主体は虚構である。我思うは正しいが故に我ありは間違いである。ラカンの鏡像段階論を考えると他者を媒介とした三項関係の中に私は立ち現れる。一人称でも三人称でもない二人称の死こそが重要な意味を持ちそういう他者を我々は必要とする。同質な他者や集団に対して同一化することで人の絆は生まれる。

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