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松永K三蔵『バリ山行』を読んだ感想

直近の芥川賞受賞作、松永K三蔵の『バリ山行』を読んだ。読み終わった。読み終わったのだけれども、なかなかこの一冊を本棚に収めることができずにいる。もう少し、もう少しだけ、手もとに置いておきたい。いつくしみたい。撫でまわしたい。そうしてそぞろに、ぱらぱらページを繰っていると、だんだん感想が書きたくなってどうしようもなくなる。オモロい。オモロい。オモロすぎた! というわけで、矢も盾もたまらず、ここに一筆、ものするしだいである。

あらすじは、以下のとおりーー(以下、「ネタバレ」を含みます)。

舞台は、兵庫にある建築改修業者。社員数五十人に満たないその中小企業の登山部の山行(さんこう)に、あるとき、「妻鹿(めが)さん」が参加することになる。その企業に長らく勤務しながらも、会社行事にはほとんど参加せず、周囲の社員にも打ち解けず、なんなら白眼視され、腫れものあつかいされているその四十代の中年男性社員。語り手の「私」は、そんな妻鹿さんの山行への参加を「意外に」思う。

じつはこの妻鹿さん。「バリ」をやっているのだった。「バリ」とは、「バリエーションルート」の略。すなわち、あまたの登山者に踏み均され、整備された通常の登山道ではない、道ならぬ道をあえて進むストロングスタイルだ。もちろんそれは、ただでさえ遭難事故の多い登山にあって、みずから進んで事故を引き起こすようなもの。じっさい、そうしたバリを「危険行為」「迷惑行為」と非難する声もあるわけだが、この妻鹿さん、ひそかに登山アプリにそうしたバリ山行の記録を残しているつわものだった。ちなみにそのアカウント名は〝MEGADETH〟。メガデス。そう、妻鹿です。

しかしそのころ、会社役員の退任にともない、経営方針が変わったことが裏目に出て、じりじりと会社の経営が傾きだす。社内では、人員整理のうわささえ出るようになる。そしてその筆頭として名前があがっていたのは妻鹿さんで、まさしくここに、文字どおりの〝妻鹿・DEATH〟的空気がただよいはじめるのであった。

それでも、会社が不穏な空気につつまれるなかでも、〝MEGADETH〟の山行記録は更新されつづける。そのアカウントの主は、俗世の生活などにはいっさいかかずらうまいとでもいうように、毎週、毎週、バリを決行しているようだった。

そんなあるとき、仕事上のトラブルを妻鹿さんに救ってもらった「私」は、妻鹿さんとふたり、バリ山行をともにすることになる。はじめこそ、険しいながらも新鮮なその道行きを愉しんでいた「私」だったものの、命の危機にさらされるほどの常軌を逸したルートがつづくうち、さすがに妻鹿さんへのいらだちを隠しきれなくなる。とうとうその怒りは臨界点を超え、「私」は思いのたけをぶちまけてしまう。

山は遊びですよ。遊びで死んだら意味ないじゃないですか! 本物の危機は山じゃないですよ。街ですよ! 生活ですよ。妻鹿さんはそれから逃げてるだけじゃないですか! ズルくないですか? 不安から眼を逸らして、山は、バリは刺激的ですけど、いや〝本物〟って、刺激的なもんじゃなく、もっと当たり前の日常にあるもんじゃないですか。

(p.128)

そのバリ山行があった後日、妻鹿さんは、会社を突然やめてしまう。その原因にあのバリ山行の日に「私」が突きつけた言葉がどれほどの影響があったのかはわからないけれども、くだんの登山アプリからは〝MEGADETH〟のアカウント自体が削除され、「私」は妻鹿さんとのいっさいの連絡手段を絶たれてしまった。

そして気づけば「私」は、妻鹿さんのたずさえていた装具をみずから買いそろえ、その姿を模して、ひとりバリ山行へ向かうこととなる。

ザックにレインカバーを被せ、顔面をバラクラバで覆って保護眼鏡をつけ、ピックステッキと手鋸を手に持った。藪に入りこみ尾根を辿って岩を越えた。ピックステッキで斜面を登り、柄を伸ばして落葉の中を探る。危ない箇所ではロープを出す。それらは全て妻鹿さんとの山行でやったことだった。そうして尾根を伝って歩き、また藪を潜って登山道に出ると、通り掛かったハイカーのグループと出会して、「うわあッ!」と声をあげて驚かれた。私は慌ててバラクラバを引き下げ、会釈をして、含羞した。

(p.150)

こうして「私」が「含羞した」とき、「私」はほとんど、あれほど非難していたはずの、当の妻鹿さんそのひとになった、なってしまった。というのも、まさにその「含羞」こそは、「私」がはじめて妻鹿さんと会話を交わしたとき、妻鹿さんが見せたそれーー「照れ隠しのように含羞みを見せた」(p.13)それーーにほかならなかったからである。

『バリ山行』(講談社)

……と、あらすじを追いかけるだけでゾクゾクわくわくしてくるこの作品だが、私がいちばん惹かれたのは、この小説が、古くて、しかし決して古びることのない古典的なテーマを一心に追いかけているそのひたむきさだった。

それは、最初に引用した部分、「本物の危機は山じゃないですよ。街ですよ! 生活ですよ」という「私」の叫びによくあらわれている。というのも、ここには近代以降の「純文学」がくりかえし問うてきた、「芸術か生活か」という例の葛藤ーーたとえば、正宗白鳥と小林秀雄のいわゆる「思想と実生活論争」を想起してもよいーーをほの見る思いがするからである。

「山」(芸術)を選ぶか、「街」(生活)を選ぶか。ーーその感情の起伏こそが、この小説をかたどっている「赤色立体地図」なのだ。

いうなれば、妻鹿さんは、孤高の芸術家である。たしかに彼は「街」に生活のたつきを得なければならない。だが、彼の仕事のようすからうかがえるのは、防水工事に関してはピカイチの技倆を発揮する、どこまでも職人肌の気質である。その妻鹿さんが命をかけて向き合っている「山」とは、だから、芸術の領分の正確なメタファーである。

しかし「私」は、「街」をなおざりにする妻鹿さんの浮世離れした思想が気に食わない。妻鹿さんは、「目の前の崖の手掛かりとか足掛かり」を「本物」だの「実体」だのとぬかすけれど、「街」のシステムとロジックとに絡めとられている「私」には、それが「雲を摑むような話」にしか聞こえてこない。

けれども、妻鹿さんの防水の「芸」がなければ、そもそも「私」は仕事の危機から脱することはできなかったのだ。「私」は「街」に属する人間でありながらも「山」へのあこがれを捨てられず、そのいっぽうでは「山」を憎み、しかしけっきょく、愛憎相半ばする最後にはやはり、「山」へ分け入っていく道を選んでしまう。はたしてそれが「私」にとって、幸せなことなのかどうなのかはさておくとして……。

そしておそらくは、この「芸術か生活か」という葛藤は、書き手であるK三蔵さん(とよばせてください)そのひとのそれの投影ではなかっただろうか。そう邪推したくなる。どうやらK三蔵さん自身も、会社づとめのかたわらで、日々、コツコツと小説を書きつづけていたそうで、藪のなかをえんえん進みつづけるような嵐気に満ちたその山行の果てに、こうしてこのたびの栄誉にかがやいたのだ。

作家の生活と小説のテーマが合致した、あるいは、図らずして作家の生活が小説のテーマににじみ出てしまった好例を、私はこの小説に見る思いがした。これは、ほんとうに、掛け値なしに言って「オモロイ純文学」の傑作だった。

ちなみに、K三蔵さん、著者プロフィールには、兵庫県西宮市在住とある。余談だが、私の妻(神戸出身)は過去にJR西宮駅すぐ近くのマンションに住んでいたことがある。部屋の窓からはすぐ眼下に鉄道がのぞかれ、新快速が通過するたび、レールをとどろかせる音が地鳴りのように聞こえてきた。

そのマンションから歩いて五分もかからない距離に、「淡路島バーガー」を売る店があったのを思いだす。夏の暑い盛りに、当時まだ、結婚もしていなければ当然子どももいなかった私たちは、ふたりきり、しばしばそのお店に足を運んでは、汗をかきかき、ハンバーガーをテイクアウトしたものだった。

気になって調べてみると、どうやらその店、阪神の西宮駅の少し南のほうに移転したもよう。また、いつか、その店のハンバーガーを食べたいものだ。今度は、いまでは1歳半になっている息子をつれて、子をつれて。葛西善蔵、K三蔵。これにて御免。


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KOHEYA Ryutaro
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