と。
なので、おそらく私の不誠実さも面接官に伝わってしまうのでしょう。
私は面接らしい面接で受かるという経験をほとんどしたことがありません。
結果企業側は見る目がある
それにしても企業の方というのは見る目があるものだと思います。
しかしそれもそのはず。
会社側の人間は明確に自分たちが好ましいと感じる人間とそう出ない人間をわかっています。
一方、こちらは面接官が好ましくなくても、それだけでこの会社はやめとこうとは考えていません。
また、実は私などでも採用に関わるようなことをやったことがあります。
その際には、これぞという人はなぜかわかります。
ちょっと変だぞという人はメールや電話にすらその雰囲気が現れます。
これはもう共通でそうなんだなということが、立場変わればわかるものでした。
弾いてもらえたことで、自分の生きやすい場所に行き着く
つまり私はいつも弾かれるべきところでは弾かれているのです。
初めは残念に感じますが、よくよく考えてみると、そのように弾いていただくことで、自分が馴染みにくい環境にあえて足を突っ込んで時間を浪費せずに済んでいるのです。
今となってはどこの会社にも務めることは難しいだろうと思っていますが、それはつまり自分がいまの働き方をある程度快適だと感じ、選んでいるということでもあるのです。
こうして淘汰され続けてきたことも、自分が生きやすい生き方を見つけるためには必要だったのだなと思えています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?