国家の存在
国家とは[暴力の権利]を物理的に行使し、法によりありとあらゆる権利を規制することが出来る。そして労働を組織化する事により、そこで生まれた成果を吸い上げる事で[富の権利]を得ることができる。
具体的に[暴力の権利]について見ていこう。[暴力の権利]とは、自分が誰かに暴力を振るったとするだろう。その場合警察に通報された場合自分は捕まってしまう。強制的に自分に対して物理的に権利を行使する事が可能になる。では何なぜ?自分が物理的に人を殴る行為が許されなくて、警察が物理的に自分を捕まえることが許されているのだろうか?それは国家があらゆる権利を法により合法化、違法化を区別し規制できる[暴力の権利]を持っているからである。
例えば、死刑制度があるだろう。大量殺人という罪を犯した人を国家は合法的に殺すことが可能になる。ここで、前者の罪を犯した人が"人を殺した"という行為の罪である為もちろん違法である。だが国家の場合その罪を犯した人を合法的に殺すことは違法にはならない。つまり[暴力の権利]を行使できる権利が非対称になってるのだ。どちらも"人を殺す"という行為自体は全く同じなわけだが、合法か違法かが別れるわけだ。ただ人を殺すこと自体誰もが道徳的に悪だと理性的に考えたら理解できるだろう。その為、法律が道徳的に正しいか正しくないかは、全く関係ない事になる。
国家が死刑制度を行使できる事が正当化されるのはなぜだろか?それは、別の要素があるからだろう。なぜ正当化しやすいのか、それは無秩序な状態で振る舞われる[暴力の権利]より、その無秩序に規制をかけ、国家が法によりあらゆる権利を合法か違法か秩序付けた方が無秩序な自然状態に晒される場合より、安全である為だろう。そういう理由により、正当化されやすいわけである。
では、[富の権利]とは何だろうか?国家における[富の権利]は、結論から言えば、"税金"である。人がお金を得るには、4つの手段がある。1つ目がお金を貰う。2つ目はお金を働いて稼ぐ。3つ目はお金を奪う。4つ目は誰かに労働をさせ、その成果を得る。
国家がお金を得る事ができているのは、3つ目のパターンと4つ目のパターンがである。
国家は、どうお金を得る事が可能なのか、それは先程言った"税金"である。税金を払わなければ私たちは、捕まってしまう[暴力の権利]の行使。つまり税金を払わないという選択肢は無いわけである。[暴力の権利]が行使可能な国家は、[富の権利]を得るような合法的な規制をかけれるわけである。その事により、労働の成果を一定数の税金という形で収めなければいけない訳である。
この2つの[暴力の権利]と[富の権利]を持っているのが国家であり、本質的な部分であるだろう。
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