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New Post! には意味がある

インスタグラムを始めてもうすぐ7年。フィード(タイムライン)への投稿は、積み重なって859件になりました。

私のように、フィードにたくさん投稿する人もいれば、ほとんどしない人もいます。

若い人は、あまりフィード投稿をしないようです。昨年、茨城大学の1年生にアンケートをとったところ、彼らの半分以上はほとんどフィード投稿をせず、24時間で消えるストーリー投稿を好んでいることが分かりました。

彼らはストーリーで、身のまわりのなにげないできごとを描写したり、その日の気分や感情を表現したりします。ハートがいくつもついて、フォロワー(親しい友だち)とコミュニケートできた実感が持てれば、それ以上、人目につく場所に投稿を残しません。

画像や動画で人生の一場面を切り取るのは、彼らも私も同じです。でも、彼らのようにそれをストーリーにフローさせるのか、私のようにフィードにストックするのかは、けっこう大きな違いです。同じSNSでも、対照的な使い方が並立しているのが、インスタの面白いところです。


とはいえ、私もときどきストーリーに投稿するし、他の人のストーリーを見て、「そんなとこ行ったんだ」とか、「おいしそうだな」とか、それなりに楽しんでいます。

ただ、私はひとつだけ、どうしても好きになれない種類のストーリーがあります。それはフィード投稿のお知らせ。

フィード投稿のスクショを貼って、そこにかぶせるように、「New!」とか「New Post!」といった文字を乗せているアレです。タップすると、投稿へのリンクが表示される。New!なしでスクショだけのものも多いですが、とにかくあれが苦手です。

ストーリーという日陰の場所で、一度きりの出会いをひっそりと堪能しているところに、いきなり騒々しい陽キャが現れて、New!、New!と大声で叫びながら、手を引っ張って光の当たるところにむりやり連れ出そうとする。私は、そんな無粋さが気に入らないのです。

それにくわえて、私はこの種のストーリーが、この世でもっともムダで、意味のないものだと思っていました。なぜなら、New Post!とかわざわざストーリーで教えてくれなくても、フィードにすぐ出てくるのです、そのポストが。

ストーリーで目についたということは、わりと優先して表示されているわけで、インスタのアルゴリズム(が何なのか知らないけれど)的には、それを重要なアカウントだと判定しているわけです。

そういうアカウントはフィードでも優先して出てくるから、すぐに目に入る。

先にフィードで投稿を見て、あとからストーリーで「New!」と言われることも多く、「もう見たよ!」とツッコミを入れざるをえません。

わざわざ告知してくれなくても、かならず見るんだからそういうのはいらない。くどい。ずっとそう思ってきました。


しかし先日、ゼミ生と話をしていたら、New Post!には意味がないという私の主張が、かならずしも正しくないことを知りました。

さっき、若い人はストーリー重視の傾向があると書きましたが、ゼミ生によると、そういう人たちはそもそも、フィード投稿をあまりチェックしないというのです。

だから、フィードを見ないユーザに、「フィードに投稿したから見てください」と誘導するストーリーには、ちゃんと意味があるわけです。

New Post!が役に立つ人っているんだ。目からウロコでした。

これは若い人の話ですが、50~70代の芸能人もよくNew Post!を使います。あれこそ意味がないかというと、もしかしたら、それも違うのかもしれません。

彼らのファンは中高年で、Facebookのようにちゃんとフィードを見るんだけれども、スクロールに動体視力が追いつかなくて、投稿を見落としやすい。だから、親切でNew Post!を出しているのではないか。

フィードを見ない年下にも、フィードを見落とす年上にも、あれは必要である。たまたま自分が、そのどちらでもない、New Post!を必要としない立ち位置にいただけだと、思い知りました。

そういえば最近、夜になるとスマホの画面がかすんで、字が見えなくなることがあります。私もそろそろ、投稿の見落としがふえて、New! Postのお世話になる日が近いのかもしれません。


スマホ時代になってから、自分好みにカスタマイズされたメディアばかり見ているので、他の人がどんなメディア体験をしているのか、想像力が働きにくくなりました。

そんなとき、今回のように情報環境の異なる人と対話をすると、視野が広がります。自分の情報環境から抜け出して、自分を客観的に見つめることの大切さを、再認識するできごとでした。