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将来、娘が図太く生きられるように、2歳の娘の嫌われる権利を守りたい

昨晩、娘がなかなか寝ないのを夫が少し厳しく寝る時間だと言い聞かせていた。
昨日はお昼寝もせず、早く寝るかと思っていたが、20時過ぎまで粘っていた娘。
録画していたテレビを見せて寝落ちさせようとしたのだが、なかなか寝落ちせず「別のがみたい」「遊びたい」などと目が冴えていく様子だ。
そこで夫は、幾度か、「これを見ないなら本を読んで寝よう」など、これは寝る導入なのだということを言い聞かせていた。
しかし娘は眠たいのもあり、夫に言われていることを理解してはいるようだが、ややふざけている様子だった。
そこで夫が少し厳しい態度に移行しはじめる。
娘はこれには敏感に反応し、悔しそうに泣きはじめ、抗議する。
しばらく泣いたあと、娘は結局そのまま疲れて寝てしまった。

私は娘と自分を重ね合わせ、なんだか可哀想になって泣けてきた。
私の思い込みなのだが、私にとって夫はいつも正しい側の人間のように思う。
私や娘は頑固だし、何かしたいことがあるとそこから切り替えるのが難しくなる。
睡眠のリズムや生活のリズムに関してもいわゆる「早寝早起き」などのように、規則正しく行動するのは苦手だ。
大人しく素直なタイプでもなさそうだ。
一方、サラリーマンとして規則正しい毎日をルール通りに上手に生きている夫は、穏やかなタイプだし、素直な性格に思う。
そんな夫に、もう寝なさいと、正しそうなことを厳しく言い聞かせられたら、娘は辛いだろうと思った。
もともと娘の夜寝ない問題は私を悩ませてはいた。
夜寝てくれないと、親は疲れる。
また、夜22時〜23時ごろまで寝ない娘は、大きくなっても夜更かしで朝が苦手なちょっと社会生活がしにくい人間に育ってしまうのではないかという危惧もあった。
そういう妄想がまた親を悩ませる。
しかし、私はここ最近、娘が寝なくて辛い問題については、やや開き直りムードであった。
だから、昨晩もそこまでイライラとはしなかった。
同様に、その他しつけに関しても、できるだけ叱ってしつける、言い聞かせるような上から何かを押し付ける形では行いたくないと思っていた。
また単純に現在、しつけの効果が出ていると思えなかった。
それどころかしつけがマイナス面に効いてしまっているように思う。
例えば、「ジュースは飲みすぎてはダメ」「アンパンのテレビは見過ぎてはダメ」と自分の中にある価値観をもとに、ある一定のところでは娘のしたいことを制限してきたと思う。
こうすることで、2歳の娘はジュースが飲みたい時、アンパンを見たい時、小声で私の顔色を伺うように、悪いことをこそこそ伝えるように申し出てくる。
これはされるとものすごく胸が痛む。
子供は図太くわがままを言いまくって良いものだ。

ここまで育ててくる中で、私は幾度も自分が周りの目や価値観に合わせる形で、娘の個性を矯正するようなことをしてきたと自覚している。
しかし、本来なら私が変な親だと思われようが、娘が可愛くないわがままな子だと思われようが、娘のありのままを貫き通せるよう、世間の目から守ってやるのが親だと思う。
娘が周りから嫌われる行動を堂々と取る権利を守るという感じだろうか。
それが、たった2年の間にも娘のありのままの個性をだいぶ損なってしまったなと思う。
私は娘が生まれる前、我が子は絶世の美女か、天才児か、あるいはそのような力を後天的に親が身につけさせてやることができるまっさらな命の塊か、その辺りのものが生まれてくると思っていた。
しかし、生まれてきた娘を見て、接して、感じた感想は「意外と普通だな」という感じだった。
見た目もまぁ普通だし、とりたてて天才児の片鱗もない。
また、それとは別のイメージで、私は、娘の性格は私ではなく、なぜか夫の性格で生まれてくると思っていた。
私が夫に対して感じる、便利だとか、おとなしい性格だとか、とにかく親にとって都合の良い、夫にそっくりな子供が、夫2号として生まれ、私を支えてくれるのだろうと思い込んでいた。
すると、驚くほどわたしにそっくりな子供が産まれてきた。
こうなると、頑固な部分や、育てにくい所はしっかり目につく。
そこで感じた。
ああ、親が性格を作ることなどできないのだと。
私は娘が私にそっくりなので、私がこう生きられたら幸せなのだろうな、と感じる生き方をして欲しいと思ってしまう。
私は、子供が今後できるだけ努力しなくても、自分のありのままの能力や興味の赴くままに生きてほしいと思っている。
そうあるために、しつけより大切なことがあると感じ始めた。
例えば、日本人は真面目で大人しく、素直な性格の人が、一般的に重宝されるサラリーマンとしてのスタンダードを歩めると思う。
しかし、娘はそのタイプの生きやすい扱いやすい人間ではないような気がする。
こうなると、何も考えずに世間のスタンダード教育に触れさせ、周りと同じように、素直教育を受けていたのでは、自分に劣等感を持つだけだろうと思う。
娘には、やりたいことや、嫌なこと、苦手なことをはっきり自覚させたまま、生涯にわたって自分らしく生きて欲しいと思う。
そのためには、例えば、自分に合わない職業選択をスタンダードにならってすることは得策ではない。
または、やりたいことと、お金を得ることを切り離して考えられるような環境を整えたいと思ったりもする。
さらに、例えば日本語しか話せないことで、真面目教育から外れる人の可能性が狭まってしまうのなら、日本に囚われないために英語教育はぜひ行いたいと考えている。
そんなことをいろいろ考えながら、子供がしたいことに取り組んでいる時には、いつでも全力で応援し、見守ることができるかを極論で考えてみる。
私が思い描く我が子のあって欲しい姿とは、ここまでの述べたように個性全開なイメージだ。
そうなると、例えば、演劇をやりだしたりして、売れない劇団員みたいなことを、図太くやり抜く人生を選んだりしたらどうだろう。
これは夫が私に「娘がそうなったらどうするの?」と聞いてきたのだ。
そこで私はちょっと考えて、それが好ましいか好ましくないかには、私の好みが入ってしまうのだが、

それこそこの子育ての成功なのかもしれないなと思った。

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