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noteはじめました

茨城大学人文社会科学部教授の高野光平(こうの・こうへい)と申します。今日からnoteで定期的にエッセイを書くことにしました。よろしくお付き合いください。

私のような無名な人間がエッセイを書くときは、「政治」とか「スポーツ」とか「芸術」とか、カテゴリーを絞ったほうが読者を集めやすいのかもしれませんが、最初のうちはあまりこだわらずに思いついたことを書いていくつもりです。私は「研究者」であり、「教育者」であり、「48歳のおじさん」なので、おのずとこの3つのアイデンティティに沿った話になるでしょう。

1.研究者として

研究者として私が書くのは、いま取り組んでいる研究の紹介です。私はいま、3冊目の単著『テレビCMのメディア史』の執筆に向けて基礎資料を収集・整理しているところです。面白い資料が見つかったときや、なにか発見があったときなどに、そのつどそれらを紹介したいと思っています。

『テレビCMのメディア史』は昭和30~40年代の初期テレビCMの状況について書くものです。昨年、同じようなテーマで『発掘!歴史に埋もれたテレビCM』(光文社新書、2019年7月)という本を出しましたが、この本がフィルムCM(動画のCM)に特化した内容だったのに対して、次の本では生CMや静止画CMなど、その他のスタイルのCMを取り上げるつもりです。むかしはそういうスタイルのCMがたくさんあったのです。

ただ、この話は相当マニアックで、私が「見てください大発見です!」と小鼻をふくらませて興奮気味に書き立てても、ほとんどの読者はポカーンでしょうから、あまりやりすぎないほうがいいかもしれません。

たとえば下の写真は先週見つけたのですが、「見てください!日本レーヨン提供『地球は引きうけた』の生CMで森英恵と入江美樹が共演してるんですよ!しかもこれ1960年だから入江さんデビュー直後の16歳ですよ!すごくないですか!」とか通じますか?通じないか。左の人は俳優の小澤征悦のお母さんで、右の人は森泉・森星姉妹のおばあちゃんだと言えば、ちょっとは「おーっ!」てなりますか?ならないか。

まあ通じなくてもやりきれば熱量だけは伝わるかもしれませんし、とりあえず濃いめのネタを出しつつ様子をみます。

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※出典:金沢覚太郎編『現代テレビ講座5:ノンフィクション・コマーシャル篇』(ダヴィッド社、1960年)

2.教育者として

教育者として私が書くのは、授業で話した内容の紹介や、若者とのコミュニケーションをつうじて気づいたことなどです。

私が茨城大学で担当している科目はすべてメディア関係のものです。
「メディア文化の社会学」
「広告コミュニケーション論」
「メディア史Ⅰ」
「メディア史Ⅱ」
「太平洋戦争とメディア」
「メディア文化調査演習」
「マスメディア入門/電子メディア入門」(3人の教員で分担)
3年ゼミ・4年ゼミ(別々開催)

授業で話している内容の一部は出版して、世の中に向けて公開しています。たとえば高野光平・加島卓・飯田豊編著『現代文化への社会学』(北樹出版、2018年11月)は、「メディア史Ⅰ」と「メディア文化の社会学」の講義ノートをベースに企画を立て、自分でも4つの章を執筆しました。

しかし公開していないネタもたくさんあるので、ここで少しずつ紹介するつもりです。たとえば「メディア文化の社会学」では12年間にわたり受講者にアンケートを取り続けていて、それなりのスパンで大学生の変化を追うことができます。

次のグラフは「よく読むファッション誌があれば挙げてください」という質問に対して何も回答しなかった女子学生の割合、つまり「ファッション誌を読まない女子率」の推移です。紙の雑誌に限定しています。

図1

10年前は約8割の女子が何らかのファッション誌を読んでいたのに、現在は読んでいる人は約半数しかいません。しかし逆に考えると、半数は今でも何らかのファッション誌を読んでいます。そしてここ5年は微増減をくりかえし、横ばい状態である。そんなことがグラフから読み取れます。

この話はいずれ詳しく書くつもりですが、このように、若者のメディア利用に関するいろいろな知見が手もとにあるので、それらを紹介しつつ自分の考えを述べていきます。

ゼミも数々の示唆を得られる重要な場です。国立大学は少人数ゼミで、研究室で開催できる小さな規模なのでよく話をします。そこで、48歳の大学教授と20歳前後の大学生とのギャップを感じることもあれば、逆に意外な共感ポイントに気づくこともあります。彼らとの対話の中に見えてくる世代間コミュニケーションの問題も、エッセイのテーマのひとつです。

3.48歳のおじさんとして

最後は個人としての立場から、日々感じたこと考えたことを整理していくものです。分量としてはこれがいちばん多くなるかもしれません。

今日なに食べたとか、どこ行ったとかそういうリアルタイムの話はInstagramでやっているのでここでは取りあげません。最近ハマっていること、最近好きな音楽、最近気になっている流行、そのくらいの話をしていこうと思っています。

それから、年を取ってきたから思い出話はしたいですねやっぱり。好きだったテレビ番組とか、小学校の思い出とか、大学時代のバイトの話とか、家に置いてあったものとか、よくあるノスタルジーネタは大好きです。好きすぎて2年前、昭和ノスタルジーについての本を出したくらいです。

といってもこれは懐かしネタ満載のノスタル本ではなくて、そもそもそういう感情が日本社会全体で共有されるにいたったのはなぜなのかという、社会学的な分析の本ですけれども。

そんなわけで、研究者として、教育者として、個人として、日々考えていることを記していこうと思います。2~3週間に1本のゆっくりしたペースで、1回2,000~3,000字くらいをイメージしています(今回は2,900字)。

私は2002年からホームページ日記を書きはじめ、以後、ブログ、Facebookと場所を変えながら16年間ネット上で文章を書き続けてきました。しかし2018年4月にInstagramを始めてからはそちらに比重がかかり、約2年間、ネット上での文章発表をお休みしました。

Instagram、YouTube、LINE LIVE、Twitter、ツイキャス、TikTokなどなど、自己表現の方法が多様化している状況のなかで、自分も何か新しいことをしたいなと、そう考えるタイミングだったような気がします。

でもYouTuberになりたいとは思わないし、Twitterも匿名で趣味アカをやるのは楽しいけれど実名は乗り気じゃありませんでした。リツイートされるのがあまり好きじゃないんです。自分の言葉が自分の意図とは無関係な流れに勝手に組み込まれ、その人の思想や主張の部品にされるような感じがあって、どうも苦手なんです。論文で引用されるのとはぜんぜん違うなんともいえない不愉快さがあります。自分の言葉に対して過保護なのかもしれません。

じゃあとりあえずリツイート的なものがないインスタをやってみようかなと、そうしたら思いのほか自分に合っていて、しばらくインスタだけになっていたのです。でも、しだいに限界というか、インスタでできることとできないことの境界線を窮屈に感じることが増えてきて、やっぱり自分にとって長めの文章も必要だなという気持ちがゆっくりとよみがえってきました。そしてnoteの開設にいたります。

バズらないていどに地味にやっていきたいので、どうぞよろしくお願いします。