じぶんごと化すると、コンテンツの楽しみ方は全然変わる。 #サイボウズ式チーム本 「未来のチーム」の作り方に触れて
今のじぶんがこの本を読んで、思う事がたくさんありました。今のじぶんじゃないと気づけない事がたくさん書いてありました。以前会社に勤めていた頃のじぶんや職場環境について、現在所属しているコミュニティの中でのじぶんのあり方みたいなものについて、読んでいく過程で、過去のじぶんを振り返って勝手に自己検証してしまいました。1年前のじぶんに読ませたい本です。この本を書かれたサイボウズの藤村さんってどんな方なのか、イベントが始まるまで気になっていました。実際、会ってお話したら、ふつうに親しみやすく素敵な人でした。この本と藤村さんにお会いできて、めっちゃよかったです(めっちゃは言い過ぎかもしれないけど、あえて言いたい)ーぼくの感想です。
2019年7月12日(金)原宿のsubacoで、「サイボウズ式」編集長の藤村能光さんの書いた「未来のチーム」の作り方の書籍発売を記念したオフラインイベントこれからの「コミュニティ」と「企業」の在り方を考えるに参加してきました。
はじめに
このnoteは、イベントを通してのじぶんの感想を書いていくつもりでいたのですが、ただイベント当日の感想を書くだけでは、伝え足りないかなぁと思いました。
なぜなら、チケットを申し込んでイベントに参加するまでの間、ぼくの心の中は、じわじわといろんな気持ちが高ぶっていたからです。この沸々と高ぶる気持ちがなければ、イベントは、ぼくの中では、そこまでたのしめなかったのではないかなぁと今は思います。どれくらいたのしめたかどうかの差は、関わるコンテンツ(本とイベント)について、じぶんごと化できていたかどうかの差ではないかなと考えています。
なので、少しイベントについての感想を述べる前に、寄り道をさせてもらいます。
参加した動機
参加した動機は、たしかTwitterでフォローしていたピースオブケイクの水野圭輔さんから、このイベントについて情報が流れてきたのがきっかけでした。ゲストとして、水野さんも著者のサイボウズの藤村さんと一緒にトークに参加するという事で、どんな内容か少し興味を持ちました。とりあえず気になって、スケジュールも空いていたので、Peatixで早速チケットを購入しました。購入した時点で、そこまでワクワクするところまでは、気持ちが高ぶっていませんでした。
購入後、たまたま吉祥寺の駅内の本屋で「未来のチーム」の作り方の本がすでに置かれていて(たしか発売日当日だったかな)、そういやイベントの本だから事前に読んでおいた方がいいだろうと思い、早速購入。この時も、この本についての興味関心の熱は、そこまで高くなかったと思います。
で、いざ読みはじめてみるとですね、じわじわ、この本めっちゃいいかもと思うようになりました。
目次を読んでみると、気になるところがあった
この「未来のチーム」の作り方を最初読み始めた時に、「はじめに」と「目次」を読んで、気になるところがありました。
ふつうの人
本の「はじめに」で「サイボウズ式」編集長の藤村さんがじぶんの事を「ふつうの人」と称していました。以下、本書の内容を引用します。
そもそも僕は強いリーダーシップで人を率いるようなタイプではありませんし、何か特殊なスキルを持っているわけでもありません。今まで大きなことを成し遂げたといった武勇伝もありませんし、極めて「ふつうの人」だと思っています。
根拠はあまりないのですが「ふつうの人」という言葉に何か惹きつけられるものがありました。最初、その言葉を使ってるのは、謙遜しているからではないかなと思っていたのですが、後日、各章を読み進めていくうちに、言ってる事が本当にそうなんだろうなぁと感じてきました。そう感じたのは、ぼく自身が、ふつうの人であり、ふつうであるじぶんに一時落胆していたからだと思います。読んでいるうちに、共感できる部分が、かなりたくさんありました。
目次について
各章を読む前に、目次をざっと目を通してみると、気になるワードがありました。以下、本書の気になった目次を引用します。
第2章 チームの土台は「情報のオープン化」
心理的安全性とは「さらけ出す」ことで生まれる
オンラインでもオフラインでも「雑談」が効く
第6章 会社の「外の人」とチームを組む
コミュニティには明確な目的がなくてもいい
上記の3つの目次ですが、なぜ気になったかというと、ぼくが現在、所属しているオンラインコミュニティ「コルクラボ」の行動姿勢に似ているところがあったからです。
少しコルクラボの話をさせてもらいます。コルクラボは、株式会社コルクの佐渡島庸平さんが主催しているコミュニティで、ぼくは2018年7月から参加しています。1年くらいコミュニティに身を置いていると、コミュニティ内のコミュニケーションの仕方に、悩んだり、考えさせられる事が色々ありました。また、過去会社に勤めていた頃のコミュニケーション環境と比べて、コルクラボのコミュニケーションは真逆でした。コルクラボに入った時、そのギャップに衝撃を覚えて、どうコミュニケーションをとっていいか戸惑いました。
心理的安全性とは「さらけ出す」ことで生まれる
「心理的安全性」と「さらけ出す」という言葉は、コルクラボ内で使われる言葉です。
心理的安全性とは、提案したり、質問をしたり、懸念していたり、失敗したことによって、罰せられたり、恥をかかされたりすることが無いことだと信じている状態
引用:心理的安全性の構造 デブサミ2019夏 structure of psychological safety
心理的安全性についての詳しい話は、このnoteでは端折りますが、興味ある方は上記のリンク先の内容を読んでみてください。
ぼく自身は、この心理的安全性については、まだちゃんと飲み込めていないところがあるので、下手なことは言えないのですが、コルクラボ内では、この心理的安全性を確保しやすくするために、コミュニティ運営メンバーや所属メンバーが、コミュニケーションにおいて、何かしら働きかけてくれてます。
例えば、誰かがオンライン上の会話で意見を言った時に、他の誰かが反応したりコメントをくれたりするのですが、じぶんが発言した内容について、あまり否定される事がありません。否定されると、大概の方は、良い気持ちがしないと思います。「なんだこいつは!」と怒る方もいるでしょう。逆に、肯定されると気持ちいいです。
一方、誰かの意見を聞いて、じぶんは否定的な考えを持ってしまった事があるかと思います。そういう時、否定的なコメントを言う事自体が、ストレスと感じる方がいると思うんです。相手を傷つけないように、じぶんが嫌な人だと思われないようにするために、思った事と逆の事を言ってしまうケースもあるでしょう。
ぼくの場合ですが、コルクラボのコミュニケーションの中において、周りの目を気にしてしまうあまり、じぶんが本当に思った事とは逆の事を言ってしまいそうになる事がよくあります。その時、心の中では、じぶんに嘘をつきたくないけど、正直に言ってしまっていいのだろうかと悩んでしまう事が、かなりあります。
そういう時、どうするか。相手の受け取り方しだいなので、結果的にどうなるのかわからないのですが、ぼく自身が素直に思った事を、なるべく相手を傷つけないように言葉を選んで、正直に言うようにしてきました。正直に言っても、コルクラボ内では、誰も否定してくる事はあまりありません。
なんで正直でありたいかの理由については、以前会社に勤めていた頃に、かなりじぶんに嘘をついてコミュニケーションをとっていたせいかと思います。場の雰囲気や相手の機嫌に合わせて、心にもない誰かの言葉を借りて、じぶんの言葉のように喋ってました。じぶんを少しでもよく見せようと、わかっているふりをして周りにアピールしていました。じぶんの今まで持っていた「常識」に振り回されていました。今思うと、考える事を放棄して、振り回されるままに行動していて、内心はしんどかったと思うんですよね。
そんなコミュニケーションをベースで、コルクラボの人と接してみると、どうも会話が噛み合わないんです。ズレを感じるなぁと思いました。たぶん、それはさらけ出して、じぶんの言葉で喋ってないせいだと感じました。
否定されない環境というのは、実は言いたい事をはっきり言わず、周りの雰囲気にあわせて、たのしく見せたりして、あえてピリっとした感じにならないように、「ぬるま湯」みたいな、なぁなぁな関係のイメージを持つ方もいるかと思います。ビシッと言いたい人からすると、もしかしたら居心地が悪いかもしれません。
コルクラボというコミュニティの中で、そう言うイメージが全くないかと言えば、ぼくには言い切れません。なぜなら、多様性を尊重しているからです。和を重んじる人、たのしい雰囲気の中でいたい人、感情的にならないようにしたい人、感情をあえて全面に出す人、ズバっとはっきり言う人など、いろんな人がいます。
多様性はありつつも、ある程度、ぬるま湯の会話からは、コルクラボは脱しているのではないかと感じています。
コミュニティに入ってくる時は、各々のコンディションや置かれているフェーズは違います。すぐにコミュニティの文化に馴染む人もいれば、時間が経ってから馴染む人もいます。合わないと思って、退会する人も、もちろんいます。すぐ馴染めない人は、どうしても最初は儀礼的な会話になって、なぁなぁになってしまう事があります。ぼくも、そうでした。時間が経ってから馴染むタイプだったと思います。
コミュニティ自体も、日々変化していきます。なので、過去のある状態を基準で、今のコミュニティの居心地の良さを確認してみると、人によっては、過去の方がよかったと言う人もいれば、今がいいと言う人もいるかもしれません。
ぼくがコルクラボに入会した頃は、かなりフラットなコミュニケーションができる環境が整っていると思えました。居心地の良さは少なからず感じていました。個人的に紆余曲折はありつつも、ぼくは、段階を経て、少しずつですが、フラットな環境の中で、じぶんをさらけ出す事ができるようになっていきました。
オンラインでもオフラインでも「雑談」が効く
フラットなコミュニケーションがしやすい環境だからと言って、スムーズにじぶんの心理的安全性が確保できていたかと言うと、そうではありませんでした。前述で紆余曲折はあったと言いましたが、一番の心理的安全性の確保を邪魔するのは、個人の自意識です。
こんな事言ったら、なんて思われるかなぁ、恥ずかしいなぁ、否定されるんじゃないかなぁ、誰も反応してくれないんじゃないかなぁみたいな、不安が心の中に渦巻きます。結果、さらけ出す事を躊躇します。
さらけ出すという言葉が、人にはどうしても言えない事をカミングアウトするみたいなニュアンスでとられがちですが、そうではないと思います。今日こんな事があって、たのしかった、悲しかったとかでもいいんです。ただ「おはよう」と挨拶するだけでもいいのです。
さらけ出さないと、相手もじぶんの事を理解して親近感を持ってもらえません。かと言って、いきなり「さらけ出せ」って言われても、慣れてない人だとなかなかできないですし、頑張って言えたとしても、どうも言葉が堅くなってしまって、発する側もしんどかったりします。(そもそも誰かに押し付けられるものでもないので)
さらけ出すことについて、ぼくはコルクラボに入った当時は、かなり悩みました。自意識の塊でした。現在は、だいぶマシになりましたが、その日のコンディションによって、自意識が襲ってくる事があります。そういう時は何も言えなくなります。
そんな時に「雑談」が役立ちました。コルクラボ内では、いろんなオフラインイベントがあります。ただ飲むだけの会、ある作品についての読書会をする、みんなで落語を観に行くなど様々です。そこで交わされる会話のほとんどが雑談です。オンライン上でも、雑談をするSlackチャンネルやコルクラボ専用掲示板があります。中には、ただその日その日のおはようおやすみを言うだけのチャンネルもあります。最近は、自撮り写真をあげるメンバーもいます。
どうでもいい話から、今日嬉しかった事、悲しかった事をただただ勝手に語れる場所があるのです。誰かが語ると誰かがリアクションして、雑談が始まります。これを定期的に繰り返していくと、自然と自意識が緩和されていくと思います。自己肯定感が生まれます。
コミュニティには明確な目的がなくてもいい
コルクラボ内には、行動指針やスローガンのようなものはありますが、具体的な目的がありません。コルクラボの運営側としては、こんなコミュニティになっていったらいいなぁぐらいのイメージは持ってるかもしれません。しかし、そのイメージが必ずしも所属メンバー個人の持つ目的にはなりません。入会したメンバーが、コルクラボでどうしていきたいか?はじぶんで考えて選んでいきます。中には、特に目的がなくても、居るだけでたのしいと言ってるメンバーもいます。居心地がいいのだと思います。
ぼくは、「いつでも接続できる場所」というイメージをコルクラボには持っています。しばらく、コミュニテイに参加していなくて間が空いてしまっても、また戻ってきて、みんなが迎え入れてくれる雰囲気があるので、気持ち的に楽です。
話を少しずつ戻していきますね。
かなり目次の話からコルクラボの話へと脱線してしまいましたが、ただの目次からでも、じぶんのここ一年の過去を振り返るきっかけになったのは事実です。そして、実際本を読んでいくと、要所要所で、この本に書いてある事めっちゃ共感するってところが、かなりありました。言い過ぎかもしれませんが、本当にあったんです。
読み進めていくうちに、著者であるサイボウズの藤村さんに、親近感を持つようになりました。おこがましい言い方になっちゃいますが、じぶんと似ているところがあるなぁ、じぶんと同じ悩みを持っているなぁ、じぶんが今できていないことを、この人はこうやって改善したんだぁ、などなど思ってしまいました。じぶんを投影して読んでいました。実際お会いしたら、どんな方なのか気になりました。
詳しい本の内容の感想は、語りつくせないので、また機会があったら、noteに書きたいと思います。
一年前の過去のじぶんが、この本に出会っていたら、コミュニティでの関わり方や姿勢、日々の生き方もだいぶ変わっていたかもしれません。こういう本が欲しかったんだと今は思います。
言い過ぎかもしれないですが、コルクラボに入って日が浅いメンバーには、この本はおすすめです。心理的安全性の確保ができていない会社環境に身を置いてる方にも共感できる部分が、かなりあるんじゃないかと思っています。
イベント当日について
さて、コルクラボの話をしているのか、この本の話をしているのか、イベントの話をしているのか、ごっちゃになってきてしまっているので、本題に戻します。ここからは、当日のイベントに参加して、ぼくが気になったところをピックアップして感想を書いていきます。
会場の雰囲気
ほぼ満席でした。ぼくは、最前列に座っていて、始まる直前に後ろを振り向いたら、人の密度に少しびっくりしました。
まずは雑談から
登壇者は、左からピースオブケイクの水野さん、サイボウズの藤村さん、写真には写っていないですが、画面右側には、司会進行のキリンホールディングスの平山さん。
水野さんの持っているマイクを見ると、ガムテープでマイクを固定してあって、途中パカって取れたりしていました。ちょっとしたトラブルを交えながら、雑談が始まり、いつの間にか、3人の息のあったトークが炸裂して笑いが起きていました。場はあったまっていきました。
チームプレーが全くできてなかった
Wasei salonの長田さんの挨拶から始まり、登壇者3人のトークが始まりました。簡単な御三方の自己紹介から。3人とも同い年。藤村さんの関西訛りが聞いていて心地よかったです。
「理想のチーム作りってなんだろう?」が最初のテーマで、藤村さんの話が始まりました。
事前に読んだ本にも書いてあるのですが、サイボウズの藤村さんは、以前は尖っていたらしいです。チームプレーが全くできていなかったとの事です。平山さん曰く、初めて2年前に藤村さんと会った時は、尖ってて、話しかけないでオーラを感じたとの事。
一人でガツガツやる一匹狼で、じぶんのために仕事をしていたんです
という話を聞いて、ぼくと似ているなぁと思いました。ぼくは、会社に勤めていた時も、コミュニテイに所属している現在も、人に頼らないで、じぶん一人でやってしまおうという気持ちが常にあり、自我が強いせいもあって、なかなか周りから共感を得られにくい状況だと思っています。なので、ぼくは、チームプレーに向いてないんじゃないかと時々、憂鬱になっています。
自発的にチームのためにじぶんを変えていこうと思ったきっかけはあるんですか?という質問に対して、藤村さんは答えます。
「じぶんはふつうの人で、リーダーとして引っ張っていくタイプでもない。個人で立てる目標って、自分の限界値でしかない。サイボウズ式の編集長に5年前になって、チームとしてのアウトプットを求められるタイミングになった時に、じぶんのための仕事、じぶんのための目標って、頭打ち感があるなぁと感じました。各個人が自立して、自由に働いて、チームの成果としての総和が高まればすごいいいんじゃないかって、価値観がパチンと切り替わったんです」
ぼくは、個人プレーから、どう抜け出すか、あがいてる最中だったので、この話を聞いた時に、今じぶんに問われている事ではないかと、じぶんごとのように、あれこれ考えてしまい、めっちゃ共感してました。
タスクばっか見てたんです、タスクバカですよ(笑)
「編集長1〜2年目は、マイクロマネジメントばかりしていて、進捗状況、タスク状況の話しかしてなくて、じぶんだったら、このタスク5分でできるのに、なんでできないんだろう?、とスタッフに対して思っていました。でも、それが間違っていました。みんなの事を見ていなかったんです。タスクばっか見てたんです、タスクバカですよ(笑)」
笑いが即座に起こるはずだったんですが、会場は、ちょっと遅れて笑いとなりました。
「人」の事を見ていなくて、じぶんとの比較をして、相手に当てはめていたんです。相手の事を信頼してなかったんです。結果的にチームの雰囲気が悪くなってしまいました。
たしかにそうだ、ぼく自身に置き換えた時も、そうだったなぁと思いました。じぶんの経験値から勝手にできるだろうと思い込んで、じぶんの価値観をチームに押し付けていたなぁという苦い記憶が蘇ってきました。結果的に、当時部下だったチーム仲間は、ぼくの考えについていけずに、辞めてしまったり、精神的に追い込まれてしまったり、みんなからそっぽを向かれてしまいました。いやぁ、本当にじぶん、だめだったんです。
水野さんが、藤村さんの本を読んで、「あがいてるな、あがいてるなって感じが伝わってきて、親近感が湧く」と言っていて、ぼくも「そうそう、そうなんだよ」って思いました。
たのしいチームにしたい
「今いるチームで、どう成果を出すかを大事にしようと思った時、一人一人の話を聞くようにして、コミュニケーションの量を増やしました。みんなの今の不安を話す時間を作って、みんなとその情報を共有しています。会議のアジェンダは、以前じぶんで作って仕切っていたけど、みんなが当事者意識が持てないと、みんな(会議が)たのしくなさそう。だから、じぶんだけじゃなくて、チームで会議のアジェンダを作るようにしています」
藤村さんの話を聞いて、問題が起こってから、話をするのではなくて、問題が起こる前の段階、少しでも不安や懸念がある段階で話をするのが大事だと思いました。だいたい、問題が起こってから対処する時には、やれる事はもう限られていたりします。感情的にもなりやすいです。
以前、ぼくは、NHK番組「SWITCHインタビュー達人達(たち)」のゲストのJAXA宇宙飛行士の油井亀美也さんの話が印象に残っています。「チームクルーで活動する時に気をつけていた事は何か」って質問に対して、油井さんは「なるべくストレスが少ない時に、不安やトラブルについてクルーに話すようにしていました」と、たしか答えていたと思います。その話と、今回のみんなの不安を話す時間って似ているなぁと実感しました。
たのしいチームにするには、単なるタスクやマイクロマネジメントではなくて、人と人とがどう向きあう話なのかなぁと思いました。
挑戦できる場所がサードプレイスにはある
水野さんが、サードプレイスに助けられたじぶんについて、話してくれました。ほぼ日の塾、コルクラボという、サードプレイスと言える場所を通して、心理的安全性を確保して、チャレンジできる場所を見出したとの事です。
「会社だとチャレンジする場所はなかった。だから、(チャレンジするために)転職するしかなかった。サードプレイスには、挑戦できる安全安心がある。ゲームで言えば、序盤のレベル1〜20まであげる事のできる場所がある」
たしかに、ぼく自身のコルクラボの経験から考えるとそうだなぁと思いました。コルクラボというコミュニティに入った時に、「ラボ=実験する場」だなぁと感じました。
ラボメンバーが普段仕事でどんな事をやっているかは、まずは置いておいて、じぶんが「やりたい」「やってみたい」「興味がある」と思った事が簡単に企画や行動に結びやすい場です。失敗しても、誰も咎めません。一方、捉え方次第ですけど、じぶんで動かないと、周りも一緒に動こうと思ってもらえません。
会社だと、失敗に対してのリスクを背負うのが、ほとんどです。直接責められる事もあります。ただ、やりたいだけでは、会社は認めてくれません。認めてもらうには、今与えられている仕事で、きちんと成果を出して認めてもらう必要があります。
昔のTVドラマの「踊る捜査線」の主人公ノンキャリアの青島俊作と上司でキャリアの室井慎次との約束のシーンを思い出します。現場の警察官が、じぶんたちが正しいと思った事をできるようにするために、室井は出世して、将来、警察の組織を変えるという約束です。
今ある場所で認められないと出世できないし、出世しないと組織を変えられない(やりたい事をさせてもらえない、聞いてもらえない)という考えに、当時のドラマを観ていたぼくは共感していました。社会人になりたての時も、その考えが常識だと思って、信じてやってきました。
でも、30代に入って、中間管理職の真っ只中にいた時に、その考えは、本当に正しいのか?と思うようになってきました。目的が出世する事になってしまい、気づけば出世した先で、じぶんは何をやりたいのか、ぼやけていました。
もちろん、出世するための実績の裏に、信頼というものがついてきますので、出世する事の全部を否定はできないです。でも、やりたい事が明確にあるのならば、会社の立場やじぶんが置かれてる状況に、必ずしも縛られる事はないのかなぁと思うようになりました。
違う場所で挑戦できる場所、例えばサードプレイスがあれば、それは素敵な場所だと思います。
じぶんらしさとは
テーマが「自分らしく「働く」ために大事なことは?」において、
「らしさは、自分に正直である事、素直である事、チームのみんなのらしさを認めていく」
と藤村さんは言っていました。
そして、個人的になるほどなぁと思ったのは、
らしくあるは、一緒に働く人から共感されてなかったら、それはヒトリよがりである、チームとして、そのらしさが共感されていなかったら、仇になる
と言っていた事です。
これは、じぶんの過去の経験を思い起こしてみても、そうだなぁと思いますし、あらためて、らしくあるというのは、なかなか難しいことだなぁと感じました。
じぶんに正直で嘘をつかない事が必ずしも、他人に共感されるとは限らないケースがたしかにあると思うのです。じゃあ、共感されるようにじぶんの感情に嘘をついて発言や態度を変えるのかいうと、そういう事を言っているわけではないと思うんですよね。
じぶんの考え方や感情は変える必要はなくて、じぶんの率直な発言に対して、相手の反応(表情や言葉や感情)を注意深く、観察して想像する事からなのかなぁと思いました。
らしさとは、じぶんに嘘をつかない、弱音を言う事。藤村さんの場合は、チームに対して「今わけわかんないです、やばいです」と素直に不安をさらけ出してるそうです。
個人的な不安というのは、会社には言いづらいです。また、じぶんが会社に頼られ始めると、余計に言いづらいです。だから、不安を押し込めて、じぶんをよく見せようとか、なんでもないように見せたりしてしまいがちです。その行為が必ずしも悪いとは思いません。
一方で、隙がないと、相手も隙が出せません。こっちが隙を見せると、相手も隙を見せていいんだって思います。最初の誰かが、その隙を見せていかないと、心理的安全性の確保に繋がっていきません。
隙を見せる事は、頼りなく見られると思ってしまいます。上司や部下の関係だったら、部下は仕事の評価に響いてしまうと思ってしまうかもしれません。上司なら、部下になめられてしまうと不安になります。ぼくもなめられたくないって気持ちがありました。今も少なからずあったりします。でも、武装しちゃうと、誰も近寄ってこないんですよね。
藤村さんは、
「その前に人間なんだし、弱みはあるし、テンション高い時もあるし、そういう当たり前の事を、会社でもコミュニティであっても、(開示して)やらないといけない。それをやる事がじぶんらしくある」
と言っていました。
この考えはいいなぁと思いました。少なくとも、会社勤めしていた頃は、こんな発想はじぶんには持てなかったでしょう。今、絶賛あがいてる最中です。
最後に
他にもイベントで気になった言葉があったのですが(平山さんの素直であることの話や3月のライオンの話)、ひとまずここで終わりにしたいと思います。なぜなら、このイベントから、もう2週間以上も経過して、感想を書いているので、だんだん記憶が曖昧になってきて、当時の感情も徐々に薄れてきているからです。
もっと速く書ければと思っているのですが、じぶんの自意識が邪魔したり、頭の中でぐるぐるしたものがまだあって、うまく言語化に至らない事が多く、グズってしまうからです。言い訳です。
今回イベントで参加して、一番感情が動いた部分があります。買った本にサイボウズの藤村さんがサインをしてくれた時です。
本を渡して、共感したところを、藤村さんに伝えたら、その場で丁寧なサインと言葉をいただきました。
サインなのに、すごくないですか?このメッセージ。めっちゃ感動しました。
終わり。