海外放浪で感じた「食を通じた繋がり」
東京の新大久保という場所に来ています。
韓国街として有名なこの場所も、中野方面には南アジアやイスラム圏の香りが漂う場所があります。そこでカレー粉を買いました。インドではカレーをひとくくりにすることはできず、スパイスの調合方法によってマサラ、コフタなどと名称が変わります。味噌をひとくくりにできないように、カレーもひとくくりにできません(笑)
私はこれまで約40か国・地域を訪れて、今の事業に繋がる体験をしてきました。今後、noteでもその体験を発信していき、事業の源流をお伝えしていきたいと思います!
人生を変えた「ランガル」
私にとってはインドの旅を通して忘れられない経験を数多く得てきました。
インドのバラナシ(ガンジス川での沐浴で有名な町)に行った時、成り行きでシク教の寺院に行きました。礼拝を覗いた後、ランガルという無償で食事を提供するイベントに参加し、食事を貰いました。ランガルに参加条件は無く、異教徒や異民族であっても食事を無償で貰えます。
シク教の言葉がパンジャーブ語であることは知っていたものの、「ありがとう」を何と言うか分からず、料理を貰って、静かに食べて、無言で食器を返して、他のシク教徒と同じように寺院を出ました。誰も「ありがとう」を言っておらず、寺院のスタッフは誰も感謝や礼を求めていません。
イスラム教でも同じように断食月の後に「イフタール」(「断食を破る」との意)と呼ばれる行事があります。家族や知り合い等とともに皆で食事をし、お互いの結びつきや他人への思いやりが強まるとされています。
新約聖書でもイエス・キリストがパンを5,000人に配る場面があり、群衆との紐帯を感じる場面があります。
金で繋がる縁は切れやすい??
「食べる時間を共にすること」以外で思想信条や立場を超えた繋がりを創ることはできないと思っています。少し前にアパレルサイトで成功したオジサンがSNSでお金配ることを宣言し、多くの人が群がりました。
オジサンがお金を配ったら、その瞬間では感謝されるかもしれません。ただ、お金を貰う人と貰えない人に分かれますし、金の切れ目が縁の切れ目と言われるように使い方次第で縁が切れる魔力や憎しみを生み出す負のエネルギーを持っています。私は新卒で銀行で働いていましたが、金で繋がる縁には上手くいけば強固になるし、そうでなければ切れてしまう脆さがあります。
ランガルでは参加者同士が、寺院という空間と参加者が確実に繋がっていました。食を通して同じ時間で同じ場所で生きていることを実感することの結びつきはお金配りよりも強い引力があることを体験してきました。
飲食店を生業としているわけではなく、SOYMILもROOFも直接的に飲食事業をしているわけではありません。ただ、事業において何らかの形で「食べること」を関連付けたいというのはこの時の経験が大きく影響しています。
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