週刊牛乳屋新聞#102 中国から帰国した本当の理由
こんにちは。牛乳屋です。
今のところ、三日坊主になっていません!
今回は、牛乳屋新聞復活のきっかけを与えてくれた方と話した時に「どうしてもテーマにしたい!」と思ったことをタイトルにします。
中国から日本に帰国した理由、
何者かになる執着を捨てるべきだと決意したからです。
中国を離れることに未練があった
私はかつて、日本国内のベンチャー企業の中国事業立ち上げに関わっており、中国(天津)で生活していました。ただ、本社側の都合で、中国での事業継続をストップすることになりました。
当時の中国は、「デジタル先進国」という文脈で非常に注目されていた時期でした。特に、上海や深圳には視察で訪れる人がたくさんいましたし、SNSを賑わせていたことを今でも覚えています。
「日本が中国に完敗した今、26歳の私が全てのオッサンに言いたいこと」という記事が様々な議論を巻き起こしていたのもこの時期でした。
辞令ではなく、自分自身で選んだ先の中国。
何も成し遂げることなく日本へ戻るのは非常に悔しい。
また、中国に生活しているだけで何者かになれるような感覚があって、負けを認めたくないがためにしがみついていました。
中国で嫌味を言う自分が嫌になった
天津での生活は自分にとって非常に大きな心の穴がありました。
というのも、私が留学で住んでいた上海、近隣の北京と比べても天津市には都市としての多様性や開放感が感じられなかったのです。
また、中国駐在の方々が悩むようなことと同じようなことで悩み、ストレスを募らせていくことで一種の憎悪みたいな感情が生まれているのに気付きました。#天津クソ というハッシュタグで憂さ晴らしをしていたのです。
中国での理不尽は駐在員も自営の方も大なり小なり経験する共通体験で、居酒屋で盛り上がるネタであることは間違いないはずです。当時のTwitterで、私は日式居酒屋で話すノリで書いていましたが、読み返し後にネガティブな感情で共感を作り出すさもしい自分の姿を見て何とも言えない気持ちになりました。
原点に戻るべきだと悟った
この相反する感情を持っている中で、「自分には生きる上での支柱というか、原理原則みたいなものが無い」という虚しさを徐々に感じました。
中国に生活しているだけで何者かになれるような感覚があるけど、実際は愚痴ばかり。日本に戻ったりキャリアをリセットしたりする勇気が無いまま年月が経っていくのは本当に良いのだろうか・・・?
そう迷っている中で、「中国へ生活拠点を移す前に戻ったほうが良い」というアドバイスをもらいました。自分にとって何者かになれそうな時間を否定する恐怖を感じる一方で、中国の社会制度や人民に対しての愚痴が溜まれば溜まるほど、自分の視野が凄く狭くなっているのに焦りを感じていました。
何者かになろうとした時間を否定しかねないのは怖いことだけど、それでも人生の活路を開いていきたい。いや、何か精神的にも仕事的にも日本に戻ってしっかりとした柱を立てた後に、どこかのタイミングでまた中国に出てみたい。
そんな思いが日に日に強くなり、試しに借りてみた上海の賃貸を手放す決断をしました。
私は帰国後に起業と、一回ズッコケて新しい事業を立ち上げ、自分が進むべき道が着実に見えてきたような気がしています。
中国で何者かになろうとした執着を捨てた先には、たくさんのことが自分の人生に舞い込んできました。中国の生活は上手くいかなかったけど、帰国して本当に良かった!
今は中国に生活拠点を移すつもりも無いし、ビジネスを展開する予定もありません。いつの日か分かりませんが、来たる日に備えて着実に人生を前に進めていくのみです!