建築分野におけるApple Vision Proの活用可能性に関する考察
2024年に発売された「空間コンピューティング」デバイスであるApple Vision Proは、その解像度の高さやUIクオリティの高さから世界各国で注目を集めている。日本での発売はまだであるが、幸運にも先日体験することができたのでその体験をもとに本稿を記したい。
筆者はこれまで6年近くにわたり、共同研究者らとともに建築分野(特に設計)におけるVR/MR技術の活用に関する研究を行ってきた。具体的な成果としてはVR/MRを用いた体験が建築設計プロセスにおける対話に対して与える影響を分析した研究や、まちづくり等におけるMR体験の活用に関する研究などを実施してきた。本稿ではこうした知見をもとに、建築分野におけるApple Vision Proの活用可能性を概観することを試みる。
1. はじめに
Apple Vision ProはいわゆるVRゴーグルのように装着するデバイスであり、高解像度でハイクオリティなVR体験が得られるのに加え、「パススルー」と呼ばれるMR機能が追加されており、日常的な空間での生活とVR的な体験をシームレスに接続しつつ楽しむことが可能となっている。
ゴーグルにおける「パススルー機能」とはゴーグルに付属するカメラ等のセンサーで周囲の空間を撮影し、その撮影された空間をVRゴーグル内で表示することで、VRゴーグルをつけているのにも関わらずあたかも実世界の中にいるかのように感じさせる機能である。
一度撮影したものを処理してゴーグル内に表示するため、一般的には比較的大きな遅延やズレが発生し、酔いの原因ともなったりするが、Apple Vision Proにおいてはその遅延やズレが体験上ほとんど問題とならないレベルで実装されている。まずこの点がこれまでの多くのVR/MRゴーグルとApple Vision Proで大きく異なる点である。
Apple Vision Proは今後様々な場面での活用が期待されているが、筆者の見立てでは、特に建築設計においての有効活用が期待できる。
次章ではその点について、①シームレスな実空間とVR世界の接続機能、②充実した対話機能、③「写真」による空間の保存機能の3点から述べたい。これ以上の利用可能性が今後見出されることも期待できるが、本稿ではひとまずこの3点から詳述することとする。
その上で3章では建築領域においてApple Vision Proのようなデバイスを広く活用していく上でのハードルについて考察する。
2. 特に注目される機能とユースケース
本章ではApple Vision Proの建築領域における具体的な活用可能性について、その想定されるユースケースとともに詳述する。
2.1 シームレスな実空間とVR世界の接続機能
一般に、建築設計のプロセスにおいては、模型や図面、パースなどといった複数の設計ツールを用いながら検討が進められる。VR空間は、実スケールで空間を検討するために有効であり、建築領域においてその活用は一定程度普及しているものの、模型や図面を見るためのゴーグルを外さないといけなかったりするなどの利用上の煩わしさがある。
VR空間を眺めつつ、模型を眺めたり、図面にペンでちょっと手を入れたりしながら設計を進められればより具体的に設計を行いやすいわけであるが、これまでのデバイスではこうした利用は容易ではなかった。Apple Vision Proでは、VR世界と実世界をスムーズに接続するための機能やUIが非常に洗練された形で実装されており、模型や図面などの実世界のツールとVRツールをシームレスに組み合わせた設計体験が可能となっていると言える。
そもそもApple Vision Proのディスプレイや空間の存在感の表現は非常に高解像度なので、VR体験としての質が非常に高い。綺麗さだけではいえば、実空間に巨大な4Kディスプレイが浮いているのと、体験としてはほとんど変わらないと言えるレベルである。それが空間スケールで広がるので、本当に実空間を眺めているかのような視覚的体験をすることが可能となっている。この高解像という点については、これまでのゴーグルの中でもかなり抜きん出ているといって差し支えないと思われる。筆者はこれまでに数百万円するような超高解像度のゴーグルなども体験したが、空間の存在感の表現なども含めた全体的なクオリティとしては最も優れていると感じた。
こうしたハイクオリティのVR世界をもとに、Apple Vision ProではVR表示と実世界の表示をシームレスに行き来できる。具体的には、実空間の手前側を実空間のままとし、目の前のスクリーンの向こう側をVR空間とするような利用の仕方が実にストレスなく体験できる。完全にVR空間に入り込むというよりも(それも可能であるが)、実空間の中に巨大な設計空間に入るための“窓”のような開口を設け、そこに近づくと空間が体験できるし、少し離れると実空間に戻るといったような体験ができる。このことにより、模型や図面やディスプレイを見つつ手を加えたり、そこにいる人と議論したりするといったことが可能である。
また、こうした機能を拡張すれば、設計案をただ一つの角度から眺めるだけでなく、実空間の中に巨大な穴を複数配置し、それぞれ別の経路から設計空間に入り込めるようにして、様々な空間をリアルスケールで同時に検討するという方法も可能になるだろう。
いわば複数のビューのレンダリングパースを壁に貼り付けて様々な空間を同時に検討していたようなことが、実空間に巨大な“窓”を配置し、それぞれから設計空間を眺めそこに入り込めるようにすることで、リアルスケールで実施できるようになるのである。実空間とバーチャル空間の配置等の関係性については今後様々な組み合わせ方が検討されるだろうが、こうした実世界とVR世界のシームレスな利用可能性の拡張は、実空間のツールも重視しつつ設計を進める建築の分野においては非常に有効であると考えられる。
こうした機能は、VR表示と実世界の表示をシームレスに切り替える「ツマミ」や、視線でのスムーズな操作感などによって利用しやすいかたちで実装されており、これまでのゴーグルで使用感上問題となっていた部分はストレスがほとんどなくなっている。
VRと実世界をシームレスに切り替える「ツマミ」機能は、Airpods proを持っている人は音でサウンド世界と実世界の音をシームレスに切り替える機能が、視覚版で実装されたものと思ってもらえれば良いが、かなりスムーズな機能として実装されている。
利用における細やかなストレスの解消は、Apple Vision Proのようなデバイスを日常も含む多くの場面で用いる上で非常に重要であるとともに、建築のような多様な専門性を持った主体が関わるプロセスにおいては特に有効であると考えられる。
2.2 充実した対話機能
一般に建築設計においては多様な主体がそこに参画し対話する。その意味において、リアルスケールでの空間表示を行えるVRは施主などの設計を専門としない人々にも空間をイメージしやすくする利点があり、その点は模型と異なるVRの強みである。一方で模型や図面の方がわかりやすいこともある。
上述したように、Apple Vision ProにおいてはVRを体験しつつも、その場にいる人たちと会話することが容易であるので、これまでのようにVR中にはゴーグルをつけ、それを外して対話し、また気になった箇所があったらつけて経験する、というようなフローをせずとも、ゴーグルをつけたまま互いに会話し、模型を眺めて対話し、図面に双方で書き込みつつ対話することなどが容易である。
加えて、この機能は筆者は未経験なのでクオリティの程は判断しかねるが、Apple Vision Proにはペルソナという機能があり、遠隔地にいる人々をVRアバターのような状態で実空間上やVR空間上に配置し、リアルタイムで会話できる機能が実装されている。筆者の経験したデバイスのクオリティから考えるとこの機能も非常にクオリティが高いと考えられるが、ペルソナ機能を用いれば、遠隔地間で同じ空間を眺めつつ議論を行う、ということも容易になるだろう。
ちなみに、これまでのAR設計ツールの中で(例えはFologramなど)、Rhinocerosなどの設計ツールとAR表示を同期し、Rhinoceros上で寸法などを変えればAR表示でのスケールがリアルタイムで変化する機能などは実装されてきた。設計中に、画面を操作しながら寸法を変えると、ARグラス越しに見えている空間の寸法がリアルタイムで変化し、身体感覚をもとに設計案を適宜判断しながら寸法等を決めていくということがかなりの精度で可能となってきていたのであるが、こうしたあり方はApple Vision Proでより発展すると期待される。
施主や空間を判断する人、空間を設計する人などが同時に設計案を眺め、施主が「あの部分をもう少し高くするとどうなるの?」というように空間の特定の部分を指さしながら感想や指摘を述べると、設計ツールの操作者がディスプレイなどで寸法を調整し、その変更に対してVRで判断を加えるといったことがより容易になっていくと考えられる。
こうした機能を遠隔で用いれば、例えば敷地で設計者Aと施主がApple Vision Proを被って実風景に設計案を重ねて眺め、遠隔でその状況を一緒に眺めている別の設計者Bが指示に応じてRhinocerosなどの空間を調整し、それがMR表示される設計案の寸法の反映にされ検討を深めることができる、などの利用もより容易なものとして可能となっていくだろうと考えられる。
こうした設計における対話の発展の可能性は、2.1で述べた実世界とVR世界のシームレスな利用がもたらす効果でもあるが、遠隔接続の機能をうまく組み合わせていくことで、より検討を円滑に進めるための環境整備が整っていくものと考えられる。
2.3 「写真」による空間の保存機能
最後に、「写真」アプリケーションの機能などを中心とした、空間を保存するかのような機能について述べる。「写真」とはどのApple製品にも入っている写真をアーカイブ・編集するためのアプリケーションで、iPhoneなどで撮った写真などをそのアプリケーションの中で眺めることができるものである。
Apple Vision Proでも写真を撮影することが可能であり、これをApple Vision Pro内の「写真」アプリで眺めることができるのであるが、Apple Vision Proで撮影すると、本当に空間をキャプチャしたような立体感を伴う形で瞬間を撮影することができる。
具体的には目の前に巨大な “窓”としてのスクリーンがあり、その“窓”の奥に当時の瞬間が広がっているような印象である。もちろんそれはあくまで平面的な表現であり、完全に空間的というわけではないが、Apple Vision Proで眺めると、本当にその場に居合わせたかのような感覚に陥ることが可能となっている。“窓”としての写真は限りなく自分のそばにあるので、そこまでその瞬間と自分の距離を感じることにはならず、 “写真”に映っている人は本当にそこにいて話しかけられるように感じられ、周囲の風景はその場に居合わせたかのように眺められるものとなっているのである。動画では撮影者自身の動きなどが気になりすぎるためApple Vision Proでもやや酔うような感覚に陥るものの、写真はその撮影された瞬間を追体験できるかのように感じられ、クオリティが高い。
こうした機能は、設計などにおける敷地や現地調査などで大いに役立つだろうと考えられる。適宜ゴーグルを被って実空間を体験しつつ、手軽にパシャパシャと写真を撮影しておけば、事務所などに帰ってきた後で、他の人ともその場所の雰囲気や様子が空間的に手軽に確認し追体験できる。こうした機能は、設計において敷地のイメージの共有などにおいて大きなインパクトがあると考えられる。スマートフォンの普及によって敷地などの様子や周辺の様子をより容易に複数人間で共有できるようになったことが、Apple Vision Proを用いることでより空間的な保存と共有という形で発展するとも捉えられそうである。
実空間の空間的な記録や保存については、フォトグラメトリや360度カメラなどの技術があるものの、こうした技術は撮影そのものにハードルがあったり、撮影した内容を確認するのに手間があったりするし、それによって撮影されたものをVR等で眺めても、案外実空間の雰囲気を保存できてないと感じられることも少なくない。これには様々な要因が考えられるが、撮影に時間のかかるフォトグラメトリなどでは保存される様子は撮影中の様子であり、カメラなどで美しいと思った瞬間を切り取るような身軽な保存がなされていないこと、また360度の画像情報を撮影してもそこに奥行き情報を同時に保存するにはコストが高く、それらを一致させて表示するのにもコストが高く、時間も機材も必要となるために、現実的に多様な瞬間を保存することは難しいことなどが挙げられる。それらを(平面的とはいえ)ほとんど瞬間的に行えるデバイスが登場したことによって、敷地やその周辺で起こっていた祭りの様子や風土の感覚などを、より空間的にリアルな感覚と共に保存できるようになっていくと考えられる。このように、(あまり注目されてなさそうに思える)「写真」の機能は建築分野での期待度はかなり高いと考えられる。
以上、①Apple Vision ProによるシームレスなVR空間と実空間の組み合わせが可能にする模型や図面などのツール活用と対話の発展、②遠隔でのそれらの対話の実現、③手軽な空間の保存と共有の機能などによって、建築領域におけるVR活用はより促されるものと考えられる。
3. 普及のために必要なこと
ここまでは建築分野におけるApple Vision Proの活用可能性を概観した。本章では、その普及のために必要と思われることについて詳述していくことする。
3.1 建築関係者におけるVR領域への理解度の向上
これまでの筆者の経験を通して、VRは建築関係者にかなり忌避される傾向にあることは否めない。筆者の実施した大学での講義においては、学生からVRは何か気味の悪いものと思っていたとの感想が散見され、こうした偏見は建築業界における偏りが流れ込んでいる可能性とも考えられた。何より実務者らからVRは「所詮はバーチャルなもの、設計で使うこともあるが、その程度のもの」と見られる向きが少なくなく、VR空間における若干の誤差の発生を空間の検討上の問題として指摘されたこともある(ただこの点については、模型にしても誤差はあるわけで、実際の空間にも数ミリの誤差はあるわけなので、なぜVRで数ミリの誤差が出ることが利用の妨げの根拠となるのかは不明である)。
概して、実空間としての建築を立ち上げる建築関係者らによってはあくまで問題は実空間であり、VRは、所詮は補助材料との見方は支配的であるように感じられる、というのが筆者の肌感である。
一方で、VRにはもっと興味深い研究が溢れている。例えば興味深いアバターの研究がある。ふくよかな人のアバターを用いるとVR空間内での動きが普段よりも緩慢となったり(文献1)、黒人のアバターを用いると差別が軽減したりするといった効果が見られるといった研究成果が報告されている(文献2)。これらは「プロテウス効果」と呼ばれるもので、アバターという身体を視覚的に変化させることで、その体験者の振る舞いや考え方を変化させることが可能であることが知られている。こうした研究成果を踏まえ、アバターをデザインすることによって心をデザインしようという取り組みとして「ゴーストエンジニアリング」が鳴海拓志先生によって提唱されていたりもするが、こうした領域は建築設計においても大きな影響があると考えられる(文献3)。
例えば、設計プロセス中に妊婦のアバターとなったり老人のアバターとなったり赤ちゃんのアバターとなったりしながら空間を経験し検討することで、空間の捉え方や寸法に対する感じ方が変わる可能性が考えられる。これは筆者が長年実施しようと温めている研究のアイディアであるが、バーチャルはただ現実を模倣するものでなく、そこに適切に編集を加えることで、現実の行いやそこで設計される空間に大きな影響も与えられる。VRの研究は、ただの現実の模倣でなく、バーチャルの補助線を用いることによって、人間の心とは何か、空間認知とは何か、身体とは何かというリアルそれ自体の特性を明らかにしようと試みる研究も少なくない。こうした最先端のVR領域に関する様々な研究に触れ、その活用可能性を検討していくことが、建築領域における本質的なVR利用の拡張のためには重要であり、こうした取り組みがなければ、VRは(おそらくApple Vision Proも)所詮は設計のための補助材料、との理解を免れない。そのことはApple Vision Proの本質的な普及の妨げともなるだろう。
筆者はこうした問題意識のもとで、新建築に『待像論』の原稿を掲載してもらったり(2024年2月)、建築とVRの交差点となるような興味深い研究を体験できる展示を東京都現代美術館で展示したりしたが(2023年12月-2024年3月)、今後もこの領域の拡充には取り組みたい。
3.2 技術的習熟のための教育体制の拡充
VR領域やAR領域の技術開発は、近年かなり容易となり低価格化しているものの、デバイスや用いるプラットフォームによってかなり特性に差がある。ただ設計した空間をVRビューで眺めるだけなら既存のBIMなどの標準機能として実装されつつあるものの、使い方を検討しつつVRアプリケーションの実装をするにはある一定のハードルがある。
デバイスやプラットフォームの特性を適切に理解し、用途に合わせて選択できれば小さな差異は大した問題とならないが、それでもそうした判断にはプログラミングのある程度の素養は必要となるし、Apple Vision Proについても、OculusやHololensなどとの思想上・機能上などの違いを認識しつつ活用を狙っていくことが重要となる。こうした理解がなければ、どのデバイスを選択し考えてゆけば良いのか、開発プラットフォームには何を用いれば良いのかなどの理解が難しいままになり、活用から足が遠のいてしまう。
こうした素養の醸成においては、ただのツールの運用方法の学習でない、基本的なプログラム実装の理解が必要になる。
筆者の経験に照らすと、学部生や修士の頃でも総合大学の場合周辺にいくらでもコースはあると思うので、学校教育においてはこうしたコースと建築の教育体制がより連結していくことは可能であろう。Rhinocerosなどのツールをただ使える、というようなことでなく、そこで表示される図形やどのように定義され演算されているかといったことも含めた、情報科学的な視点からのツールの理解は今後の建築教育において必須と考えられるが、VRやMRにおいても多少はこうした学習の場が必要であると考えられる。
とはいえ、既存の建築に関する学習内容に加え、プログラミングや、VRやMRなどのことなども合わせて学んでいくにはどうしても時間がかかる。設計課題や試験など既存の評価基準を中心として評価が行われていく教育体制では、こうした複数の分野を同時に学びつつそれらを連動させていくといった形の教育は推進されづらい。一点突破型で一つの技能に秀でれば成績はその点で高まりやすいが、領域横断・領域連携の必要な習熟では、「どの領域の素養も半人前」という状態を長く維持しつつ、それらをバランスよく混ぜ合わせ技能が醸成されてくるのを待つことが必要になるからである。もちろん一つの技芸を極めてから他の素養を伸ばしていくというやり方もありうるが、建築における情報技術はどうしても要素技術よりも複合的な利用が前提となるため、ただ個々の技術を学んでもどうしようもなく、そもそもVRやデータサイエンスやAIなどの技術は複雑に絡み合った領域であるという特性もあるので、できれば同時に複数の知見を連動させながら学んでいくやり方が好ましい。こうした学習を積極的にモチベートできるような評価体制づくりが必要である。
3.3 設計支援や設計手法確立のための汎用的な仕組みの確立
前項で触れた問題の一つの解決策として、設計コンペだけでなく、設計プロセス自体のデザインコンペも実施するなどの取り組みが有効であると考えられる。
設計支援手法自体のコンペのような、情報技術の学習それ自体が十分に目的となるような場を設定していくことによって、設計支援や設計手法のための取り組みは広がっていくと期待できる。こうした取り組みの仕組みづくりを行なっていくことが、結果的に建築領域における情報技術の普及につながっていくものと考えられる。
筆者の場合こうした設計手法やプロセスのデザインは、実社会の中で行いつつ発表などはアカデミックな場を中心として行ってきたが、より多くの人々を巻き込む上では、建築領域において論文というフォーマットは必ずしも最適解ではない可能性もある。むしろ論理的には飛躍もあるものの、より多くの人々が楽しみつつその利用可能性を探っていくような場の醸成と取り組みの促進が、建築におけるVR/MR利用の可能性を拡充する上では重要であるとも考えられる。
4. 最後に
本稿では、筆者の経験をもとに建築分野におけるApple Vision Proの活用可能性について考察した。
具体的には①シームレスに実空間とVR世界を接続しつつ体験できるようにするための機能、②充実した対話機能、③「写真」による空間の保存機能の3点から詳細にその有効活用可能性を述べ、特に建築設計における空間の検討や設計主体者間での対話のための有効活用の可能性について整理した。
その上で、こうした有効活用が今後建築領域で広がっていくために必要と思われることとして、①深いVR領域自体への理解の醸成、②教育知性の拡充、③設計支援や手法確立のための仕組みづくりの必要性について述べた。①のVR領域への理解の必要性への指摘が特にVRやMR領域に固有の特性に対する分析であるのに対して、②の教育拡充への指摘と③のコンペ等の枠組みの有効性に関する提言はより広い情報科学一般の内容の建築領域での拡充のための指摘ともいえるが、VRは、近年急速に発展する生成AIの技術やデータサイエンスなどとも深く関連する領域であるので、個別具体的に発展させるというよりも、複合的な情報技術との関連の中で発展させていく必要があると考えられる。
単体でのApple Vision Pro自体も非常に魅力的なツールであり、建築領域において今後活用されていくことが期待できるが、ただApple Vision Proというデバイス単体への興味を膨らませるのでなく、周辺の情報技術も含めたVR/MR領域への本質的な深い理解を広げてゆくことで、Apple Vision Proの持つ可能性への視点は建築関係者でさらに広がり、その活用がモチベートされ、展開されてゆくということが起こるのではないかと筆者は考えている。Apple Vision Proはまだ日本では発売されておらず、今後どのように展開されるかはまだまだ不明であるが、本稿がApple Vision Proを含むVR/MR技術の建築領域でのさらなる活用の一助になれば幸いである。
注
Apple Vision Proは「空間コンピューティング」という設計思想を中心としているとされる。実際にデバイスを触っていると、処理が必要になるMRコンテンツとのインタラクションはあまり実装されておらず(Hololensではデモでも普通に実装されている)、これはパススルーでのそうした処理が重くなり遅延が発生しうるために、インタラクションよりも使いやすさを優先した結果ではないかと考えられる。この点からもApple Vision ProはMRデバイスともややいいがたく、またVRデバイスとも言い難いので、体験それぞれはVR体験であったりMR体験であったりするものの、デバイスとしてはVRともMRとも言い難い。そうした中で「空間コンピューティング」という呼称はこうした規定の難しさをうまくかわしているとはいえるものの、体験そのものの説明をするときには、VRやMRといった言葉を用いる方が圧倒的にわかりやすい。そのような観点から、本稿ではVRやMRという言葉を中心として記述を行った。
参考文献
(1)Piryankova, I. V. et al. : Owning an overweight or underweight body: Distinguishing the physical, experienced and virtual body. PLoS One vol. 9 2014
(2)Banakou, D., Hanumanthu, P. D. & Slater, M. : Virtual embodiment of white people in a black virtual body leads to a sustained reduction in their implicit racial bias. Front. Hum. Neurosci. vol. 10 pp. 1–12 2016
(3) 鳴海 拓志 : ゴーストエンジニアリング: 身体変容による認知拡張の活用に向けて, 認知科学, 2019, 26 巻, 1 号
筆者のVR/MRに関する研究業績
『VRを通した空間の経験が設計プロセスに与える影響 建築設計における創造的プロセスを支える対話ツールとしてのVRに関する研究(その1)』石田康平, 酒谷粋将, 田中義之, 千葉学(日本建築学会計画系論文集, Vol.84, No.761, pp.1579-1587, 2019)全文査読
https://doi.org/10.3130/aija.84.1579
『MR 空間の経験に基づく設計対象の関係性の認知 建築設計における創造的プロセスを支える対話ツールとしてのVRに関する研究(その2)』石田康平, 千葉学, 田中義之, 酒谷粋将(日本建築学会計画系論文集, Vol.86, No.781, pp.815-825, 2021)
https://doi.org/10.3130/aija.86.815
『MRを用いた体験を通した設計情報の提示がもたらす段階的な認知の誘導 Select Your Lifestyle 展プロジェクトを対象として』石田康平,野城智也 (日本建築学会計画系論文集,Vol.87, No.798, pp.1452-1462, 2022)
https://doi.org/10.3130/aija.87.1452
(終わり)