趣味アカのリアル
Twitterには「リアルアカウント」と「趣味アカウント」という分け方があります。
リアルアカウントは実際の人間関係を持ち込んだもので、お互いどこの誰か分かり合っている知人とFF関係をつくるもの。一方で趣味アカは、同じアーティストや同じ作品のファンなどとつながっているもので、互いの顔も本名も知らない人々が趣味の縁だけでFF関係をつくるもの。ふつうはこういうふうに理解します。
でも、じっさい両方のアカウントを使っている人は、そんなに両方の性格がきっちり分かれていないことに気づいていると思います。とくに複雑なのは趣味アカのあり方です。
趣味アカだからといって、純粋に趣味の話だけでTLが100%満たされているわけではありません。私はこれをとても面白い現象だと思っています。
第1に、現場であいさつしたりオフ会をやったりすると、リアルな人間関係ができてくるので、趣味アカがリアルアカウント的な性質を帯びてきます。リプの飛ばしあいで軽い会話を楽しむような、明日よろしくとか、昨日は楽しかったですねーみたいな。
第2に、趣味アカウントなのに趣味以外の内容を入れてくる人がいる。学生なんかは、リアルなつながりでは吐き出せない個人的な悩みを、見知らぬ人の多い趣味アカで吐き出す。すると同世代の人たちやおせっかいなオジサンなんかが「どうしたの?」「DMで」みたいなやり取りをする。
それは中年でも同じで、リアルな人間関係の中では表現できないこと、たとえば政治的な発言を吐き出したりする。私の趣味アカにはネトウヨさんが何人もいます。会社の同僚とかにはこういう自分を見せられないんだろうなあ、って感じることがよくあります。
趣味アカのタイムラインって、リアルなつながりに乏しいからこそ、溜まっていた自意識をぶちまける都合のよい場になっているのではないか。趣味アカってそんなに単純じゃないと感じます。趣味アカには趣味アカのリアルがある。
基本は趣味の同じ人たちなので、思うぞんぶん趣味の話をして楽しんだり、ストレスを解消したりが中心ですが、その心地よさの延長線上に、趣味とは関係ない自意識を吐き出しあって、それもお互いにやさしく許し合うような世界もある。それが趣味アカなのかもしれません。
あんまり自意識の垂れ流しが激しいとそっとミュートしたり、リツイートだけ非表示にしたりするのが大人の対応ですが、ときには派手にモメることもあります。
私もあるアイドルグループの趣味アカウントを持っていて、500人くらいフォローして毎日TLを眺めています。昔はよくツイートしていましたが今はほぼ読むだけです。
中高生の若いファンがけっこういるんですが、彼らは若くて自意識のコントロールがきかないし、タテマエのコミュニケーションも知らないので、とにかく青春そのものというか、ストレートにぶつかってはケガして大騒ぎになる。中高生のTwitter利用は人間くさくて激しいと感じます。
たとえば同世代で呼びかけ合ってすぐに仲良しグループを作り、ファンアートや手書きリプとかで序盤から一気に盛り上がる。でもすぐに人間関係に亀裂が入って「みなさん聞いて下さい」みたいな深刻なツイートを号令として、病みツイートとエアリプの応酬であっという間にドロドロになっていく。そして最後は発火点となった本人がカギをかけてしまう。
あるいは、現場でオジサンのファンからしつこく誘われて不快だった、みたいなことを「拡散希望!」から始まるツイートで告発し、「ほんと許せない」「うわマジキモ...」みたいなリプをたくさんもらったところで告発された当人からDMで誤解だと抗議を受けたらしく、やがて長文の謝罪をメモ帳スクショで投稿してからアカウントごと消してしまう。でもしばらくしたら「またよろしくお願いします!」みたいに復活して、仲間たちから「がんばろう」リプがつく。
そんな感じでとにかくダイナミックです。でもこれリアルアカウントじゃなくて趣味アカウントなわけで、趣味アカにも複雑な人間模様があるのだと痛感します。
オジサンオバサンもたまにモメているのを見かけますが、人間関係のトラブルではなくて、音楽的評価の違いで対立したり、ライブでの悪目立ちを非難したり、運営批判した人に信心が足りないと説教したり、そういうのばかりです。それはコンテンツの愛し方の一種なので、趣味活動の範疇ですね。
オジサンオバサンは趣味を超えた人間関係のこじれはあまりなくて、一方的に自意識を垂れ流す個人がたむろしているだけです。周囲の人々は無関心と偽関心のスイッチングをうまくおこないながら、心地よい距離感を保っている。まあ、これは界隈によって違うのかもしれませんが。
趣味アカウントというのは、その趣味だけでつながり合う場ではなく、リアルな人間関係におさまりきらない自我の「いろいろ」を持ち寄って吐き出す場なのかもしれません。モメることもありますが、なんだかんだ、それを許し合う空間だなと思います。
なりたい自分、見せたい自分の博覧会といえばInstagramですが、私はTwitterの趣味アカもそれに近い機能をもっていると感じています。
私自身はそのアイドルグループに関係のあるツイートしかしたことがないので、自我のいろいろを吐き出していた実感はありません。でも、ひとつひとつのツイートをすごく考えて、めっちゃ下書きしてから投稿していたので、自分の批評力とか、着眼点の良さとか、文章表現力とかを承認してほしいという欲求はありました。
たくさんのいいね!をもらってすごく満足していたし、とても勇気づけられていました。100いいね!を超えたツイートの数々は今でも宝物です。たぶん、これが趣味アカの本筋なんだと思います。その趣味に関連したツイートで承認され、心を満たしていく。
でも、それだけでは処理しきれない自意識があふれ出す人もいます。やさしくて心地よい空間だから、ついリラックスして自意識の毛穴という毛穴からいろんなものがにじみ出してくる。
プロフにアイドル専用アカウントだとことわっていて、フォロワーもほとんどそのアイドルのファンなのに、安倍批判をしたり、安倍賛美をしたり、買ったもの紹介をしたり、今日の夕食を公開したり、就活の悩みをつぶやいたり、見ているテレビ番組の実況をしたり、今日は娘の卒園式でしたとボカシ入りの写真をあげたり、夜の11時くらいにこれみよがしに「残業終了!」とつぶやいて「大変ですね」とリプをもらったりする。
正直、以前はウンザリすることもありました。リア友のそういうのは楽しいけれど、あなたのは別に見たくないから。でも、今ではそうしたツイートも趣味アカの楽しさだと思えるようになりました。最初から何の問題もなく受け入れている人たちと比べて、受け入れるまでに時間がかかった自分の狭量さを思い知りますが、Twitterを始めて9年、ようやく成熟したユーザーになってきたのかもしれません。いまさら遅いか。