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【短編】埼玉生まれの死神
「まさかこんなんがきっかけで死ぬことになると思わんかったやろ。ええ気味や」
と言いながら、千葉は淡々と短いナイフを男の肌に刺していく。人を殺すときいつも関西弁になってしまう。それは千葉が常々直さなければと思っている癖だ。姓は千葉だが、生まれも育ちも埼玉県だ。
「でも、まだ助かるかもと、心のどこかで思うとるやろ?確かにそうかも知れん。こない小さなナイフやと何べん刺しても死なんときは死なんもんやからな。なら目ぇ潰しとくか。助かっても目ぇ見えんようにな」
先ほどからナイフで刺されている男は、夜道で千葉に絡んできた若い男だ。歩いているとき、千葉が避けないから肩がぶつかったといってイチャモンをつけた。最初、千葉は謝罪したが、男は執拗に絡み続け、しまいには手を出した。千葉が殺人鬼であるとも知らずに。
男は右腕で必死に目をかばい、声にならない悲鳴をあげる。
「手ぇ邪魔や」
と言いながら、埼玉県生まれの千葉は男の右腕にナイフを突き刺す。
刺し慣れているせいか、まるでハンコでも押すように軽く刺すだけで、刃渡り6cmのナイフは難なく元まで埋まる。
「手ぇどかさんともっと刺すでぇ・・・刺すぞ」
そう言われたって腕をどかすわけにはいかない。
目を刺されるなんて絶対に嫌だ。死んでも嫌。男がそう思っているうちに次第に痛みが消えていくことに気づいた。死ぬのか。これが死か・・・。
思えば多難の人生だった。
大学は2浪したうえ、結局現役の時に滑り止めで受かって流した三流大学にギリギリ合格。両親はその時の落胆を今でも昨日のことのように語る。
地元の銀行に就職したものの、定期的にやってくるクレーマーに悩まされ、短気で自信過剰で、機嫌がコロコロ変わるわがままな上司に毎日振り回されている。
上司より先に帰ると上司の機嫌が悪くなる。だから今日も9時まで残業。そんな日の帰りはイライラして、誰かに当たりたくなる。つい千葉に因縁をつけてしまった。
ここで自分は殺されるのだ。死ぬのだ。何というくだらない人生だろう。
しかし、
しかしだ。やはりこれは解放であり安らぎなのだろう。
ナイフを刺される前よりも今の方が良い心境だ。そうとまで思える。
もはや痛みも悲しみも苦しみもない。試しに目を刺されてみてもいい。そんな心境だ。
次第に千葉に対する崇拝にも似た感情が沸き起こる。彼は解放者だ。彼は命を奪うが、その代わりに死を与えてくれる。
インドの神が触れるものをみな変化させるように、この殺人者は生きている私を死んでいる私に変化させる。
勿論、心残りが無いわけではない。
妻も子もいる。彼女たちにとって、このタイミングでの私の死はやはり不幸といえるだろう。
しかし人はいつか死ぬのだ。それは必ず訪れる不幸であり、多かれ少なかれ、何等かの不公平や衝撃を残して人は去るものなのだ。
千葉は相変わらず変な関西弁で何か言っている。
きっと自分に対する罵声なのだろうと男は思った。千葉の動機はもはや何だっていい。死が解放であるという事実に、何らの曇りを生じさせるものではなかった。
数年後、千葉は死刑になった。