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質的研究のための学術論文執筆基準(3):研究参加者

はじめに

アメリカ心理学会(APA)から公表されている「質的研究のための学術論文執筆基準」(Journal Article Reporting Standards for Qualitative Research,以降,「質-JARS」とします)について紹介します。

今回紹介する本はこちら
Levitt, H. M. (2021). Reporting Qualitative Research in Psychology: How to Meet APA Style Journal Article Reporting Standards, Revised Edition as publication of the American Psychological Association in the United States of America, 能智正博・柴山真琴・鈴木聡志・保坂裕子・大橋靖史・抱井尚子(訳)(2023)『心理学における質的研究の論文作法:APAスタイルの基準を満たすためには』,新曜社.

「質-JARS」では,論文のセクションごとに,そこに含めるべき情報の内容と,著者へのアドバイス,査読者への注意が表でまとめられています。
今回は,なかでも,研究方法のセクションのなかでも研究参加者についての記載に焦点を当て,そこに何をどこまで書くべきなのかについて整理します。
データ収集・分析については次回の記事でまとめます。

質的研究の論文は,量的研究と比べて,研究方法のセクションが長くなりがちです。
これは,質的研究の方法が多様であるだけでなく,研究参加者やその他のデータソースおよびその収集・選択,分析の手順や研究の過程など研究の信憑性を担保するために研究上の文脈を明記しなければならないためであると思われます。
どこまで詳細に書かなければならないのかという点は個々の研究者が判断しなければならないことが多いと思いますが,ここでは,そもそも何を書かねばならないのかについて整理します。


0. 研究方法セクションとは

  • 方法セクションは通常,「研究者が何を行ったか」を述べるところと考えられていますが,著者のLevittは,「研究者が何を行い,それがなぜ適切だったか」を描き出すものと捉えた方が良い,と述べます。

  • 査読者や読者が関心をもつのは,論文著者が何をしたのかだけでなく,著者の行ったことが信頼できる知見としてどれほど理にかなっているのかという点です。

  • 方法セクションに求められるのは,(a)みなさんんが行ったことを示す際その記述に透明性をもたせる,(b)みなさんが決めたことに対してその根拠を提供する,(c)研究の方法論的整合性を高めるためにとった手順を明らかにする,という3つです。

  • 質-JARSでは研究方法セクションに含められるべき情報についてサブセクションごとに示されていますが,どのセクションのなかで研究方法について述べるのかについては,研究の伝統によって異なることに注意が必要です。

1. 研究参加者あるいはデータソース

質-JARSでは,「研究参加者あるいはデータソース」について論文中に明記することが求められています。

1-1. 研究者に関する記述

研究論文のなかで研究者について記述する場合には,以下の点に留意する。
・研究アプローチに関連する研究者自身の履歴(たとえば,インタビュアーとして,分析者として,研究チームとして,など)を述べる。特に,研究対象の現象について,事前にどのように理解していたかを明示する。
・研究対象の現象に対する事前の理解がどのようにコントロールされていたか,あるいは研究にどのような影響を及ぼしたかを述べる(たとえば,データ収集や分析を促進した/制限した/構造化した,など)。

p.50
  • 上記1点目は,研究者のライフストーリーを開陳するのではなく,研究対象について事前に理解していたことに関する情報を記入するということです。

  • その情報とは,人口統計学的・文化的背景,専門資格,当該現象に関わる個人的経験,受けてきたトレーニング,何らかの価値への思い入れ,そして分析するアーカイブや資料を選択する際に行った意思決定などについての情報です。

  • 例えば,移民に関する調査の場合には自分が移民であるのかを述べる必要があるかもしれません。

上記の2点は,これまで『科学教育研究』や『理科教育学研究』の執筆や査読において,明確に示すように求められたり,審査されたりしてこなかった点ではないかと思います。
研究者自身の視点やその影響について問うことなく,研究対象(者)についてだけ問うてきてしまったのではないでしょうか。

とはいえ,授業実践の研究を例に考えてみると,著者のなかに実践した教師が含まれているからといって,実践校が容易に特定されてしまうという倫理的な理由で「第二著者が授業実践者であった」とはなかなか書きづらいかもしれません。
しかし,普段から授業をしている先生が授業実践したのか,ワークシートに関わったのか,という情報は,研究の信用性を判断する上でかなり重要な情報のように思われます。
この倫理的な判断と研究方法の透明性が衝突するような場合,どのように書きべきなのか,まだよくわかりません。。。誰か教えてください。

1-2. 研究参加者あるいは他のデータソース

研究参加者または他のデータソースについて書く際には,以下の点に留意する。
・分析対象とした研究参加者/文書/出来事の数を示す。
・収集したデータに影響を与えた可能性のある,研究参加者の人口統計学的・文化的情報や視点,データソースの特性について述べる。
・既存のデータ(新聞,インターネット,アーカイブなど)を用いる場合には,そのデータソースについて述べる。
・公開されているデータを用いる場合には,そのリポジトリ情報を書く。
該当する場合には,アーカイブを検索したプロセスや分析対象データを選んだプロセスについて述べる。

p.53

これらの4点は,これまでも多くの論文で記載するように求められ,記載されてきたことかと思います。
Levitt(2021, p. 53)では以下の例が紹介されています。
「広く公募活動を行ったおかげで人口統計学的に多様な研究参加者が得られ,それは本研究の分析対象となった16人の参加者の人口統計学的な多様性にも反映されている。研究参加者の年齢は19歳から50歳までで,年齢の平均は33.5(SD=8.8)歳だった。高学歴者も多く,修士以上の学位を持つ参加者5人,学士の学位を持つ者2人,短大修了者6人,高校卒業のみの者は3人だった。そのうち5人(32%)は米国外の出身であった。性志向は,参加者全員に尋ねたわけではないが,インタビュー内で6人(38%)の参加者がレズビアン,ゲイ,トランスジェンダー,バイセクシャル,クィアだと述べた。……(後略)……」
この例に見られるように,読者が参加者の多様性を理解するのに役立つような情報を研究者は示す必要があります。

1-3. 研究者と参加者の関係

参加者と研究者の間に以前からの関わりがある場合,以下の点に留意する。
・研究プロセスに関わる研究者と研究参加者の関係や相互作用,およびそれらが研究プロセスにどう影響したかについて述べる(たとえば,研究の前から関係があったのか,過去の関係に対して適切な倫理的配慮をしたのか,など)。

p.54
  • 研究者のもつ視点と同様に,研究者と研究参加者との関係は,質的研究を大きく左右します。

  • 研究参加者と以前から関わりがあったり,やりとりをした過去があったりする場合,それが研究プロセスにどのように関連し,どのような影響を与えたのかを書いておきましょう。

  • このような情報を書いておくことが研究の透明性を高め,読者がどの研究を評価する際の助けになるでしょう。

この「研究者と参加者の関係」についての記述は,「1-1.研究者に関する記述」と同様に,これまで『理科教育学研究』や『科学教育研究』では明確に取り上げてこられなかったものではないかと思います。
今書いている論文,この点しっかり書いてみようと思います。。。

2. 研究参加者の集め方と選択

研究参加者をどのように集めたのか,どのようにアクセスしたのかということは,その質的研究の結果を判断するうえで大切な情報です。

2-1. 研究参加者募集のプロセス

研究参加者募集のプロセスについて書く際には,以下の点に留意する。
・募集プロセスについて説明する(たとえば,対面,電話,郵便,電子メールでの依頼,募集チラシ)。
・動機づけや謝礼がある場合にはそれについて述べ,データ収集に関する倫理的なプロセスが適切に履行されたかどうかを述べる(組織内の倫理委員会による承認,脆弱性をもつ集団への特別な対応,安全性のモニターなどが含まれるだろう)。
・研究デザインに関連づけながら,研究参加者数を決定したプロセスについて述べる。
・参加者やデータソースの減少による研究対象数の変化,および査収ていな対象数について記述する(必要に応じて,参加拒否率や脱落の理由なども)。
・データ収集の終了を決定した根拠を記述する(データの飽和など)。
・研究参加者に説明した研究目的が論文に記載された研究目的と異なる場合は,それについて述べる。

p.55
  • 研究参加者数は,研究デザインに照らして理解可能であり,かつ,研究目的に合致するものでなければなりません。

  • 質的研究において研究参加者についての情報は,サンプルからの一般化を目指すためのものではなく,結果の他の文脈への転用可能性を議論,主張するためのものです。

上記の基準についてもこれまで『科学教育研究』では,記載が明確に求められてはいないでしょう。
もちろんグラウンデッド・セオリー・アプローチの「飽和」等,研究参加者数を決定するような目安がある場合には論文中に言及されています。
しかしながら,多くの論文では,著者の所属する大学の学生や小・中・高のクラスに所属する子どもの数が報告されるにとどまっているように思われます。
読者は,著者の所属する教育機関で研究対象者が集められたのだろうなあ,と予想することはできますが,研究対象者が誰によって,どこで,どのように集められたのかについても明記していく必要があります。
倫理的な理由から研究参加者数が決定されてしまったのであれば,その旨をきちんと記載することが大切になるでしょう。

2-2. 研究参加者の選択

研究参加者の選択について記述する際には,以下の点に留意する。
・研究参加者/データソースの選択のプロセス(たとえば,多様性最大化等の目的的サンプリング,代表例サンプリング,スノーボール(雪だるま)式等の便宜的サンプリング,理論的サンプリング),および取捨選択の基準について述べる。
・調査の全般的な背景(データ収集の時期,データ収集の場)を示す。
・アーカイブ化されたデータから研究参加者を選んだ場合,そのデータから候補を見つけ選択したプロセス,および研究参加者の集まりを選んだ際の決定基準について説明する。

p.56
  • 研究参加者の選択においては,その人のもつ背景文脈がしばしば重要な要因になります。

  • このため,自分の研究に関連性の高い文脈的な特徴を特定しなければなりませんし,さらに,それを論文中で示すことが求められます。

ある1クラスを対象にした教育実践研究を例に考えてみると,ある学校のどのクラスで授業実践を行うことにしたのかという決定プロセスについては論文中でほとんど言及されることがないように思います。
透明性の観点から,この決定プロセスについては記載されるべきだろうと思います。

おわりに

量的研究においても質的研究においても,研究参加者やデータソースについての情報を論文中に記載することは,これまでも求められてきた当然のことのように思います。
量的研究の論文と大きく異なるのは,今回見てきた基準のなかで言えば,質的研究の論文では,研究者に関する情報や研究参加者との関係性に関する情報を論文中に記述しなければならないということでしょう。
『科学教育研究』や『理科教育学研究』では,この点がないがしろにされてきたのかもしれないなぁ,と考えています。

もちろんそのような情報をきちんと記載している論文もあります。
例えば,大学生の文系観・理系観の形成プロセスを解明した岡本(2020)の論文では,p. 17に「4.分析者の立場」のサブセクションが設けられて,以下のように記されています。

筆者は,約10年間に渡り,博士前後期課程の学生及び博士研究者として,分子生物学・生化学分野の基礎研究を行ってきた。その後,研究分野を変更し,現在は科学教育分野で研究活動に取り組んでいる。そのいわゆる「理系からの文転」の経験が,本研究で扱う文系・理系観の分析に影響を与えている。……(後略)……

p.17

岡本紗知. (2020). 文系観・理系観の形成プロセスの解明―国立大学の学生を対象としてー. 科学教育研究, 44(1), 14-29.

上記の引用のように,研究者が有している経験や視点が研究に影響を与えたことを明記していくことが今後も大切でしょう。
最後に私の好きな言葉のひとつを載せておきます。

フィールドワークの経験者なら分かることであるが,実際にフィールドでまず調査されるのは,調査する側の人類学者である。

前川啓治(2018, p. 31)

これを思い切って質的研究全般に敷衍してしまえば,
「質的研究においてまず調査されるのは,調査する側の研究者である。」と言えるでしょうか。


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