気まぐれ手記 #2
7/6
昨晩の新曲リリースの熱が冷めやらぬまま今日も一日を過ごす。せっかく全宇宙に等しく配信されているのだから、何の事情も知らないブラジルの田舎の人とかにも何かの巡り合わせで届いたりしてほしい。その人はたまたま友人の多い人で、「コノ曲、メッチャイイカラ、キミモキイテヨ!」という具合に周りのブラジル人にthe paddlesの音楽を拡める。口コミによりその地域で局地的な人気が出た結果、地元のお祭りから遠く離れた日本のthe paddlesにオファーが届く。我々はお祭りに出演することとなり、地球の裏側・ブラジルの地で「予測変換から消えても」や「Alright」を演奏する。そんなことがもしも起こるなら最高なことだ。可能性はゼロではない。
7/7
27℃に設定すると寒いが、28℃にすると暑い。毎年そうだが、例に漏れず今年もこれに悩まされている。27℃のときは「よっしゃ冷やすで〜」と言わんばかりにゴーーと音を立ててまでこちらへ冷風を送ってくるのだが、寒くなって28℃に変えた途端、嘘のようにその動きをピタッと止めるのだ。26〜27間の動きとは明らかに違う。27℃と28℃の間にある見えない壁。誰しもが自らの顔面を秘密の鍵としてスマートフォンのロックを解除できるような時代である一方、「部屋をちょうどええ温度にする」のにはまだまだ時間がかかるらしい。
7/9
電車に乗車。席に座ると、日除けのためのカーテンが降りており、絶妙に後頭部に当たる。軽度の潔癖症なので普段から電車の窓に頭をもたれさせることはしないのだが、カーテンが降りてきている位置が窓より若干前であるため、カーテンに後頭部を当てさせるまいとする僕はほんのりとした前傾姿勢を強いられているのだ。首が痛い。カーテンと窓のほんの数cmの空間が今は恋しい。
7/12
大阪で2日連続のライブを終えた。1日目は藍色アポロとの初共演。ASIAN KUNG-FU GENERATIONやNUMBER GIRLなどバンドとしてのリファレンスが我々とかなり近く、ライブで曲を聴いているだけでもやけに親近感を覚えた。パドルズの周辺にもアジカンを好きなミュージシャンはたくさんいるが、アジカンの中のどの部分に影響を受けているか、という点で我々と同じ感覚を持つ人は(個人的な感触では)少なく、藍色アポロはその数少ないバンドの一つだったと思う。また対バンできたらと思う。
7/13
安倍元総理の柩を乗せた車が葬儀会場から出発する映像を見る。沿道に詰めかけた人々が、霊柩車を前に(悲しみの?)声をあげている。そこはかとなく感じる違和感。安倍さんってそんなに人気だったの...?なんか国民にめっちゃ批判とかされてなかった...?(そりゃ政治家、ましてや総理大臣だったんだから批判なんて死ぬ程される訳だけど。) 沿道にいた人たちがどういった政治思想を持っていたのか、どんな年齢層だったのか、どのような文化圏に属している人が多かったのか、などというような細事は一切知らないが、僕は素直にこう思った。「死んだ途端に手の平返しすぎじゃね・・・?」「この人たちは彼が生きている間に少しでも彼のマニフェストや政治的な思想、活動や功績について真面目に考えたことがあったのかな・・・?」と。ちなみに僕は安倍元総理ないし自民党の支持も非支持もしていない(と、思っている)。ほんの一瞬の映像から感じ取った違和感だが、同じ感情を抱いた人はいないのだろうか。
7/14
バンドでのスタジオリハのあと、帰り道イヤホンで音楽を聴きながら帰宅。ミクロな視点に立てばイヤホンだってスピーカーだが、イヤホンとスピーカーだと僕は圧倒的にスピーカーで音楽を聴くほうが好きだ。音が音源(音が鳴っているところ)から耳に届くまでに周りの空気を含みながらやってくるあの感じがどうも好きなのである。部屋、車、ライブハウスなど「音が鳴っている場所特有の鳴り丸ごと楽しむ」という僕の信条も大いに関係している。特に今日みたいにマーシャルアンプが鳴らす爆音のギターサウンドを聴いたあとだと、なんだか迫力が足りないなーという気持ちも強い。良いイヤホンも欲しいが、良いスピーカーがとにかく欲しい。
photo by オガワタクヤ