愛とか利他とか贈与について

合理性の外部にしか愛や利他、贈与、信頼というのはないんだろう。贈与の送り手は未来完了として、受けては過去完了として意図せず解釈される。意図した贈与ならそれは贈与ではなく取引である。意図した利他ならそれは偽善である。あらゆるものが商品として交換可能であり今やマッチングアプリで恋愛するのが当たり前のようになってしまっている。自分の属性、相手の属性が分かりその範囲内で恋愛関係を気づくことなどクソとしか言いようがない事態だ。恋に落ちるとは能動、受動の対立では説明できない中動態的なプロセスである。意図して恋に落ちることはできない。全てが交換可能になり合理的で説明可能、検証できてしまったらそんなにつまらない人生はないと思う。合理性の外部である偶然性に身を置くことこそに未来への希望がある。他でもあり得たかもしれないのに運命のあなたに出会えた。そこに自己を投影するから人生に意味を感じ生きる強い動機になるのではないか?主体から能動的に働きかける合理的な利他ではなくあらかじめ潜在している偶然性から意図せず生まれる利他性が重要である。合理性の外部とは論理的な飛躍である。負債に対する等価交換を欲望する世界が幸せなのだろうか?

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