れいわ新選組の「いかなる国であろうとも、力による現状変更は断じて容認できない」という衆議院決議への反対について
一文一句について思うこと
>大きな紛争につながらないように特定の国を非難するのではなく
「大きな紛争」望むわけでは無いが、国際社会の秩序乱す行為を非難しないのはどうなのか?
非難するだけで戦争につながるとは限らず、むしろ、非難しないことで余計に行動がエスカレートする場合もある。
むしろ、各国がロシアの行いに異を唱えないことで、余計に無茶をすることもあり得る。
>各国に自制を求めること......
90年代のネオコン時代に比べれば、米軍が派遣した兵力はたったの3,000人。しかも、ウクライナ入りはしていない。
周辺国の援助も、小火器の供与がほとんどで、軍の派遣は一切ない。
かなり抑制的で、むしろ頼りなさすら感じられる。
これに比べて、ロシアはどうか?
国境に我が国の陸上自衛隊を上回る戦力を集結させたどころか、頻繁に挑発行為まで繰り返した。
自制の勧告が特に必要なのはどこか?言わずとしても明らかである。
>その双方に中立の立場から、自制を求めたり、交渉を担うことが
この状況における「中立の立場」とは何か?
この内容を見れば、ロシア側の不法行為に異を唱えないことが中立か?
そんなものでは八方美人どころか、「ポーズだけの声明で、実質。見て見ぬふりをしたと」と当事国のウクライナや各国から後ろ指をさされることになる。
「軍事力による現状の変更は許さない」という姿勢が問われており、これは単なる「どちらにもつかない」ということではない。むしろ、第二次大戦後、国際連合が発足してからの原則であった「集団安全保障」――国連という一つのグループの中で、どこか一国が不法を働けばほかの加盟国が抑止する――のシステムや理念にを維持できるかの問題でもある。
第二次大戦後に各国が守るべきだったルールを破ろうとしている行為が、問われているのだ。単なるNATOかロシアかという問題ではない。
みんなが守るべきルールが破られようとしており、それに対して異を唱えない国が果たして国際社会から信用されるか?
山本太郎氏の安保政策(?)は各国からの救援を前提にしたものだったが、こんなふざけたことを抜かしていたら。誰も助けてくれない。
こちら側の真意がどうであれ八方美人として無視されるかもっとひどいことになる可能性もある。
>世界はロシアと交渉する重要なチャンネル・カードを失う。
力を前面に出して、恫喝する相手にフリーハンドでは単に相手の要求を含むだけで交渉にもならない。
>ロシアを敵対する勢力に位置付ける意図が透けて見え......
プーチン大統領がフランスのマクロン大統領に対してぶち上げた演説は、むしろ、ロシア側がNATO各国を敵と位置付けるように見えたけど。
>どの勢力が悪いか匂わすことは無い
「国外勢力の動向によって」は、現実に起きていることであり、これを削除すると、卑劣な行いを「暴力と恫喝」に屈して隠蔽することになりかねない。
下手をすれば『一連の不安定化はウクライナ政府の責任』という話にでっち上げられかねない。
にせもののウクライナ軍装甲車を出して、関東軍以上に悪辣で杜撰な自作自演をする国が(軍の独断専行ではない)それをしないと良いのは深慮に欠ける。
野党議員が自国の政府に批判的で信用しないのは結構だが、他国の政府を過剰に信用するとはどうゆうことか?
全体について
こんな声明文出したところでスルーされるか、歯牙にもかけられないだけじゃないの?
そもそも、国際連合とは集団安全保障とは国際社会において無法を働く者がいれば、全員で抑止することに在り、それが国連とともに誕生した戦後秩序においてはそれが理想であり、冷戦後は国際社会も法の支配が適用されると考えていたが、この声明を出せばそれを否定することに他ならない。