先生
小学から大学までの16年間で覚えている先生といったら、片手でおさまるほどである。(他の先生たちにもお世話になっているはずなのでちょっと申し訳なさもあるが)
中でも特にお世話になった、というか記憶に残っている先生が二人いる。
一人目は、小学4年の時の担任の先生。二人目は、中学2、3年の時の担任の先生だ。
小学4年の時の担任の先生は、とにかく一緒に遊んでくれた先生である。
昼休みには毎日必ず我々男子生徒に混じって運動場でみんなと一緒にサッカーをしてくれた。先生は大抵の場合キーパーをやってくれていたのだが、相手が子どもだからといって一切手は抜いていなかった。週に一度の体育館が使える日はみんなとドッジボールをしてくれるのだが、この時も例外ではなく全力だった。
一見友だちのような関係に思われるかもしれないが、実は先生と生徒という上下関係を初めて教えてくれたのもこの先生だったように思う。
4年生になったばかりのタイミングでの最初の自己紹介の時間、とあるリーダー格のクラスメイトが先生に"これまで通り"タメ口をきいた時の事である。
先生は厳しくも優しく、「立場」と「役割」と「思いやり」というものを教えてくれた。
その日以来、クラス全員が先生にタメ口を使う事はなくなった。
別に敬語を使う大切さを主張したいわけではない。要は相手への敬意や思いやりが、自然と言葉をかたち作っていくのだという事を今になってよくわかる。
それを初めて教えてくれたのが、この小学4年の時の担任の先生だったように思う。
そしてもう一人、中学2年、3年の時の担任の先生であるが、当時僕が通っていた中学校は2年生から3年生にあがる際にクラス替えというものがなく、2年間同じクラスメイト、そして同じ担任の先生と過ごす事になっていた。
この先生は、数学の先生で、すごく授業がわかりやすかったのを覚えている。
一度先生に、いろんな科目がある中で、なぜ数学の先生になる事を選んだのか聞いた事がある。
どうやら先生は、数学が一番苦手だったそうで、苦手だったからこそ苦手な人の気持ちがわかる、だから数学を選んだのだと言っていた。
なるほど先生は人に寄り添った結果、自分の立ち位置が自然と決まった人なのだと、こちらも今となってはそう感じている。
また、この先生を語る上で欠かせないのが"毎日の日記"である。
先生は朝のホームルームの際に、縦10cm横15センチ程度の大きさの紙をクラスメイト全員に配り、5分程度の時間で生徒に自由な内容で日記を書かせる。日記は一旦先生の手に集められ、帰りのホームルームの際にクラスメイト全員分の日記にコメントを添えた状態で返されるのだ。
一度生徒に返された日記は、生徒が読んだ後また先生の手に集められる、という一連の流れである。
ちなみに自分へのコメントでいまだに覚えているのが、「お前今クラスの中で一番落ち着きがないぞ!」というコメントである笑
この日記ルーティーンは2年間、登校する全ての日で行われた。(たとえ修学旅行中でも書かされた)
卒業式の日の最後のホームルームの時、先生は2年間分の大量の日記を1冊の文集としてまとめてくれていて、クラスメイト全員にそれぞれ手渡ししてくれた。
もちろん一日は1枚の紙であるが、2年間分となるとズシリと重く、小さな事でも続けていくとこんなにも重量のある成果となるのだ、という事を初めて体感させてもらう機会となったと思う。
また、先生は文集をそれぞれの生徒に手渡す際、先生が紙で雑に手作りした定規を一緒にプレゼントしてくれた。
全員に渡し終え、皆着席した後、先生が静かに口を開いた。
「この定規で、物が測れるか?」
(定規は紙に数字と線が印刷されたものを手で切り落とされたものであり、印刷も荒く到底物が測れるようなものではなかった)
「この定規では物は測れない」
「これからお前たちが卒業して大きくなっていくと、物差しでは測れない事がたくさんあるんだ」
「だから自分自身の物差しを持ちなさい」
「答えは自分の中にしかないんだ」
担任だった数学の先生は、2年間かけて、僕たちに人生の難題を解くための授業をしてくれていたのだと思うと、そんな先生に出会えた事はとても幸せな事だと今になっても強く思う。
先生の定規は御守りとして、今でも僕の手帳に挟んである。
改めてお二方の先生の根底にあったであろう"子どもが好きという気持ち"に感謝したい。
おかげさまで僕はと言うと、毎日日記を付け、今日も店に立っている。
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