文章で意図を伝える難しさ。
前回から続きになってしまうが、
先日参加した東京ネームタンク主催の漫画ネーム講座後、講師の方と雑談していたときのこと。
コルクBooksで普段から編集者として、「投稿されている漫画についてコメントする時、1つコメントするのに、時間がかかったり、考えてしまうんですよね(たしかこんなニュアンスだったかな)」ってことをぼくが言ったら、
講師の方が「コメントを文字で伝えるのは、なかなか難しいですよね」という答えが返ってきた。
他の方にも同じことをぼくが言ったら、同じ答えが返ってきそうな回答なんだけど、なぜかこの時、講師の方とその話をしたきっかけで、その場のじぶんのことば数がどんどん増えていたのを覚えている。
人に感想や意見を求められた時。こちらのしたコメントの意図が相手に伝わっているかわからないし、どう受け取ってもらえているのかわからない。
率直に思ったことを言う時、ストレートな言い方をしてびっくりしないように、なるべくオブラートに伝えることを心がけているが、果たして、それで真意が伝わっているかわからない。
文字だけでは伝えたいニュアンスが伝えられない。あとは、送る側と受け取る側のリテラシーも必要だと思う。
人に感想を伝えたり、何かを指摘したりするのは、なかなか慎重になる。相手にあわせて、その都度ことばを変える必要あると思う。相手の関係値、距離感、置かれている状況、背景などいろいろ変えるための理由がある。
なぜ変える必要があるのか。それは相手の気持ちを汲み取ることや、理解してもらえるよう工夫するという聞こえの言い理由をしてしまえるのだが、一方でじぶんがどう思われるかを気にしている側面も否めない。
こんなことを書いてしまうと「この人は普段からそんなことを思いながら、コメントしてるんだ」「いやいや実は、ことばでそう書いてるけど本音はやっぱ違うよ」と、いろんなレッテルを貼られてしまうかもしれない。
書いて言ったことばだけで、仮にそのことばが信用されて、以後この人の言うことは、このことば通りの人で間違いないって思われてしまうと、それはそれで困ってしまうし、やりづらくなってしまう。
言ってることすべてが、嘘偽りがありませんなんて断言はできない。その都度、何かをきっかけで、心境が変わって、言うことばも変わる。
真意がわからない方が、かえって安心して会話ができるのではないかと思うことがある。仮にお互いそんな感じだと、受け取る側は本気に受け取っていないことが考えられるから、なんか探り合いみたいな感じになる。それはそれで、面倒くさいし、しんどいなぁ。
どこまで本当で言っているのか、そうでないのか。そんなことを思いながら、毎回コメントする時にじぶんや相手のことについて想像して考えてしまう。と言いながら、感極まって勢いで相手のこと考えないでコメントしてしまうこともあるけどね。
次回は、褒めるということについて、書いてみたいと思う。