質的研究のための学術論文執筆基準(5):知見/結果
はじめに
アメリカ心理学会(APA)から公表されている「質的研究のための学術論文執筆基準」(Journal Article Reporting Standards for Qualitative Research,以降,「質-JARS」とします)について紹介します。
今回紹介する本はこちら
Levitt, H. M. (2021). Reporting Qualitative Research in Psychology: How to Meet APA Style Journal Article Reporting Standards, Revised Edition as publication of the American Psychological Association in the United States of America, 能智正博・柴山真琴・鈴木聡志・保坂裕子・大橋靖史・抱井尚子(訳)(2023)『心理学における質的研究の論文作法:APAスタイルの基準を満たすためには』,新曜社.
「質-JARS」では,論文のセクションごとに,そこに含めるべき情報の内容と,著者へのアドバイス,査読者への注意が表でまとめられています。
今回は,知見/結果のセクションで何を書くべきなのかについて整理します。
ただし,知見/結果のセクションについては,基準の数が少ないので,上記の本の第6章「何を見出したのか―結果セクション」の節構成に従って内容を整理します。
1.分析を記述し論証する
結果セクションは,分析したテクスト,資料,逐語録を提示するだけではなく,現象についての著者の記述や解釈を提示するセクションです。
分析は研究者の仕事であり,読者に提示されるのは知見であって,ローデータではありません。
上記の基準は,研究方法のセクションと比べて非常に簡潔であることがわかりますね。
ただローデータだけを提示して,分析や解釈を読者に丸投げするようなことはいけません。
大学院生のときにゼミで引用だらけのレジュメを提出したら,指導教員から「それで?君の解釈は?」と言われたことを思い出しました。お恥ずかしい。当時はただ記述するだけで精一杯でした。。。
2.知見のラベルづけのプロセスを記述的に表現する
題材への忠実性を最大限に高めるために結果セクションで求められるのは,カテゴリー,テーマ,その他の形式の質的知見に対し,明瞭なラベルづけと記述を行うことです。
研究知見とそのラベルづけがより説得的になるのは,著者が知見を伝える際にそこでのプロセスを文脈的な要因と関連させ,一義的ではないものとして示す場合です。
知見の名称をどれだけ詳細にし,どのような形にするか(カテゴリー名をどうするのか等)は,研究目的に照らして考えるべきでしょう。
みなんの研究目的と合致させ,その有用性を最大化するように,知見のラベルづけと記述の両方を行いたいものです。
3.引用や抜粋を選択する
研究者はデータからの引用や抜粋を示したり,フィールドノーツや日誌の内容,メモ等を引用したりすることで,知見の根拠を示すことができます。
研究者は分析を通じて生成された知見を提示し,その上でそれがデータからいかに現れてきたのかについて分厚い記述を行うものです。その記述には,行為者の意図や思考,感情への言及とともに,文脈のなかでの行動を示すような実例が含まれるでしょう。
大学院生のとき,指導教員に論文の添削をしてもらった際,「この引用は,今回の論文のなかで一番いいね」と言ってもらえたことを思い出しました。
その引用は,今思えば「知見を代表する資料を選択」していたということだったのでしょう。
上記の3点を念頭に,「何を示して,何を示さないのか」を丁寧に検討したいものです。
4.結果を数値で表す
質的研究の中には,研究目的や探究アプローチ,研究の性格にもよりますが,数値的な情報を含んでいるものがあります。
結果の数値化は研究結果の効用を高めるのに役立つ場合があります。
重要なのは,使われた研究デザインとの整合性を高める方向で数値化を行うことです。
数値化しようと決めたのであれば,それらの数値をどのように解釈したのか(たとえば,どれだけ意識化されているかを示すとか,どれだけ合意しているかを示すとか等),読者に指針を示しましょう。
上に示されているように,結果を数値で表すかどうかは研究目的や探究アプローチ次第ということのようです。
5.研究設問に答える知見を明快に示す
著者Levittは,最もよく見られる論文編成上の問題は,「研究者が自らの研究設問を繰り返すような知見を生み出してしまう傾向」であると指摘しています。
たとえば,「活動家であるとはどのような経験か」という研究設問を立てた場合に,「活動家になること」,「積極行動主義に伴う行動」,「積極行動主義に関連する困難」といったカテゴリーを中核的な知見としてしまうことです。
研究者の使命は,分析の結果を明快に提示して,研究者の到達した理解を読者が共有できるようにすることです。
一番上の指摘はとても鋭いもののように思います。
一番上の指摘は,言い換えれば,研究者が研究を開始する前から有していた枠組み(ラベル,カテゴリー,概念)で研究参加者や研究対象を理解してしまっているということになるでしょう。
既存の枠組みから離れ,当事者の内在的な視点からの理解を目指す質的研究において,忌避されるべきことです。
しかしながら,これが最もよく見られる問題ということは,研究者といえども,既存の枠組みから離れることはなかなか難しいものなのでしょう。
自戒。
おわりに
結果/知見のセクションの基準は,研究方法のセクションに比べて簡素なもののように思えます。
簡素なもののように思われるのは,研究結果/知見のセクションで書くべき情報が,研究のアプローチによって様々であるということの現れなのでしょうかね。
ラベルづけのプロセスを示すこと,引用や抜粋を選択すること,結果を数値で示すかどうかを選択すること,研究設問に答える知見を示すこと。
これらすべて,個々の研究でそれぞれの目的や探究アプローチに応じて検討しなくてはなりません。
最後に『科学教育研究』の論文審査の観点について,今回紹介した基準の観点でちょっとだけ考えてみます。
論文審査の観点のうち,知見/結果のセクションに関わりそうなのは以下のものがあるでしょう。
質-JARSの知見/結果のセクションの基準に,上記の①②③④は含まれていそうです。上記⑥⑦も明確ではないですが,当然のものとして含まれていそうです。
ただし,「適切」や「明快」がどの程度を指すのかが明快ではないように思えるので,適切な表現に変えることが求められるかもしれません(笑)。
厳しい目で見れば,質-JARSの「研究の知見を得るまでの分析プロセスを示す(引用やデータの抜粋提示など)。」という基準は,上記に明確には含まれていないようにもみえます。
研究方法のセクションとも関わりますが,研究者がどのように研究参加者や研究対象にアクセスし,問いをなげかけたのか。どういった過程を経て,知見にたどり着いたのか。これらも審査の観点としてあってもいいかもしれません。
いよいよ次回でラスト??